「書くときの道具」
時代と共に書くときの道具は変わって来た。
ワープロが普及するまでは、原稿用紙に、ボールペンか、万年筆で書いた。
次にワープロである。
最初は、ノート型ワープロであった。
キャノンのものとNECのものを購入した。
キャノンは、非常にが打ちやすく、液晶は本当に小さかった。小さな文字で6行くらいを見ることができた。これで、非常に打ち込んだ文字の全体像がつかめ、助かった。難点であったのが、内部メモリーが極端に少なく、外部メモリーのフロッピィディスクへの書き込み保存の機能が付いていなかった。
だから、内部メモリーいっぱいに書くと、そこでプリントアウトをして、書いた文章を保存した。最後は、プリントアウトした沢山の原稿用紙を見て、校正、推敲をし、青書としてまた打ち込む作業が必要であった。
それなら、ワープロをわざわざ使わず、最初から、原稿用紙に書いた方がいいだろう、という話になるが、自分が書いた文章が手書きと活字では受ける印象が全く違う。
活字にした方が、一度、文章を自分から引き離し客観視することができたので、活字にするために使っていたようなものだ。このワープロは友人に差し上げた。
NECのノート型パソコンは、外部保存の機能があり、書いたものを、フッロピィーディスクへの書き込み保存ができた。
だから、作品ができて初めてプリントアウトをすればよかった。
そのワープロの難点は、機能が多すぎること。
液晶画面は大きいのだが、暗かった。
さらに、キーボードが打ちずらく、思考する速度で打ち込むことができなかった。これは、購入して失敗したと思った。これは弟にあげた。
弟は、驚くことに、創作には使わなかったが、そのワープロをメモ帖代わりに使い、必要な大切なことを小まめに打ち込んでは、きれいにプリントアウトし、ファイリングしていた。その後、5年以上、型が古くなっても弟は使っていた。完全に使いこなしていた。愛着があったのであろう。
その二台でノート型のワープロを使用することは最後であり、以後使わなかった。
前から欲しいと思っていた、富士通のディスクトップ型の小さなCRTが付いている、ワープロを購入した。
これは、親指シフトであった。慣れるまで苦労したが、親指シフトは慣れると非常に使いやすくキーボード操作は円滑だった。
そのワープロには、使用目的に応じてシステムを変更するフロッピーディスクを差し込むところが一つ、それと並んで外部保存のためにフロッピーディスクを差し込むところが一つあった。そのことによって、文章だけでなく、簡単な図形を書くことができた。
このワープロは、10年以上使用したと思う。
その頃から、ネット時代に入り、パソコンが普及し、パソコンを使うことが当たり前となった。段々とワープロは姿を消し始めていた。
ウインドウズ95が主流となり、わたしは、友人から勧められ、ゲートウェイのディスクトップとノートパソコンを購入した。信じられないだろうが、ノートパソコンは58万円もした。
まだまだ、常時接続は一定金額ではなかったので無理だった。
プロバイダーは従量制と言い、ある時間まで一定だが、その時間を過ぎると、課金されていった。その他に電話料金を取られ、多額の請求書が来た。
わたしは、書く作業は、ディスクトップパソコンで、椅子に座りながらした。ネットは、ベッドに寝転びながら、ノートパソコンにネット回線へのモデムを差し込み、検索や掲示板の書き込みを読んだりした。
日本での日本語によるネット整備は遅れており、欧米のサイトを使った。英語を使用した。
それ以後、ノートパソコンで、ワードを使って書くスタイルになっていった。
現在は、ディスクトップパソコン(レノボ)、ノートパソコン(LG・軽くて持ち運びに便利であるから)、ipad、その他としては、書くこと専用の
ポメラ25を使用している。
原稿用紙とペンというスタイルは消えた。
紙のメモ帖はよく使う。
思いついたことを、手で書いた方が早く便利な時があるからだ。
しかし、最後はパソコンに打ち込み、文章ファイルとして保存しておく。
ワープロ、パソコンの使用経歴を考えると、それと共にわたしは、齢を取ったものだなあ、とつくづく思う。