「死の静寂」 愛国者学園物語 第216話
強矢悠里は小学5年生になった。
あの腹立たしいライオン事件も、愛国者としての忙しい活動のおかげで忘れることが出来ていた。今日は春休みを利用して、千葉県にある、父の友人の家に遊びに来た。強矢がわざわざ愛知県から上京した、そのわけ。それは、そこで行われる
秘密のハンティング
に参加するためだった。
その広大な庭には、ウサギやニワトリが放し飼いにされていて、強矢はそれらをアーチェリーで狙うのだ。それは狩猟のルールに違反しているが、強矢は楽しんだ。なによりも、父親たちの許可があってのことだし、部外者は誰もこのハンティングを見ていないのだから、問題にはならない。仕留めた後は、それをサバイバルナイフで解体して、炭火で焼いて食べる。
表立っては言えないが、それは面白いハンティングであった。動かず、何も言わない的を狙うだけの退屈なアーチェリーとは、天と地ほどに違う。興奮するけど、どこか物足りない。わざわざ東アフリカまで行って仕留めたあのライオンに比べれば、小さなウサギやニワトリなんて、獲物じゃない。それが不満だったけれど、友人たちの前では良い子でいる強矢は不満を口には出さなかった。
だが、今年、友人はある生き物をハンティングのレパートリーに加えて、強矢を喜ばせた。それは、
千葉県に多い小型のシカ・キョン
だ。何年か前、動物園から逃げ出したそのシカはあっという間に数を増やし、特に千葉県の関係者を驚かせた。キョンは畑の野菜を食べてしまうから害獣として駆除することになったが、人家のそばをうろつくので、関係者たちは銃の使用をためらった。もし、流れ弾が人に当たったら、大変なことになるからだ。しかも、キョンたちは警戒心が強いので、罠による捕獲は効率が良いとは言えなかった。だが、その肉は味が良く、わずかだが、ジビエとして流通していた。友人たちは強矢親子を喜ばすべく、そういう生き物を苦心して捕まえて、庭に放し飼いにしたのだった。
強矢は、矢に
特製の矢尻
を装着して、準備を整えた。それはある種の合金を削った代物(しろもの)で、まるでランボーが使っているような矢尻なのだ。ある動画サイトにその作り方が紹介されていたが、強矢の力では合金を作るのは無理だった。それで、愛国者学園で最も科学に強いと言われている少年、通称「爆弾君」を脅して、それを作らせたのだった。強矢はそれをヤスリで削って完成させた。
はやる心を抑えて、その矢尻を試したときのことを、強矢は忘れないだろう。気の強いシャモを射ったのだ。矢がシャモの体を貫通したにもかかわらず、シャモは激しく泣き叫んで逃げ回った。強矢はさらに二本も矢を打ち込んだものの、シャモは死ななかったので、足で踏みつけて、ハンティング用ナイフで首を切り落として仕留めたのだった。あれには興奮した。(あれこそハンティングだわ……)
そして今日は、あの不気味な声で鳴く鹿・キョンを狙うのだ。
(キョンか。どうせなら、もっと大きな生き物を射ちたい)
強矢は、ライオン狩りのことを思い出した。
(この矢尻で、あれくらい大きな奴を射ってみたいわ)
彼女がキョンを狙うと、その動物は「ギャーッ」という人の叫び声のような声をあげて逃げ回った。それは断末魔の叫びではなく、普段の声なのだが、強矢が追いかけている今は、それは諦め(あきらめ)の声であった。
強矢はそんなキョンを追いかけて庭中を走り回り、弓を構えた。弓を引き絞ると、強矢はいつも数秒間だけその体勢を維持した。そして、弓を放つのだが、緊張と精神集中が過ぎるあまり、その数秒間は周囲の音が聞こえなくなるのだった。いや、実際は聞こえているけれども、それが記憶に残らない。
彼女はその瞬間を「死の静寂(せいじゃく)」
と名づけていた。自分の放った弓が獲物に命中してその命を奪うから「死」なのであり、周囲の音が聞こえなくなるから「静寂」なのだ。
「死の静寂」の瞬間にキョンと目が合い、そいつらが気味悪く叫ぶと、強矢は例えようもない満足感を得る。聞こえなくても、自分にはわかる。あいつらが恐怖で叫んでいることが。それがたまらなく、自分の心に響くのだった。
強矢は矢が突き刺さったキョンに近づいた。矢が体を貫通しているのに、哀れなキョンは逃げようともがいている。彼女がナイフでとどめを刺すと、小さなキョンは息絶えてしまい、そうなると、強矢にはもうやることがなかった。一人でキョンを解体してもつまらない。虚栄心の塊である強矢は、大人たちの称賛の声が欲しくてたまらなかった。でも、大人たちは部屋にこもって秘密の遊びをしている。部屋の外まで聞こえるその声は、子供の強矢には刺激が強すぎた。だから庭に出て、一人、ハンティングに励むしかない。
そういう大人たちのことを考えていると、日本人至上主義者たちの会合のことが思い出された。それに出席するおじさんたち、おじいさんたちは皆偉い人なのだが、彼らのいやらしい目つきが気になるのだ。
(ああいう大人たちって、なにを考えているんだろう?)
それに、自分は愛国者学園の接遇員として、学園にやって来た多くのお客様方に茶菓をお出ししてきたけれど、自分の仕事ぶりが変なのだろうか。
(私がエリートだから、じろじろ見るのかしら?)
そういう泥のような疑問が頭にこびりついて、強矢は仕留めたキョンの解体を忘れるところだった。心に浮かぶ男たちの視線を振り払おうと、それに熱中したが、いまいち手が動かない。だが、吉沢友康を思い出したら、雲の隙間から急に光が差したような気がした。
(吉沢先生だけは違う。あの方だけは信用出来る。先生も私のことをわかってくれるし、先生はいつも私をほめてくれる)
吉沢の顔が夕方の空に大きく映ったように思えたので、強矢は空に向かって微笑んだ。
続く
これは小説です。
次回第217話は「膨張する強矢」です。
有名人の彼女は日本人至上主義を広めるために、
様々な活動をして、さらに有名になるのでした。
彼女はどこまで大きくなるのか、
お楽しみに!
https://www.youtube.com/watch?v=EboKRLFQsZY
なかなか複雑な事情があるようで。