「対話」についての対話
日本イエナプラン教育協会研究部のメンバー4人で、「対話についての対話」をしました。
4人中2人は、現在オランダ在住だったり、過去にオランダに住んだことがあったりしたので、自然とオランダと日本を比較することとなりました。話をしてみて、さらに他の国ではどうなんだろう?と探究心に火が付いたので、今後はアメリカやベルギーなど友人たちが住んでいる国の「対話」についても学びを深めていく予定です。
オランダには、対話をするという文化が本当によく根付いていると感じます。意見は意見として表明し合い、それをあなたはそう思ってるんですねって素直に受け止めます。賛成とか、反対とかに拘らないし、日本のように質問することや意見を言うことに、躊躇をしていないイメージです。オランダで学校に行った時に、先生たちが3,4人で話していたが、とにかく、Noという言葉がたくさん出てきて最初は驚きました。それって日本語なら、「いやいや違うよ!」とか、「いやいやそれは!」みたいな言葉だと思います。日本人はそんなに会話の中で「いやいや」とか言わないし、言えないような気がするんですよね。
オランダは興味があれば質問するし、自分の思っていることを知ってくれ!あなたの思ってること教えてくれ!と、関心をもっている感じがします。話の脱線がめっちゃ多いです。笑
「私」を主語に伝えるというのが大事なのでしょう。何か正解があると思って、その正解にもとづいて言っているのではなく、「私」がどう感じたか、を大切に、当事者同士がその気持ちに基づいて話している感じがします。こうするべき、みたいな概念出発の会話はない印象です。
日本の場合は、日本は意見を出し合って、受け入れ合ってを大切にしているが、あんまりそこから深まっていかない、続かない印象です。同意する時は示してくれるけれど、「本当にそうなん?」って思った時は言わないイメージです。反対したり、話が長くなるのが悪いと思ってるのでしょうか。
学校でも、対話を学力の為にしなきゃ!という感じで、楽しいから対話をしよう、という感じではないのかもしれません。そもそも、人と人との関係性が大事、という土壌が出来上がっていない気がします。関係性ができてないと、意見というつもりで言ったが、否定的だととられてしゅんとされたり、怒られたりするので、意見が言えなくなってしまいます。
なぜなのでしょうか?
ストレスを抱えているからなのでしょうか?
みんな、一つの「正解」を求めてしまっているからなのではないでしょうか?だから、対話が「正解探し」のようになってしまう。お互いがこういう考えなんだね、で終われず、「正解」にどちらが近いか、というマインドになってしまう。
さらに、競争マインドが浸透しすぎている気がします。だから、お互いの違いを生かし合おうとはならず、対話もマウントを取ろうとする人が出てきたり、より正解に近いのはどちらか、で競争になってしまう。
そもそも、私たちの中に、競争までいかなくても、相手と自分を比べて、相手を意識しすぎてしまうマインドもあります。自分の失敗や足りないところをポジティブに捉えることができないように育ってきてしまっています。小さい頃から「正解」により近づくように育てられてきている・・・大きな弊害な気がします。
ここまでオランダと日本を比べてみて、オランダには「人はそれぞれ違う。みんな違って当然。」という感覚が、当たり前にあるということが分かりました。イエナプランに惹かれている私たちは、正解探しをしたり、他人と自分を比べたりせず(比べたとしても、自分は自分、相手は相手、と一度完結して)、自分らしく生きたい、より楽しく、喜びをもって生きたい、と感じています。対話をすることで、自分の考えがより明確になったり、変化したりすることを楽しみたいと思っています。子どもたちに対話の大切さを教えるならば、まずは自分たち大人から、とも思っています。これからも、対話の練習を続けていくとともに、対話を楽しみたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?