no.12 立派な不登校児が変わったきっかけと、大人になって自分を振り返ってみたら分かったこと。

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⚠︎これは、どうしても学校が好きにはなれなかった人間が書いています。多少偏った意見になっていますので、ご了承ください。
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今日はずっと自分なりに書いてみようと思っていたトピックです。あくまで一個人の意見ですので、温かい気持ちでご覧ください。

つい先日Twitterのトレンドで、不登校児が増えているというトピックを見かけました。
新学期の子供の自殺率も高いですよね。
イヤイヤ期の登園拒否から始まり、小学校〜中学校と、立派な不登校児だった25歳社会人が自分の経験を踏まえた意見を発信してみようと思います。

3歳の時、幼稚園に入園しました。家から徒歩2分 まさに目と鼻の先にある幼稚園。お友達もたくさんいました。それでも母親から離れたくない!という一心で毎朝泣きじゃくり、必死に連れて行かれました。

小学校に上がってからは、近くの保育園卒の子たちや同じ幼稚園から上がった子達に囲まれます。以前も書いたように、6歳とは思えないほどいじめられます。いじめたりもします。
カーストも出来上がり、一緒に虐めてないと省かれるため逃げ道はありません。それでもある朝突然その標的は自分に変わっていたりします。
クラスは27人と少人数なので、もちろんクラス替えもありません。しかも女子は10人しかいないのでそれはそれはもう大変でした。

そんなこんなで、小学校では行ったり行かなかったり、保健室登校と教室に通う期間を繰り返します。自分で勉強もしました。悲惨なクラスだったけれど、男女問わず友達も本当に数人ですがいました。たまに教室に通っていた時期には、みんなで公園で遊んだり、仲良しの友達と一緒に習い事を始めたりと、時々不登校だけどいわゆる普通の子供らしい生活もしていました。が長くは続きません。

中学校は受験して入った中高一貫校だったのですが、そこでもまた躓いてしまいます。
いじめはありませんでした。それでも入学からたった3ヶ月ほどで行かなくなりました。

そんな私が大人になってから気づいた原因があります。イジメよりなにより私が嫌だったのはきっと、『予定や規則で埋め尽くされた時間』と、『興味のないことでも、みんなと一緒に協力して完成させるという一致団結の世界観』だったのではないかと思います。

小学校 朝7時58分の目覚まし占いを12位までギリギリ見たらもう登校の時間です。
1年生では4時間 2年生からは5時間〜6時間
決まった席で決まった人たちと授業を受けます。晴れた日は外で中休みを過ごさなければいけない。
その後は番になって給食の時間。残したら昼休み返上で、食べ切るまで嫌いな物の前に座り続けます。
午後の授業を受けて、みんなでお掃除して帰りの会をしてやっと帰路に着きます。
帰った頃にはもう夕方。朝起きから長い長い1日を終えて帰宅したら宿題です。夕飯を食べたらもうお風呂の時間、あっというまにそろそろ寝なさいと言われる時間…また朝起きたら同じ繰り返しです。
変わるのは授業の内容と給食の献立くらい。
遊ぶ時間ももちろんありますが、それはあくまで「決まった時間に、決まったクラスメイト」と行われます。

ただでさえちょっぴり窮屈な生活に、クラス内でのいじめやらなんやら、場合によってはクラス替えで仲良しの子と離れたりもします。

小学校って同じ歳の子供が集まって出来上がった小さな社会なんです。公立の、本当に普通の地域の学校でしたが、そこには立派な社会が出来上がっていました。

今文字に起こしていても、小学生の生活ってちょっと過酷すぎると思います。17年ほど前に小学生だった私の時代の話なので今はもっといいのかな?それともIT教育も始まってもっと大変なのか…?

中学校に上がるともっとひどくなります。
算数が数学になったり、古文なんて昔の文章まで勉強しなきゃいけなかったり…どんどん授業は複雑に。同い年の関係性はもっともっと複雑になります。
小学生だった子供たちは成長し、思春期で変化しやすい顔つきや身体。容姿によるいじめはさらにエスカレートします。
仲良しでグループが構成され始めます。
陰キャ陽キャの区別まで出てきます。

それでも生活は変わりません。変わらないどころか制服なんてものまで登場します。
登校時間は早くなり、毎日6時間授業が普通になり、土曜に授業まで…部活やらなんやらで帰る時間はどんどん遅くなります。
仲良しグループの「遊び」にも出席しなきゃいけません。
見たいテレビもやりたいことも増えるのに、時間は減っていく一方です。

社会は構成され続け、年に数回イベントにも出席しなければいけません。どんなに興味がなくても、苦手でも、そのイベントのたびにクラスみんなで協力して準備しなきゃいけない。
体育祭 文化祭 合唱祭 こんなののどこが祭りだよと思っていました。
難しくなる勉強、それに加えて定期テストまで始まります。赤点をとったらまずいし、成績を上げなきゃいけなかったり、少なくとも一定に保つ努力はしなきゃいけません。

メイクは禁止です、スカートをあげるのもダメ。アルバイトも禁止です。他の世界を見る機会はみんなに平等にあるわけではないですし、その社会しか知らず嫌になってしまう子が出てくるのも当然では…?と思ってしまいます。

こんなとんでもなく小さな社会でのとんでもない生活を一日 一週間 一学期 一年。6歳から15歳まで。9年間かけてその生活や小さな社会に順応していくのが普通なのでしょうが、一回くらい登校拒否したくなったりずる休みしたくなるのは当然だろ!と言いたくなるような日々。教室という異質な箱に詰め込まれた子供たちの社会は、大人が思うよりももっと悲惨なはずです。

まだ6歳〜15歳。これから先出会う人の多さやこれから先の自由な世界を知る機会もないまま、この社会しか、私の世界にはないんだ と絶望する子供たちの気持ちが、私にはよくわかります。

学校にちゃんと通って、ちゃんとクラスでの活動も部活動もするのには目的がありますし、協調性はしっかりと身につくと思います。
でも協調性なんてものは大人の社会に出て、会社で苦手な人とも円滑に進行していくために必要なもので、プライベートで協調性が重要だとはあまり思わないのです。無い人はないですよね。仕方なく嫌いな人と仕事上の付き合いをこなすのは一緒です。でもそれは会社での話。

友達が100人欲しい人、いればいるだけ良いんだ!と思う人。友達なんて気の許せる数人がいてくれたらそれで幸せだと思う人。人それぞれです。
協調性は高ければ高いほど良いのでしょうが、ある程度あれば良いと思います。

規則正しい生活を送るためにも、学校にちゃんと通うことは望ましいですね。朝起きてちゃんと夜寝るのは子供の成長にも欠かせませんよね。
でも、毎日欠かさず学校に行ってさえいえば良いのか?ちゃんと毎日しっかり教室というあの壮絶な社会に出ないと協調性や規則正しい生活や知能は身につかないのか?とも思ってしまいます。もちろん義務教育なので、しっかりこなすに越したことはないかもしれませんが…。

大人のように、私生活と学校の間に明確な仕切りを見出すことが、私には出来ませんでした。

ちなみに私は不登校だった時期に、自分は学校に行かなくても良いんだと思ったことは一度もありませんでした。義務教育だから絶対に行かなきゃいけないのもわかっていました。

学校に行かなければいけない、ちゃんとした大人に成長させなきゃいけないという親の気持ちを上回るほど、私は学校に行きたくなかったです。
毎日学校を休むたびに、「あぁまた親を困らせている。自分だけ他の子と同じように振る舞えないダメ人間だ」と思っていました。

我が子がいじめられたり、学校に行きたくないと言い出したら、なんでうちの子に限って…と思う親御さんがほとんどだと思います。ましてや自分が子供の頃に小学校や中学校での生活を楽しんで過ごせた方は、学校に通うだけだろ?何がそんなに難しいんだ…と悩まれるかもしれません。
でも、子供も一緒だと思います。なんで私に限ってこんな目に?なんで私は他と同じように過ごせないのかと負い目に感じ、何がダメなのか悩み、自分の将来に絶望し、罪悪感や自己否定でいっぱいになり、真っ暗な世界に閉ざされた気分になります。

『真っ暗な世界』のイメージとしては、学校に行くという高い壁と生きるために逃げるという2つの高い壁に囲まれている感覚。
どちらもたまらなく怖いけど、私は逃げるという道を選択して、壁を超えて、不登校になりました。

そんな私が中学3年生になって、突然不登校をやめ、そこからはいわゆる普通の子と同じ生活を送れるようになったのにはざっくり2つのきっかけがありました。

一つ目は、高校受験なんか絶対にしたくなかったから。中高一貫校だったので、高校進学のためにはちゃんと通うしかなかった。自分の学力じゃ今よりもっと悲惨な人生を送ることになるとわかっていたから、その選択だけは避けた という感じでした。この場では、面倒くさがりな性格が吉とでました!本当にめんどくさがりだったら不登校なんてやらないのが一番でしたが…笑

二つ目は、学校という社会以外にも、外にはもっと広い世界があると知ったこと。ダンスを習い始めたことをきっかけに学校以外にたくさん友達ができて、自分が好きなこともできた。たとえ学校で1人ぼっちでも、ここにくれば好きなことが一緒の友達もいるし、ダンスができる そんなことに救われました。

『好きなことに夢中になるのは楽しい』
『学校だけが、私の生きていく世界じゃない』
という単純なことに気付くまでが遅かったんです。
25歳になった今私が思うのは、
自分を鍛えた方が楽だということにもっと早く気づけば良かったということです。

5年後10年後、急に世界中が優しい人で溢れかえって、誰もが幸せなあたたかい世界になることはありません。子供にとっては悲しい未来かもしれませんが、これが真実です。

誰かに変われと言われても、結局自分で何かに気づいて腹括って覚悟が決まった瞬間にしか、人は変われないと思っています。

『自分なりに自分を鍛えて、自分の幸せや楽しみを見つけて、人を傷つけないように生きていくことが一番楽』『人を変えることは出来ないから、自分が変わった方が楽だし、ある程度いろんなことを気にしない』ということに気づいたらある日突然肩の荷が降りて、もうこれ以上絶望感に打ちひしがれるのはやめようと覚悟が決まりました。

私の場合はダンススタジオに通ったことをきっかけに、物理的に嫌いで仕方なかった『朝の時間』や『詰め込まれた学校での生活』もいつのまにか頑張れるようになっていました。今までの生活が嘘のように学校に通えるようになり、ちゃんとイベント事にも出席し、いわゆる普通の生活を手にできていました。

だれかの一言や出来事をきっかけに意識し始めて、自分自身で納得した瞬間から急に、自分の生きている世界の見方が変わりました。

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一年のほとんどを占める学校で過ごす時間。
その中にではなく外に、どれだけ楽しみを見つけられるかが一つのキーポイントだと思います。
それをその子が見つけられるように手助けしてあげることが『行きたくない』と打ち明けた子供へ、親ができる最善のことなのかもしれません。

何か好きなものがあるなら、その世界を広げてあげる。無いなら見つけるお手伝いをしてあげる。習い事や推し事にしても、子供は親の金銭に頼るしかありません。だから子供には責任を持ってちゃんと好きなことを向き合って、全力で楽しみなさいと言ってあげたらいいかもしれません。
やりたいことと、やらなきゃいけないことのバランスをしっかり取るように教えてあげてください。

大人になったらどんなに楽かを伝え続けみるのも良いかもしれません。
自分の容姿が嫌いでも、服で隠せるしエクササイズもできるし、メイクで可愛くもなれる。
好きな時に好きな友達に会える
お昼休みに好きなものを食べられる
休みの日に自分のお金で好きなように過ごせる。
嫌いな食べ物は抜いたら良いし、いざ食べなきゃいけないなという場面でだけ頑張って食べたら良いし、アレルギーなので…と大嘘をついてどうしても嫌いなら食べなきゃ良い!

こんな大人になったら当たり前にできることや逃げ道が、義務教育中の子供にはないんです。

それでもたぶん、不登校の子供に大人の楽しさを伝えても響きません。今その子が生きてる世界はそんなに広くないですから。それでも伝えて続けてみたら、学校に行きたくなくて自殺するという、子供にとって最悪の選択は防げるかもしれません。

そして、行かないと言った子供に対して責めるなとは言いません。時には怒りに任せて叱ってみたり、喧嘩してみたり、そんなことも必要です。愛情があれば心配になるのも無理ありません!心配でたまらないよ と泣いても叱っても良いと思います。なんだか子供なりに、パパママも人間なんだな〜と実感します。愛されているなと。
でも、話を聞いて寄り添ってあげてください。どんなにケンカしても、家族が常に味方であることを伝え続けてもらったから、私は今25歳まで生き延びられました。

それが必要なのはざっと高校までです。
高校ぐらいまで来るともう人数が増えて気の合う友達とも出会えるし、お弁当だし、ちょっぴり希望の光が見えてきます。いじめられても推しがいたらなんか大丈夫だったりもします!推しの力は偉大ですから。

大学や専門学校に進んでからは、物理的にも精神的にも、とっても自由になります!
時間の縛りもある程度はなくなり、大人と大差ない生活になりますね。

私も高校までは学校を好きになれませんでした。でも専門学校に進学してからは、自分の興味がある事について好きなだけ学んで良いという最高な環境ですし、自分の好きな自分の姿で通って良いし、ある程度楽しく好きなことして生きていけたので、アルバイトもやらなきゃいけないこともほとんど苦にならず、皆勤賞でした。


私の母は共働きで、本当に忙しく過ごしていましたが、話をたくさん聞いてくれて、不登校であることを責めることはあまりしませんでした。
「これから先の人生は困難の連続かもしれない、でも、あなたは自ら困難な道を選択しているのだから、後になって後悔しないようにたくさん学びなさい」と言われました。
我が子が困難な道に進もうとするその背中を、そっと支えてくれる強さを知りました。

こんな偏った元不登校児の意見は、誰の役にも立たないかもしれません。それどころか誰かを不快にしてしまうかもしれません。

でももし今

愛する我が子が不登校に苦しんでいるのにどうして良いか分からないという方がいたら
どうやってこの生活から抜け出したら良いか分からず、最悪の選択をしそうになっている子供がいたら
このnote.を見て、少しだけ楽になったり思い詰めなければ、ほんの少しでも向き合い方の参考になれば幸いです。

こんなちゃらんぽらんでも、教室にちゃんと行ってなくても、私は今好きな仕事をして、大人に付き纏う自由とその代償に一喜一憂しながら日々生きています。時に楽しく、時にはあぁもう最悪だ死にてぇ!と嘆きながら。いろんな世界を、社会を生きています。ということが伝われば幸いです。

全国の不登校に悩む子供たちへ。

意外とこの世に不登校の人はいるから大丈夫!
まずは自分の好きなものや好きなこと。あれこれちょっと楽しいかも?くらいの小さなキラキラを大切にしてください。そしてそれを追求したいと思った時、行動できた時、その裏には周りの人の全力でのサポートがあることを絶対に覚えていてください。感謝する気持ちを忘れずに、全力で何かを楽しんでみてください!

違った時は、なんか違ったなと学べたらそれでオッケーくらいの気持ちで、いろんな"スキ"を持っていよう。

そして、晴れた日は太陽に当たりましょう。
家のベランダに出て、そよ風に吹かれてください。これは本当に大切だよ、なぜか。

物理的に嫌になったら、もういっそのこと外国に飛び出すのも手ですよ。はじめの一歩はとんでもなく大きな勇気が必要だけど、応援してくれる人がいる場合は、そのくらいの気合と覚悟を持ちましょう。

過去は変えられないし、未来は選べないけれど、今その一瞬一瞬にできる最善の選択ができますように。
逃げるは恥だが役に立ちます。
大丈夫、どうにかなるから。
世界は一つでも、いろんな見方ができるんだ

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