戦犯とはなにか、サイモン・ヴィーゼンタールの追跡 愛国者学園物語104
(以下の文章は、公開する数日前に完成させたもの。五輪のイベント関係者がホロコースト発言問題で解任されたことに触発されて書いたものではない)
「靖国神社には、旧大日本帝国の指導者たちを裁いた極東軍事裁判などで有罪になった戦犯たちの御霊(みたま)も祀(まつ)られている。A級、BC級戦犯と言われる人々だ。
私は、宗教施設が戦犯を祀ること、神として崇めることに疑問を持っている。特に、戦争指導者たちであるA級戦犯だ。あれだけ大規模な戦争をして、あれだけの犠牲者が出たというのに、戦争指導者たちに責任はない。彼らは無実、無罪だ。そんな馬鹿な話があってたまるか……。あるいは、『罪』になるほど酷いことをした人間たちを神として祀れ、尊敬せよだなんて、そんなことは私には出来ない。
特に、戦争指導者は戦争を指揮して、あれだけの犠牲を出したのだ。だから、その責任をとってもらいたい。それに、明らかに『軍人としてやりすぎた』そういう人間たちを放置して良かったのだろうか?
私は外国人が日本人の戦争指導者や戦犯を無条件で処刑することに賛成しているのではない。外国の介入が嫌だ、外国人が彼らを裁くことを認めないと言うのなら、日本人の手でそれをすべきだった。だが出来なかった、しなかった。付け加えるけど、靖国神社に祀られているA級戦犯を別の場所で祀れば、政治家が靖国に参拝することは問題にならないという『分祀』 (ぶんし)の件もあるが、ここでは省こう」
美鈴はうなずいた。
「誰かがあの仕事をしなかったら、日本は今も大日本帝国のままだよ。戦争に関係した政治家たちも軍の高官たちも、そのままの地位にいたか、院政を敷いて、政府を意のままに操っていただろうね。なぜ戦争を始めたのか、その訳も未解明で、政治家や軍人たちが自慢話を垂れ流したような文章で、それを誤魔化していたはずだ。日本社会も何も変わらず、徴兵制度も、異様に大きな規模の軍隊もそのまま。特高警察が反戦主義者を弾圧する。そして、軍隊の犯罪行為も闇に葬られただろうな」
美鈴は何も言わなかった。
「話を続けたい。軍人は死ねば、全て英霊だ。それで生きていたときの罪は帳消しだ。私はそんな考えに同意出来ない」
と言って、西田は厳しい目で美鈴を見た。
「私にとってもそれは信じられないことです」
西田は視線を柔らかくしてから言った。
「美鈴さん、私は自分の意見をあなたに押し付けるためにここにいるのではない。あなたの意見が私のそれと正反対でも、怒ったり怒鳴ったりはしないよ。そして、無理に私たちの意見を合わせる必要もない」
「いえ、私は無理に自分の意見を西田さんの意見に合わせているわけではありません」
「そう、それならいいんだ。話を続けよう。基本的に、私は軍人を悪い人、悪い職業だとは思っていない。軍人という仕事は世の中に必要だと思っている人間なのでね。ただ、日本が国土の防衛をするに充分な規模の軍を上回るような大軍を保有すること、正当防衛以外の目的で、戦争をすることには反対だ。戦争も可能な限り回避すべき、やむを得ない場合は戦うことに賛成という立場だ。だから、私は、自分たちを守るために戦うための権利である、自衛権を否定することはしない。世の中には、絶対的な戦争反対論者もいるし、日本には、戦争の放棄を定めた憲法9条があるから、日本は外国から攻撃されないと思っている人々もいるが、それは9条を過信した空想だと思う。
戦争は2者以上の関係者によって行われる、相手と自分が戦う行為だから、自分が9条を信じる戦争放棄論者でも、相手がそうだとは限らない。だから、私は9条に過剰な期待をする人を軽蔑している。
戦争において、戦争放棄論者は@戮されるだけだ。日本がもし自衛隊を廃止したら、世界中から危険な人間たちが日本にやって来てやりたい放題をするだろう。9条主義者はそれでも平和を叫ぶのだろうか? 人を信じ過ぎることは、おかしなことだよ」
西田は、美鈴の悲しそうな表情から、彼女が9条に期待していることを見てとった。
「それはともかく、軍隊はときに、民間人などに過度の攻撃を加えてしまうことがある。だから、そういう問題行為などをした人間、つまり戦犯を裁くことは必要だ。それに、戦争を指揮した人間が死んでも、その人間が戦争に関わった責任は消えないんだよ。だから、裁判のような手段が必要だ。
戦勝国側の一方的な断罪と処刑ではなく、裁判という形式で戦争犯罪を裁くということは、私は人類の歴史に残る出来事だと思っている。それは、連合国による東京裁判、ナチス・ドイツを裁いたニュルンベルク裁判、イスラエルによるアイヒマンの裁判だ。残念だが、私はこの3つの裁判について詳しく語れるほど知らない……。東京裁判、つまり極東国際軍事裁判については、NHKが2016年に公開した4本立てのドラマ番組「ドラマ 東京裁判」が参考になった。あの裁判の問題点やドラマチックな部分を上手く見せていたと思うよ。それはともかく、美鈴さんは、『私はルイーズ事件』を書きながら、ナチスのことを調べたんだよね?」
「はい、ルイーズの母が、共著者のファニー・ジョフロワのことを批判したとき、ファニーは、彼女のおばあさんの姉マリー・ルイーズが、昔、ナチスに対抗するレジスタンスだったと公表したんです。それで、ナチスに関心を持ち、少し調べました」
「あなたが学んだことを教えて貰えると嬉しい」
美鈴は微笑んで、
「私は多くのことを知っているわけではありませんが、少し話をさせてください……。ナチス・ドイツを裁いたニュルンベルク裁判には、『ニュールンベルク裁判』という劇映画があります。私は見たことがありませんが。
ナチスのことは膨大な分野に渡るので、戦後の戦犯追求に話を絞りたいと思います。ナチス・ドイツ関係者の責任を裁くために、戦後、多くの人がナチスの残党を追跡して身柄を拘束し、裁判にかけました。西ドイツ政府関係者やイスラエル政府、サイモン・ヴィーゼンタールのような民間人がその役を担いました。私は良く知りませんが、ヴィーゼンタールは民間人でありながら、各種の資料などを調査して、ナチス関係者の足取りを追っていたそうです。関係者を追跡し、捜査機関に連絡して身柄を拘束させるのは大変な作業だったと思います」
「そういえば、かつて日本の大手出版社が販売していた雑誌「マルコポーロ」がホロコースト否定論を掲載して、国際的に抗議を受けたよね。その急先鋒が、サイモン・ヴィーゼンタール・センターだった。日本の言論人の中には、そういう抗議のことを、ユダヤ系組織の圧力だとして、「マルコポーロ」側を擁護していたかのような連中もいた」
美鈴は真剣な顔をして、
「ホロコースト否定論を主張することは、欧米では大問題です」と西田の話に付け足した。
「あなたが所属している、ホライズン・メディアでは新人研修にも、その問題が新人研修の題材になっているそうだね?」
「ええ、ホライズンのような国際的ニュースを扱うメディアの一員として、知らなければいけないことをかなり勉強させられました。日本の学校の試験のように虫食い問題を解くのではなく、この事件に関してあなたはどう思うのか、なぜそう思うのか、を予備知識のない第三者が理解出来るように発表しなければいけないんです。研修の課題をこなすのが大変でした」
「なるほど」
「それにホライズンは多国籍の様々な経歴を持つ人間たちが集まっているので、みんなに『共通科目』として、ホロコースト報道やホロコースト否定論などを教える必要があると上司から聞きました……。
続けましょうね。戦争後に、ナチス関係者の逃亡や生活を支援したグループがいくつもありました。スパイ小説で有名な英国のフレデリック・フォーサイスはそういう例を題材に、『オデッサ・ファイル』という小説を書いています。ナチス関係者たちは偽の身分を作り、書類を偽造し、外国に逃亡した者も少なくありませんでした。『オデッサ・ファイル』に書かれたような逃亡者を支援した組織もあれば、どこかの国の政府が彼らに力を貸したこともありました。私が青年海外協力隊の仕事で滞在していたバルベルデ共和国にも逃亡者たちがいた、という噂があります」
「大追跡劇だねえ」
「そうですね。ナチス党員には、腕に刺青で党員番号を彫り込んでいた者たちもいました。でも、戦後、それで身元が発覚するのを恐れて、わざとやけどを作って、刺青を隠した者たちもいたそうです」
「そうだ、思い出したよ。アメリカのあるドラマでは、自分がナチス関係者であることがバレて、それで悪人に恐喝された人間が登場する。有名なドラマの『刑事コロンボ』シリーズの1本だったんだけど、どの話だったかな。忘れちゃった」
彼はiPhoneを取り出して検索し、答えを探し出した。
「あったよ。第36話『魔術師の幻想』だった。そういった話は、本当にあったんだろうね」
「悪人を恐喝するなんて、それもまた凄まじい話ですね」
「ああ、そうだね」
続く
写真1枚目は、靖国神社の境内で、最近撮影したもの。旧日本軍のビルマ(現・ミャンマー)戦に参加した兵士たちの持ち物。インパール作戦は、旧軍の作戦の中でも、最悪と言われるほど多数の死傷者を出した。
2枚目は、遊就館で撮影したもの。黒いのは、特攻用潜水艦「回天」。手前の筒状のものは魚雷。