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ドフトエフスキー「悪霊」の読書感想文

ドフトエフスキー「悪霊」を読みました。はじまりのステパン氏の外伝は退屈です。それを乗り越えてワルワーラ夫人の息子ニコライが青年になる頃から面白くなります。
冒頭に掲げられたプーシキンの詩と「ルカ福音書 第8章 32ー6節」から予想される無神論者や無政府主義者たちの群像劇は予想以上の面白さでした。社会を変革する事を目論む若者たちは議論を重ねながら、水辺へと向かいます。
第二部にニコライのシャートフに向けた象徴的なセリフがありました。
「兎のソースを作るためには兎か要る。神を信じる為には神が要る」
無神論者ニコライらしい言葉です。それが後々の布石になります。
ニコライを担ぎ上げるピョートルは賢い人物です。しかし、協力者たちを完全に掌握している訳ではありません。協力者たちの目利きを間違えて、その僅かな綻びから歯車が狂いだし、最悪の悲劇に繋がっていきます。リーザは群衆に担ぎ上げられました。シニカルに溢れた作品です。彼らの発言や行動から当時の社会情勢が非常に不安定さが伝わってきます。
プーシキンの詩と「ルカ福音書 第8章 32ー6節」はステパンが福音書について述べるところでその印象が大きく変わりました。それでもステパンの発言には抽象的な部分は残ります。彼はどこまで聖書の教義を受け入れたのでしょう。複雑で単純には割り切れない登場人物たちだからこそ面白い。
新潮文庫版では「スタヴローギンの告白」は巻末に収められています。これを第三部第一章の部分に置くかは難しい判断です。私はミステリアスで陰のあるニコライが好きなので巻末派です。しかし、ニコライは悪魔的な人物ではなく、葛藤を抱えながら迷い悩む、悪霊に取り憑かれた人物である事を説明する大切な章でもあります。どちらが良いのか思い悩むのも楽しいことです。
小説を描くことを志望していた椎名麟三は「悪霊
」を読んで小説の描き方を学んだと自叙伝で書いています。確かに作家である私の視点で描きながら、後で取材した事にして三人称で描いているこの作品を読んていると自分でも小説を描きたくなります。過度期における混乱した状況で大きく揺さぶられる感情の機微を描く。ドフトエフスキーの名前だけで文学作品を読んでいる事が他人に伝わる。そんな重厚な作品です。
#読書感想文
#ドフトエフスキー

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