【小説】『嬢ちゃん/22歳元風俗嬢、底辺高校の教師やります 』34
あたしを含めて、三人の初任が集まったのは金曜日の夜だった。ゴールデンウィークも後半に入った5月3日のことである。
今年のゴールデンウィークは前半と後半にはっきり分かれている。
間に挟まれていた30日火曜日、1日水曜日、2日木曜日には、きっちり出勤した。ただ、こうした連休の合間というのは生徒のほうでも気が抜けている。そこで、ゴールデンウィークの合間には、全学年それぞれに校外学習に出かける日がある。それが、毎年恒例の年間予定になっているようだった。
そんなわけで昨日、5月2日、あたしは東京ネズミーランドに行ってきた。あくまでも校外学習、生徒引率のためである。
だから、あたしは本部を確認した後、アトラクションには一切乗らず、ひたすら園内をうろつき回っていた。
本部と言うと仰々しいが、フードコートで座席を取っただけだ。そこを本部にする。学年主任の安藤は、ネズミーランドのフードコートで一日座って過ごす。緊急対応のためだ。そうして、安藤がいる場所が本部というわけだ。
朝、ゲートの前でチケットを渡したら、後は生徒をおっぱなして終わりである。
学校にいないのだから、校外学習と言えば校外学習だ。新しいクラスになったので親睦を深めることが目的だと言えば理由はつく。複雑な印象もあるが、これが底辺校の校外学習の実態というわけだ。
15時に再集合をかける。
生徒はそこで担任に顔を見せて、クラスで写真を撮ったら解散だ。あとはいつ帰ってもいいということになる。閉園の時間まで残る生徒も珍しくはない。
生徒の解散後、学年の職員は懇親会を開くというのが例年の動きなんだそうだ。あたしが所属する3学年は新浦安の駅近くで飲んだ。
学年でのあたしの業務は「生徒指導」が中心だ。
しかし、「幹事」という業務の末席にも据えられている。要するに、飲み会の担当にも充てられているのだ。
そこで、昨日あたしは発注用のタブレットを抱え、オーダーを一手に引き受けた。少し年上の「幹事長」の先生と一緒に、会計もやった。飲み会の席で、若手というのは何かと気を遣うものだ。
「入ったばっかりで、仕事なんかできなくて当然。
そんなことより、自分の周囲に目配りするということ。最初はそれを身につけないといけない。」
「幹事長」は、「誰かの飲み物が空になりそうになったら、次の飲み物を聞け。決して見逃すな。」とあたしに厳命した。
その様子を、安藤が見ていた。
安藤は「幹事長」を「見事な指導である」と称えた。うん。きっと、そういうものなんだろう。
そんな事情で、今日は2日連続で酒の席になる。
立花翼が所属する2年生も、藤原ここあが所属する1年生も、昨日は学年ごとに懇親会だったはずだ。今日は少人数だし、全員同い年だ。余計な気は遣わないで済むだろう。
今日、午前中はソフトボール部の練習に出た。これは、いつも通り日向ぼっこして座っていただけだ。
午後は、新居へのアキの引っ越しを手伝ってきた。
アキの新居は、あたしの家から三駅の場所にある。あたしは、大きな市の中心街に住んでいる。アキが住むのは隣の市の中心街だ。
つかず離れず、会おうと思えばいつでも会える距離なのも良い。
結局、アキはあたしの部屋には二週間もいなかった。
当初は一週間のつもりだった。いなくなる、と思うと寂しいものだ。
アキには、風俗店に勤務しながら通信制高校へ通うことを決めさせた。
自分の力で稼いで、高校の卒業資格も得るのだ。
「最低でも、今年一年で200万円貯めなさい。専門学校への学費が、それくらいはかかるから。」
「来年一年間で、さらに200万円貯めなさい。これは専門学校に通う2年間の生活費の足しにする。専門学校に通い始めると、仕事に使える時間はすごく減るはずだから。」
よく、言い含めた。
しかし、一人の人間が高校中退から「普通」の生活を手に入れようと思うと、つくづくお金がかかるものだ。
自分自身で稼ぎ出そうと思うと、たとえ女がカラダを売っても、年単位の貯金が必要なほど。
「この2年で、どれだけ生活を切り詰めて、貯金できるかが勝負。
専門学校を卒業して、就職まで行けなければ、あなたはもう底辺女で確定。
あなたが嫌いなお母さんと似たような人生を歩んで、あなたの娘にも同じ思いをさせる。
負の連鎖を、あなたが切るの。
人生かけて、2年間、しっかり風俗嬢をやんなさい。
女だったから、あたしに会えたからチャンスがある。男だったり、どうしたらいいか教えてもらえない場合、チャンス自体がないんだからね。」
簡単なことではない。わかっている。
しかし、こういう継続的な努力ができなければ「普通」からはこぼれていくしかないのだ。
世間一般が言う、「普通」というのは、いつだってそう。そこそこレベルが高いのだが、そこに到達できない個体は弱者であって、弱肉強食のこの世においては、不利益を被ってあたりまえ。
不意に、安藤が言いそうな言葉が胸をよぎった。
繰り返し身体を重ねているうち、あたしにも安藤の思考がインストールされてきたのだろうか。
さて、立花翼が席を用意してくれたのはスペインバルである。
さすが、女性慣れしている。……という気がした。
つづく