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【小説】『嬢ちゃん/22歳元風俗嬢、底辺高校の教師やります 』54
松原香澄が、子供を下ろす方向で話が動き始めた。
7月も後半だ。各科目の成績も出そろって、もうすぐ終業式を迎える。それが終われば、夏休みがやってくる。
もちろん、夏休み期間であっても教員は休めるわけではない。出勤するし、部活動の指導もある。それでも、授業をしなくて良い日が40日も連続で続いて、落ち着いて2学期の授業準備ができるのは有り難いことである。お盆の時期には学校そのものを閉じる期間もあるから、休みも取れる。
思えば、4月から始まった、この1学期という期間をメチャクチャな勢いで駆け抜けてきた気がする。正直なところ、あたしも夏休みが待ち遠しい。
松原香澄は、この夏休みの期間に病院で堕胎手術を受ける予定だ。
松原家は両親が揃っていて、二人とも香澄のことをきちんと心配しているし、家庭も困窮していない。
今回の妊娠騒動は家族としても衝撃的な話で、松原香澄の人生に大きな影響を与えることだろう。
それでも、あたしのときとは置かれている状況が違う。香澄は、きっと自分を見失うようなことはないだろう。
2学期から、再び元気に登校するだろう。ソフトボールも一生懸命やるだろう。学校推薦を受けて、大学生になって、成人するころには今回のこともすっかり過去の記憶になるだろう。是非、そうであるべきだ。
きっと、一般の生徒は誰も香澄の妊娠に気付かないまま終わる。
関わりの深いソフトボール部で、香澄の話題が出ることはある。
しかし、「いま体調を崩してるらしい。お盆明けには戻ってくるって。」「ふうん。大変じゃん。」程度の認識である。
すべては元に戻る。
ただ、学校としてはひとつ乗り越えないといけない案件もある。佐藤主人公の処遇をどうするか、ということである。
佐藤主人公は松原香澄に直接の、あるいは言葉での暴力を繰り返していた。デートDVである。暴力の証拠も、香澄の身体に残っている。脚に残った痣ももちろんだが、香澄のお腹にいる子供のことも、言ってみれば暴行の結果である。
そこで、佐藤主人公が所属する2学年では、まず彼を退学させるべく話を展開しようとした。
しかし、佐藤主人公もその母親も、この話を飲もうとしていない。
「恋人同士の関係性の話だろ。学校は関係ねえから首突っ込んでくんな。」
「香澄の家族も関係ねえ。これは香澄と俺の話じゃねえの? 外野は口出してくんな。」
「それから、なんか余計な口を出したらしい、小島とかいうバカ女に会いたいんだけど。マジで腹立ってんだよね、俺。」
学校はいま、これにどう対応するかを検討中なのである。
「学校がどう指導するかは学校が決めることだよ。それに納得できないなら退学するべきだね。
ただ、学校側から退学を申し付けることはできない。学校ができる話はあくまでも指導の話。謹慎何日ですっていう話をするのが限界だ。一般的には。
先生に対して暴力事件なんかを起こしたら、学校から退学を申し付けることもできそうだけどね。」
と、いうのが安藤の意見である。
あたしは国語科で、安藤に相談しているところだ。
「学校がするべきなのは生徒の指導なのであって、首を切ることではないっていうことですね。」
「お。ちょっとわかってきた感じ? 学校のタテマエが。」
安藤は笑った。
彼は続ける。
「学校として動く場合はどうしてもそうなってしまう。
だから、首を切りたい許せないっていう場合には、教員の能力で退学願を奪い取るしかないんだ。単純に『能力』って言ったけど、必要な能力は多いぞ。判断力、コミュニケーション能力、胆力、でもね。」
安藤はそこで一呼吸置いた。
「本当は。本当は、高校の先生っていうのは、それができて一人前なんだよ。
他の生徒の将来のために、こいつはクラスに置いておけないっていう生徒の首が切れなくてはだめだ。腐ったミカンは本当にあるぞ。それを取り除くのは我々の仕事だ。他のミカンのために。
ぬるま湯に浸かって生きてきた、すべてを肯定されて生きてきた、『今だけカネだけ自分だけ』と称される、Z世代の教員は苦手な分野に違いない。
でも、君は違う。垢と精液の中を這いずり回ってここまで来た。
君ならできるかも知れない。できるか? 小島先生。」
「やります。」
あたしは答えた。
いや、あたしが答えたのかな? なにかがあたしにそう答えさせた。
「佐藤主人公の首は、きっとあたしが捻じ切って御覧に入れます。一騎討ちで。
……万一、あたしが負けたら骨を拾ってくださいね。」
「なんか、ここだけ中世みたいだな。」
安藤が言うので、あたしも笑った。
でも。人の首を狙うならば、こっちにも相応の覚悟が必要である。
刺し違える気持ちでやって、ようやくこちらの刀も相手に届くだろう。
佐藤主人公の来校は、明日である。
つづく
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