青き海のこころ〜映画の中のジュエリー・装身具〜
お酒が飲める年になった頃、お気に入りのお店がいくつかあった。
そのうちのひとつは、ひっそりと地下へ降りてゆく石の階段と、仄明るい間接照明が絶妙な、隠れ家的ダイニングバーだった。
壁面の大きなモニターは、いつも『タイタニック』と『ロミオ+ジュリエット』を無音で交互に映し続けている。
ともに有名で人気も高い、王道のラブストーリーだ。
劇場公開から何年も経っていたが、「恋愛ものなんて安易でダサくてつまらない」と思っていた当時の私は、それらを物語として観たことがなかった。
映像美もディカプリオの整った容姿も、「単なる背景」でしかなかった。
…そのはずだったのに、繰り返し繰り返し映像が視界に入るうちに、とあるシーンがじわりじわりと気になりだした。
ふくよかな裸体に首飾りひとつだけを纏ったローズを、真剣な眼差しのジャックがデッサンするというシーン。
油彩を専攻していた私にとってヌードデッサンは さして珍しいものではなく、ラブシーンとしても特に目新しさは感じない。
ただ、たったひとつの首飾りがプラスされたことで、物語は彩りを増した。
追憶の美しいシーンと、年老いて100歳にもなった皺だらけのローズとの対比。
それにも関わらず、まったく形を変えず輝きの衰えないブルーダイアモンドの首飾り。
首飾りは親が決めた金持ちの婚約者からローズへ贈られたものだった。
愛のない贈り物は、ローズとジャックの逢瀬の記憶を閉じ込めたタイムカプセルになってしまう。心が通じ合ったあのひとときが永遠となったように、宝石の美しさは失われず色褪せることもない。
贈り主が別の男であるのに、人の世界は時としてこんな皮肉なことも起こってしまう!
人の思いを乗せて、何年も、何十年も、場合によっては何百年以上も、関わった人々がこの世から去ってしまっても、宝石はこの世に留まり続けてしまう。
それにジュエリーとは、肌に直接つけるものでもあるのだ。衣服などとは違って、体温が移ったり汗や皮脂がついたりもする。
生身の人間にもっとも近い存在だ。
そんなことに気づいた夜、ひっそりと石の階段を地下へと降りてゆくその店が、まるで秘宝の隠し場所のようにも感じられた。
私が作りたいもの、表現したい世界。
もの作りに人生を費やしたいとは思って絵を描いていたけれど、ぼんやりとしたビジョンしか見えない日々。
さまざまな創作に触れることで、それが少しずつ形を成していった。
『タイタニック』に登場する宝石「ハート・オブ・ジ・オーシャン」は、大粒のブルーダイアモンド。翻訳では「碧洋のハート」で、最近の吹き替え版では「青き海の心」と呼ばれていた。
そのモデルは、現在スミソニアン博物館に所蔵されている『ホープ・ダイアモンド』ではないかといわれている。言わずと知れた、世界一有名なブルーダイアモンドである。
映画など架空の世界でなく、こんなものが実在するということに驚嘆する。
数百年という歴史や時間を飛び越えて、昔も今も変わらず輝いている。人の一生より長くこの世に存在して、人を魅了し続ける。
なぜこのようなものが在るのだろう。
ところで、私はこちらのブルーのほうが、より「碧洋のハート」のイメージに近いんじゃないかなと思っている。
ホープと同じく、スミソニアン博物館のハリー・ウィンストン・ギャラリーに展示されている『ウージェニー・ブルー・ハート・ダイアモンド』だ。
こちらは発見されてから100年ほどしか経っていないので、宝石としてはまだまだ若手。これから数々のドラマを生み出すのかもしれない。
(でもそのためには、怪盗に盗まれ歴史の表舞台から一旦消えるとか、ドラマティックな出来事が不可欠かも…?)
さて、本日4月16日はタイタニック号沈没の日、今年は111年目だそうだ。
史上最も有名な海難事故で、決してロマンティックな出来事ではない。
このnoteは、あくまでも創作物である映画『タイタニック』にまつわる私個人の思い出である。
画像引用元
https://eiga.com/amp/news/20171205/12/
ハリー・ウィンストン・ギャラリーの記事
https://www.fujingaho.jp/lifestyle/fashion-jewelry-watch/g33517173/harrywinston-200811/