「生まれ変わりはあるのか」
我々、この世に生まれてきたものは、絶対に死ぬ。
これが、自然の摂理である。
死を経験して生きている世界へ帰って来たものはいないので、死がどんなものであり、どうなるのか、具体的に知ることはできない。
よく、死ぬと「死後の世界」があり、そこへ行くんだという考えを持った人がいる。わたしは、もちろん、死を経験したものではないので否定はしないが、肯定もしない。ただ、そういう考え方もあるのか、と思う程度である。やはらと「死後の世界」について詳しい人がいる。例えば、我々は死ぬと肉体は滅びるが、魂は生きる。それは、ひとつのエネルギー体であり、生きている時のような三次元空間ではなく、思った瞬間にそこの場所へ移動できる。そして、失った家族、親類、親友たちと出会うことができる。そこの場所は非常に居心地がよく至福の空間であるという人がいる。
それを聞くと、やけに想像力がたくましいなと思うとともに、よくまあ、そんなことを筋道立てて考えたなあと感心してしまう。
わたしは、臨床医の父から教わったように土へ帰ると考えている。
すべての一切を失い、滅び、土になるのである。
わたしは、今、世の中では年寄りの部類に入るが、死を身近に感じたことはない。数年たてば死ぬ、どういうことが自分を待ち受けているんだろう、最後の体験だ、ぐらいにしか思っていない。
三十代の頃は、実存不安が強く何年にもわたり、しつこく死について考えたり、死んで無になるんなら、なぜ、今生きているんだろう?と、生きる意味の問いにとりつかれていた。
最後に出したわたしの結論は、喜ぶために生きるということだった。つまり、苦しむために生きているのではないということだ。
考えすぎ、疲れ、その辺りでその問いは放棄したのである。
ここ「note」に参加している人は、死についてどう感じているのであろうか?医師に聞くと、人生100年時代と言われているが、だいたい、人の生とは、80年ぐらいであろうと言っていた。80歳になったら長生きをしたなと思えばいいのである。70年では短命な方だろう。
わたしは、体中がわるい。
脊柱管狭窄症なので、腰と足が悪く、思うように歩けないことがよくある。肝臓の機能も悪い。不眠症は重度である。病気と共に生きてきた気さえするぐらいだ。健康という言葉からは、わたしは縁遠いであろう。
妻はどうであるのか?
妻は、わたしより年上である。年上女房というわけだ。
妻は、スピリチャル、精神世界、占い、死後の世界、生まれ変わりを信じている。
わたしは、全く生まれ変わりを信じていないので、妻だけが生まれ変わることになる。わたしは、土になっているだろう。
どうして、死後の世界や生まれ変わりを信じる人、信じない人の差異が生まれて来るのであろうか?
わたしは、自然科学と哲学しか信じないせいかもしれない。
わたしは、できるなら妻より早く死にたい。妻がわたしより早く死んだらわたしはどうなるのであろうか?
困ってしまう。
本当に、何もかにもわからず、困ってしまう。
夫婦とは、そういうものなのだと思う。