いよいよk先生に診て頂く日、どんな先生だろうと期待しながら主人と病院へ。 私を見られて診察までに直ぐに、貴女は精神疾患では無いですよ。これは病気ですからね。と優しく声をかけて下さいました。私にも診せて頂寝ますか?と凄い低姿勢!この様な先生初めて! そこでビデオを取りながら診察してもらい、別の日にMRIを撮ることに。これ迄通り医療センターにもかかって下さい。そして私にも診せて下さいと。 次の予約の日にMRIを診て細かい検査をしたいから、遠いけどt大迄来て下さいと言われ行く事に
市立病院を紹介され、又もや検査入院。 そしてやはり病名は分からないものの、スティッフパーソン症候群(SPS)の疑い。という事で以前から飲んでいる沢山の薬は変わらず。 最初に診てもらった先生は直ぐに転勤されてその後は研修医の若い先生にお世話になりました。その先生がとても良い先生で凄く我儘を 怒ることなく大声も出さずに、丁寧に説明して下さって。 筋電図を撮る時に念の為にパルスオキシメーターを付けていたら、途中で発作を起こし、酸素濃度が50台迄低下。先生慌てて誰か部屋に居ないか
2115年の10月頃かな?スティッフパーソンの会 で知り合った方が、通われてた病院を教えて頂き、予約を取ろうと電話をしたら紹介状と、病院を通しての予約が必要ですと言われました。 悩みましたが精神科の先生にお願いすると、快く引き受けて下さり、その場で書いて予約も取って下さいました。本当に良い先生でした。 先生も病名が何とつくか興味を持たれてましたので。それとステロイドを使わないといけない 状況というのが分かっていても、精神科では出せないから神経内科で診て貰わないとと思われてい
4からの続きです。 武田病院に入院したものの、依然として口から食べるのは無理で、先生からも何も言われず放置状態。後になって言われたのは、お見舞いに来てくれた友達が私の顔を見て、可哀想だけど助からないと思ったと。そりゃ私自身が死を感じるくらい切羽詰まってたのですから当然でしょうね。 その時になって主治医から精神病院に移って欲しいと言われ、その方がマシかと思い快諾。他の看護師さんからは分かって言ってるの?本当にそれでいいのと何度も言われましたが、此処で死ぬよりかは良いんじゃな
3からの続きです。 今から思い返すと本当に色々ありました。 記憶を辿っているので話が前後するかもしれませんが、お付き合いお願いします。 徳島大に診断書を送ったものの、中々書いて貰えず、主人が徳島大の主治医に連絡して、徳島大の予約を取り、向こうまで行って書いてもらいました。助手席に座ってるのも辛い状況で。出来ないことが余りにも多くて、両上肢、両下肢共2級合わせて1級という診断。まさか1級とは?と。少しショック!ここまで悪かったのかと....... 区役所の支所に提出したの
その後家に帰ったものの、すごく疲れていて起きてるのが辛い。という事で入院できる所を紹介して欲しいと頼み、行ったのが医療センター。やはりSPSを疑われて結果が出たら治療をしましょうと言われましたが、検査では異常が出ず。 そこでも心因性ジストニアだと言われ、精神科に回されて。 又かとの思い。何で精神科?又鬱だと言われるの?と思っていたらなんと!精神科の先生が良い方で話をよく聞いて下さり、私の何気ない仕草も見ておられたようで、話してる途中で今手が動いてますが気がついてますか?と
友達に勧められて仕方なく、かかりつけの医院に行くと夜なのに直ぐに日赤に行くようにと。 そこでも私の状態を見られて、ベットに寝てて下さいと処置室に。血液検査の結果を持ってこられたのは、若い神経内科の女医さん。 ここで診ることも可能ですが、F大で検査受けてくださいと。慌てて治療をしないといけない病気ではないですからと。 それを聞いて病気なんだとでも大したことないんだと気にしてませんでした。 もう一度かかりつけの医院に行き紹介状を書いて貰い、そこでは早く行くようにと直ぐに予約を
身体の疲れは感じていたものの、気のせいだと子育てやPTA活動、フルタイムでの仕事と、毎日多忙でした。 そこそこの生活も出来ていたと思います。 仕事も好きな仕事をしており、やりがいも有りましたし、楽しくも有りました。 2007年頃だったと思います、歩く時靴が直ぐに脱げるようになり、それでも靴が悪いと靴のせいにしていました。少し走ると脛が痛くて走れない!これは加齢?イヤイヤまだ40代、それはないでしょ。これも気のせい。 電車のつり革を握れば指が伸びない!反対の手で伸ばして離す