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宗教 かくも難しきもの1       愛国者学園物語94

 

 しばらくの間、二人は沈黙の海に浸っていたが、やがて西田が口を開いた。 

 「宗教って不思議だよね。聖職者は、この世の全てとあの世を支配する神について語る。だけど、誰一人、神を見た者もいなければ、神に出会った者もいない。それなのに、人類の多くが彼らを疑わずに熱心に信じている。なぜだろう……」

 「宗教は愛と知性の大切さ、それに寛容の精神を説きながら、その一方で、自分たちの宗教を信じない異教徒を簡単に@し、それをなんとも思わないらしい。愛と寛容の精神は、異教徒には無意味なのか。まさか、異教徒を@すことが、神の精神、神の愛のなせる技なのだろうか……」

 「キリスト教の聖地エルサレムを手に入れるために、ヨーロッパのキリスト教徒軍が侵略した十字軍運動。宗教とは、結局、心の平和のためのものではなく、戦争の方便なのか」

 「バルベルデにキリスト教を布教したスペインの聖職者たちは、先住民の激しい怒りを招いて、殺された者もいた。先住民たちの神を馬鹿にしたからだ。それに報復するため、スペイン軍は先住民の集落を蹂躙(じゅうりん)し、女子供まで皆@しにした。美鈴さんの本に書かれている話だ。どうして、そんなことが起こるのだろうか。神の愛はどこにあるのか。

それだけじゃない。メキシコでコルテスたちが行ったことは、人類史の汚点の一つだ。黄金を奪うため、キリスト教を広めるためなら、先住民たちを@@して全滅寸前に追いやってもいいのだろうか。立派なアステカ帝国を破壊することが、神のみわざなのか」


 「欧米のキリスト教文化は、科学や人生において批判的精神が大事だと主張する。その一方で、神という絶対的存在を無条件で信じ忠誠を誓う。批判的精神が大切なのか、それとも神が大切なのか、どちらなんだろう。まさに矛盾だよ。 

米国の一部の学校では、生物の進化論とともに、神による万物創造説を同時に教えている。万物創造説には科学的根拠がないのに、それを大真面目に信じている人々が少なからずいるのだ」

「キリスト教カトリックの聖職者による性的虐待は世界的な問題だ。権威と命令を武器に、聖職者でありながら犯罪をする人間は後を絶たない。それは、彼らの「システム」に根本的な欠陥があるからではないか。そのような問題はカトリックだけのものではないが」

「世界中の人々が男女平等を叫び、LGBTQの権利について考えている。それなのに、女性の聖職者を認めない宗教もあるね。カトリックの総本山バチカンを率いるローマ教皇は歴代の全員が男性だ。イスラム教には女性の聖職者はいないだろう。ユダヤ教もそうだと思う」

「英国とアイルランドの、北アイルランド紛争はキリスト教プロテスタントとカトリックの対立などの理由で、1960年代から30年以上も続き、3000人以上の犠牲者が出た」


 ここまで話すと、西田は表情を和らげて
「ちょっと休憩」
と言った。
美鈴は微笑みを返そうとしたが、強張った顔を変えることが出来なかった。

 「英国の作家サルマン・ラシュディが『悪魔の詩』という小説を出版したところ、それがイスラム教を冒涜(ぼうとく)しているとのことで、多くのイスラム教徒が抗議した。また、イスラム教を厳しく解釈している国家イランの最高指導者ホメイニ師が、ラシュディに対して死刑宣告を行った。ラシュディは英国警察の厳重な警護を受け潜伏するような生活を送ることになった。それだけじゃない。世界各地でこの小説の翻訳に関わった人間たちが襲撃された。日本人翻訳者も殺害されたのに、犯人はいまだ逮捕されていない」


 「ある宗教Xを信じている人間Pが、他の宗教Yを馬鹿にすることは、言論の自由なのか、犯罪なのか、それともそのいずれでもないのか? それに対して、Yの宗教指導者が、異教徒で、外国人であるPに死刑を宣告して、誰かに『殺させる』ことは正当なのか? Yの信者は『どの程度まで』、異教徒による批判に耐えなければいけないのか。

 批判と冒涜の境目はどこにあるのか。Xを信じるPの立場で言えば、PはXを批判しても良いのだろうか。あるいはYを批判することは許されるのか、否か。宗教における批判、非難、冒涜とは?」

 

 「冒涜と言えば、フランスの風刺新聞シャルリエブドの問題がある。あれが、風刺画としてムハンマドの顔を掲載したことが、イスラム教徒たちの激しい怒りを買った。それは預言者の顔を描くことは、イスラム教のタブーだからだ。その結果、パリにあるその新聞社が襲撃されて、12人の死者が出たうえに、関連したテロで4人が殺され、パリはパニック状態になった。

彼らは、風刺画の公開を含めた言論活動は、言論の自由によるものであり、それは全てに優先するという考えの持ち主のようだ。だが、それで良いのだろうか。言論の自由は大切とは言え、世界3大宗教の一つの開祖であり預言者をそのように扱うことは、許されるのか。

 それだけではない。フランスのある教師は、ムハンマドの風刺画を教材として用い、学生たちに見せた。これが原因となり、彼は、あるイスラム教徒に@@された。教師は死後、勲章をもらい、盛大な葬式が行われた。@@は悪いことだが、教師は、自分のすることがトラブルになる、イスラム教徒の怒りを買うであろうと予測出来たはず。シャルリエブドの事件があったから。それなのに、彼が風刺画を教材にしたことに問題はないのか。 

 私はイスラム教徒ではないし、イスラム教に特別の関心もない。だが、イスラム教徒が預言者の顔を描かないことは理解出来る。そして、それをする者は預言者への、あるいはイスラム教への冒涜をする人間だとみなすこともね。

 だが、フランスにおける言論の自由は、宗教に対する冒涜よりも重要で、優先されるらしい。こういう見方をする私はフランスから非難されるのか? お前は言論の自由を理解していない、などと言われて。

 私がこういうことを言うのは、『言論の自由』対『自分の宗教を冒涜された怒り』で宗教戦争が起こるのではないか、と心配しているからだ。政治家でも、ジャーナリストでも、宗教学者でもない私がこういうことを考えても、なんの意味もないかもしれないがね」


 「イスラム教徒の中には、敵を自爆攻撃で壊滅させる手段を取る者たちもいる。不思議なことに、それを実行する者たちのほとんどが若者だ。なぜ、若者がそれに参加するのだろうか。なぜ、中高年の人間は自爆をしないのか。彼らの言う、ジハード(聖戦)とは?」

 「人類は長年差別の問題と戦ってきた。だが、ヒンズー教のカーストは生まれつきの身分制度を肯定している。それは宗教による差別だが、ヒンズー教が教義を変えない限り、カーストは未来永劫続く。それでいいのだろうか」

 「私が小学生のころ。道徳の教科書に興味深い話があった。日本の医療チームが、アジアのある都市で、伝染病の患者たちの治療をしていたという記録だった。チームの治療を受けて元気になる人たちもいたが、他界する人たちもいた。だが、現地の人たちは、遺体を布で包んで、聖なる川に流し、水葬したと言う。

 それでは、伝染病が広まってしまう。現地の人たちはその川で水浴びをし、洗い物をするからだ。しかし、それが現地の風習だと聞いて、医療チームは悩んだ、という話だった。宗教と医療の間で悩む医師たちは、どうすべきだったのだろう。答えを出すのが難しい問題だと思うが」


続く

これは小説ですが、内容は事実に基づいています。

AFPBBのシャルリーエブドの関連ニュース
雑誌CQ 「悪魔の詩と25年目の“聖戦”」(2014年8月22日)
AERA dot.「悪魔の詩」殺人事件 27年目の真実 スケジュール帳に記された<12:GK >の意味
(2018年7月25日)などを参考

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