「猛暑と人の生き方」
この暑さはいつごろまで続くのであろうか?
暑いので自宅は使う部屋はすべてエアコンはつけっぱなしだ。
妻が言うには電気代が非常に高額だという。
そうはいっても熱中症になったら大変なので、エアコンをいれるしかない。
わたしが、大学生の頃、一人暮らしがしたくてアパート暮らしをした。
わたしのお願いで、エアコンとテレビ、洗濯機はいれないことになった。
夏の暑さは、小さな扇風機で過ごした。
暑くてもじっとしていれば、そう暑いことはないと身をもって感じた。
運悪く、高田の馬場の学生街にある安い定食を食べに行った。多分、暑さで食べ物が痛んでいたのだろう。食中毒になってしまった。体温が39度で激しい嘔吐に襲われた。布団の上にひっくりかえり、息をするのがやっとであった。何も食べずに水だけで4日間過ごした。立ち上がるとふらつきが激しく真っすぐに歩けないほどであった。大学へ行き、友の顔を見るとホッとしたことを覚えている。友から元気をもらったみたいだ。
わたしが、幼い頃は、まだラジオが普通であり、テレビはお金持ちの家にやっとあるくらいだった。
電機は、いまのように使い放題ではなかった。
従量制と言い、使った分だけ請求が来る。そして、夜の7時になると電気の配給はとまった。提灯にろうそくの世界であった。
当時は、今と違い夜遅くまで起きている人はいなかった。昼夜逆転の生活をしている人もいなかった。
それでも、人はきちんと生き、労働することができた。
このころは、高度経済成長の頃だったと思う。まだ、新幹線もなく、高速道路もなかった。
だんだんとテレビが普及し、わたしたちの家にもテレビがやって来た。
白黒テレビで映りは悪かった。
手で回転式のダイヤルを回してチャンネルを変えるのだが、テレビ番組は2つしかなかった。いつも、ニュースの放送ばかりで、出て来るのは政治家だけだった。祖母は、テレビのニュースや相撲が好きでよく見ていたが、両親はあまりテレビの前に座るということはなく、新聞を読んでいた。
シャンプーはなく、石鹸は泡立ちが悪い固形石鹸だけであった。
洗濯機はあったが、脱水機はなかった。
歯磨き粉は、金属のケースに粉が入っていて、その粉を歯ブラシにつけ、歯を磨いた。
わたしの幼年期はそんな時代であった。
だから、今、便利なものが多いが、そういうものをわざわざ購入しなくても、立派に生活できた。不自由なことはなかった。
今では、沢山、便利なものができ生活スタイルが変わった。
それだけだけではない。人まで変わってしまった。
これが一番残念なことである。