美鈴が左派になったわけ その2 愛国者学園物語126
叔母はふざけた顔をして、
「先にあたしの質問に答えなさいよ」
と、美鈴をつっついた。
その真相は、美鈴がある横断歩道を渡るときに、たまたま目の前にそれが停車したので携帯電話で撮影したというわけだ。叔母は安心して、あれは右翼の街宣車で漢字は北方領土と靖国神社だと言った。
「がいせんしゃってなに?」
と聞く美鈴に、叔母は
「ああいう騒々しい車よ」
とだけ答えた。
そして帰宅すると、地図帳を出して、それらがどこにあるか教えてくれた。
「あたしはこの神社も北の島のことも良く知らないの」
と真剣な表情で話す叔母を見て、美鈴は、これは話してはいけない話題らしいと感じた。
さらにおばから、
「ああいう車には怖い人たちが乗っているから、他人にその車を見たことを話しちゃだめ」
と口止めされた。
だが、美鈴はそれに負けずに
「うよくってなに?」
と質問した。桃子は可愛い姪の質問に仰天したけれども、
「右翼は政治の言葉で、うーん、日本が大好きで外国が嫌いな人々、右派も同じ意味よ」
だと、どうにか答えた。
美鈴はその答えに喜び、さらに聞いた。
「おばさん、うよくはきらいなの?」
桃子はあどけないその質問に笑いをこらえて言った。
「右翼だろうが左翼だろうが、人をいじめたり脅したりする人たちは嫌いよ」
美鈴は物おじしなかった。
「さよくってなに?」
「右翼の反対よ」
「外国が好きな人たち?」
「そうねぇ、中国やロシアが好きな人たちかもね。ごめん、これ以上はわからないわ」
「ねえ、おばさんはどっちなの? うよく、さよく、どっち?」
桃子はその質問に青くなった。
「どっちって……。そんなこと、考えたことないわよ」
「ふーん、じゃあ、うよくなの?」
「違うわよ、ああいう北方領土と靖国神社とか天皇に関する運動に関心は持てないわ。それに街宣車なんか嫌よ」
「じゃあ、さよくなの?」
「違うわよ、中国とかロシアは嫌い。それに左翼の過激派もね」
美鈴は追求の手を緩めなかった。
「がけきはってなに?」
桃子は困ったが、
「乱暴な人たちよ。それにもういいでしょ」
と矢のような質問を振り切ろうとした。だが、美鈴は諦めない。
「うよくとさよく、おばさんはどっちよ?」
「どちらでもないわ。そういうのを中道って言うの」
「へええ。ちゅーどーねえ」
桃子は厳しい顔をしたまま、美鈴に警告した。他人に右翼か左翼か中道なのか聞いてはいけない。そういうことを聞くことは失礼になるから。それに、大げんかの原因になるかもしれない。美鈴は『大げんか』という言葉に強く反応したが、それ以上はなにも聞かなかった。
もちろん、これで納得したわけではない。
子供という生き物は親の思うようには育たないものだ。桃子叔母の命令よりも、美鈴の心に強くアピールしたのは、あの街宣車が大音響で流している歌だった。おじさんが一人で歌っているらしいそれは、とても力強く美鈴の心に響き、週に1度聞くだけでも、彼女はそのメロディーを覚えてしまった。そして2年ほど経ったある日、気が付いた。これはなんという歌なのだろう。歌っているのは誰だろうと。美鈴はインターネットを使い、その歌詞で唯一覚えているサビの部分だけを検索してみた。
それを歌っていた人は、林伊佐緒(はやし・いさお 1912−1995)という作曲家兼歌手だった。山口県下関市出身の彼が1939年に作曲したのが、その歌、「出征(しゅっせい)兵士を送る歌」。戦場へ向かう兵士を送るこの歌は、その当時はかなり流行したと、ウィキペディアに書いてあった。動画サイトには、彼が力強い声でそれを歌う動画がいくつもあった。
美鈴はそれまでに受けた教育や自分の周囲の人々の言動から、戦争は悪いこと、という価値観を持っていた。だから、「出征兵士を送る歌」が戦争の歌であることを考えているうちにその心に嫌なものが湧き上がった。そのせいで、街で街宣車がそれを流していても、無視するようになった。やがて、その車も街に来なくなり、小学4年生の美鈴はあの歌を忘れた。後年、意外な場所で『再会』するまでは。
美鈴はその後、中学と高校に通う日々を活動的に過ごした。中学ではサイクリング部に入部し、20キロから30キロメートル先まで出かけることも珍しくなかった。だから、サイクリング部の若者たちは愛知県内にある彼らの中学校から伊勢神宮まで走り、参拝して、また帰るツアーを楽しんだ。宗教に関心が持てない美鈴だったけれども、仲間たちと行くサイクリングの楽しさは捨てられなかった。美鈴はよく日に焼けたので、桃子は彼女に「かりんとう」というニックネームをつけた。
また、美鈴は映画「ターミネーター」シリーズが大好きになった。というのも、その映画では1997年8月29日に機械による人類抹殺の戦争「審判の日」が起きて、30億人が死ぬのだが、そのちょうど4年前、1993年8月29日が美鈴の誕生日だったからだ。どうせなら97年の同じ日に生まれたかったわ、と美鈴は思った。美鈴はこのシリーズを見ているうちに英語を話してみたくなり、それで英語を一生懸命勉強するようになった。また、劇中で使われたスペイン語のセリフ「アスタ・ラヴィスタ、ベイビー!(地獄で会おうぜベイビー)」がとても気に入り、スペイン語会話の本を買ったものの、それはろくに読まなかった。しかし、これがスペイン語とスペイン語圏に親しむきっかけになり、ついには青年海外協力隊の一員として、南米のバルベルデ共和国で活動することにつながったのだから、人生とは不思議なものだ。
ティーンエイジャーだった美鈴は、自分自身と政治について考えることもほとんどなかった。学校で習う社会の知識も、その心に火をつけるほどのものではなく、時間は静かに流れていった。
美鈴が左派に傾倒したのは、大学生になってからだった。美鈴は高校を卒業して、東京の某私立大学に進学、そこの社会生活学部で管理栄養士になる勉強を始めた。大学という、今まで通ってきた学校とは異なる世界は、なにもかもが新しく見えた。
そう、なにもかも。18歳だからまだ口に出来ないが、酒もタバコも手の届くところにある。パーティーもある、怪しげなことをしている男女もいる。新しいことだらけの世界に戸惑いを隠せない美鈴の前に、白馬の王子が現れて、美鈴は彼と恋仲になった。人当たりが良く、みんなのリーダーだった。彼は欧米のことを良く知っており、上手な英語と中程度のフランス語を話すので輝いて見えた。
美鈴はその男の友人が左派系の平和運動団体にいることを知り、深く考えずにその一員になった。大学には多くのサークルがあり、新入りはどこでも歓迎されたが、怪しい団体があることも事実だった。合唱サークルが実は宗教カルトだったとか、社会問題について考えるサークルが、日本の2大過激派組織の関連団体だったとか、危ない話はあることにはあった。幸いにも、美鈴が加わった団体はまともだった。
その団体は平和を推進する運動と称して、憲法9条の啓蒙活動や発展途上国への募金、時にはデモなどをしていた。世の中には、過激な行動を選ぶとか、政府や右派への対決姿勢を前面に押し出すような、『戦う』左派団体もあるから、それらに比べればのんびりした団体だった。世の中のためになにかしたいが、過激な行動は嫌だという人間たちが集まっていたから、そのゆるさが美鈴を惹きつけたのかもしれない。
美鈴は彼氏との目くるめく時間を過ごした。彼の言う、日本政府の軍拡政策は間違っている。世界の平和のためにとか、差別のない世界を作ろうという言葉がそのまま美鈴の精神に染み込んだ。幸せな彼女はそれを疑うこともなく、彼と同じ言葉を叫んでは心の底から満足した。
続く
この作品は小説です。「バルベルデ」は映画「プレデター」や「コマンドー」に登場する架空の国です。
に、この小説との関わりを書いてあります。
また、
「大学には多くのサークルがあり、新入りはどこでも歓迎されたが、怪しい団体があることも事実だった。合唱サークルが実は宗教カルトだったとか、社会問題について考えるサークルが、日本の2大過激派組織の関連団体だったとか、危ない話はあることにはあった。幸いにも、美鈴が加わった団体はまともだった。」
というのは事実に基づいたものです。日本の2大過激派組織の関連団体というもの、そうです。
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