ホライズンのクレド 愛国者学園物語 第211話
ファニーの本のおかげで、三橋美鈴はさらに有名になり、日本人至上主義者たちはその名を侮辱した
。彼らは美鈴がファニーの同僚だったから、この本が書かれた理由を知っているに違いないと思い込み、一方的に怒りを増幅させた。美鈴がホライズンだけでなく、各種の媒体で、ファニーと自分は親しくなかった、だから、彼女があの本を書いた理由を知らない、と繰り返し主張したにもかかわらず、日本人至上主義者たちの怒りは収まらなかった。彼らはネット上で怒りをぶちまけるだけでなく、実家のみつはし肉店の電話とメールアドレス、それにSNSをパンクさせたので、桃子は美鈴を侮辱しないで、店の運営を邪魔しないで、とSNSにコメントを出した。そして、美鈴が迷惑をかけたと謝ると、SNSのアクセス数がアップしたから、うちは有名になるわ、と真顔で答えて美鈴を驚かせた。
美鈴の敵は彼らだけではなかった。
義理の母
もそうであった。義母は息子の嫁が、ネット社会で激しく非難されているのを知って仰天し、美鈴に長電話をかけて叱りつけた。そして、ホライズンの仕事は危険だから辞めるべきだと言い、美鈴がそれを断ると、受話器の向こうで叫び出し、手がつけられなくなった。美鈴は静かに涙を流し、電話を切った。
美鈴は自分の悲しみを良く理解しているとは言えない夫の寝顔を見つつ、一人、酒を飲んで考えた。
自分がホライズンの仕事をするようになったのは、ジャイカ(JICA)の青年海外協力隊に参加したからだ。協力隊の仕事が終わった後は、ほとんどのメンバーは日本で再就職するが、日本社会はそれに協力的だとは言えず、再就職に困る人々もいるのだ。自分の場合もそうなるはずだった。
世の中には、美鈴が派遣されたバルベルデ共和国が紛争地であるかのように誤解して、「そんな国に行って(自分の人生に)プラスになるの?」
などと真顔で質問する人が多かった。それが、
「あんたは、ああいう国で働いてたから採用しない」
という意味だと後に知り、美鈴は傷ついた。
でも自分は、偶然、マイケルに出会ったことで、彼の親友であるジェフが経営するホライズンを紹介してもらえたのだった。入社試験もその後の厳しい研修も乗り越えて、美鈴はこの会社に自分の居場所を見つけたのだったが、あの愛国者学園が自分の運命を変えてしまった。あのルイーズ事件といい、今回のファニーの本といい、自分たちはトラブルを呼び寄せるのかしら? 美鈴はそんなことを考えつつ、白みつつある空を見た。
(
ホライズンに関わったのが失敗だったのかしら?
いや、そんなことはない。この仕事に出会えて良かった。ハードなことも多いけど、この仕事は私の知的好奇心を満足させてくれるし、ホライズンには日本の企業にあるような男女差別はない。まだ経験の浅い私はジャーナリズムがどういうものか上手には語れないが、この仕事は面白い)
そんなことを考えていた美鈴は、
ホライズンのクレドといわれる行動規範を書いた書類
を取り出した。それは、ホライズン・メディアで働くあらゆる人々の指針となるもので、トップであるジェフたちが考えたものだった。
それによれば、ホライズンが報道活動を行う最大の目的は
「自由と民主主義の擁護(ようご)」
だ。そんなことは当たり前に思えるかもしれないが、世界には自由な報道が出来ない国もあるし、市民の自由がなく、自由な知的活動が許されない国もある。
あるいは、先進国でも珍しくない、メディアの自主規制も大きな問題だ。日本のマスメディアは、記者クラブ制度で政府と密着している。そのせいか、官僚や政治家、それに自衛隊に、日本人至上主義者が増えていることを報道しようとはしない。これは危険なことなのだが、マスコミの反応は薄い。
「自由と民主主義の擁護」の他にも、大きな目標がある。
「あらゆる種類の暴力に対する抵抗」
「検閲に反対」
「自由な報道」
「タブーなき議論」
「権力批判」
「優位性の排除・特定集団と特定思想の優越を拒否する」
(日本の宗教と皇室と愛国心を賛美する日本人至上主義者がこれを読んだら、激怒するに違いないわ)
「当たり前を疑え」
(この辺りは当然か)
「絶望しない」
(ジャーナリストの中には、取材をするうちに、社会や人生に対して悲観的になる人もいるらしいけど、絶望しないことが、ジャーナリストには大切だ。それがホライズンの考えなんだ)
「西洋が善で、それ以外が悪ではない」
「空気を読むな」
(これ、日本人にはいいクスリだわ)
クレドはまだあった。
「全ての人間の平等」
「多様性の保護」
「多様性のある人材登用と臨機応変な人材育成」
(これがあるから、私のようなジャーナリズム未経験者でも雇ってもらえたんだわ)
「取材対象との適度の距離感」
(フカヒレデブにはこれがないわ。彼女は中国の政治家に近づきすぎる)
「無名人への視点」
(フカヒレデブにはこれが欠けている。彼女いわく、一般人の生活なんて報道する価値はない。それよりも、多くの人を動かす政治家に焦点を当てるべき。そして、それに適任なのは私と主張している。彼女は庶民を忘れているわ)
「途上国への視点」
そして、美鈴は最後の項目を見た。
「目標・世界平和をもたらすために努力する」
これを読む時、美鈴は思う。平和がいかに尊いかを。
美鈴は大学生のころ、ボーイフレンドの影響で、憲法9条を守る運動に関わっていた。それに、それ以後、バルベルデにいたから、あの国の戦争の話も平和の話もそれなりに知っている。そして、ホライズンでジャーナリズムの仕事をしていると、戦争の文字を見ない日はない、そう思える。だから、この会社が、いかに平和を求めているか、それが良くわかるのだった。
そういう立場でいると、美鈴には、日本人至上主義者たちが
「21世紀新明治計画」
を実現させようと各種の運動を展開していることが信じられない。21世紀の日本を、明治時代の大日本帝国のようにする。あの時代は日本人が誇り高く生きていた時代だからだ。そして、それ以降、特に戦後の日本は米国の支配に屈し、自虐史観を植え付けられた、誇れない国だ。そういう悪しき歴史を変え、日本民族の誇りを取り戻し、輝ける日本を作る! 戦争が多く、政府が国民に強権を振るっていた時代を懐かしむ(なつかしむ)なんて、日本人至上主義者はどうかしている……。
そういう運動に、愛国者学園の子どもたちも関わっている。特に、あの有名な強矢悠里(すねや・ゆうり)が。
果たして今の日本に平和はあるのだろうか。反日勢力への攻撃を辞さない日本人至上主義者たちが、今の日本をコントロールしているのだから。美鈴はホライズンのクレドを見ながら、「平和」のもろさを実感した。
続く
これは小説です。
「21世紀新明治計画」については、