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【小説】『嬢ちゃん/22歳元風俗嬢、底辺高校の教師やります 』38

 立花翼とはしばらく話したのだが、初任が二人で話したところで妙案というものはまったく出てこなかった。
 ただ、岡崎泡姫ありえるは女子生徒だ。あたしにできることもあるだろうから、できる協力はすると約束した。立花翼は少し安心したような顔をして業務に戻っていった。

 立花翼と入れ替わるようにして、国語科には安藤が戻ってきた。
 安藤は3学年の主任だから、今回事件が起きた2年生とは学年が違う。しかし、学年主任というのは学校内でも幹部と言えるポジションで、確かな力がないと任命されない。自然、そういう人物には新しい情報もすぐに集まっていく。
 あたしが立花翼に聞いた話くらいは、安藤のほうでも把握していることだろう。

「いや、2年生も大変なことになったねえ。」
 あたしが何も言う前に、安藤はそんなふうにぼやきながらコーヒーを淹れ始めた。その背中に、あたしは話しかけた。
「さっきまで、2年生の立花先生が来てました。リベンジポルノは男の立場だとデリケートな話題で、関わって行きづらいって。」
「そうだろうなあ。で、また、そのリベンジポルノっていうのが完全にモロ動画なんだもんね。見た?」
 安藤はコーヒーフィルターを広げながらこちらを振り返ったので、あたしは頷いた。

「あれは、公には『見ていない』って言うしかないね。
 未成年のモロでしょう? 『見た』なんて言ったら、どんな火が飛び火してくるかわからない。岡崎泡姫ありえる本人と話しづらいのはもちろんだけどさ、この先生は生徒のモロ動画を観たんだ、なんて思われちゃあ、やりづらくってしょうがない。
 君も、公には『見ていない』で通したほうがいいと思うよ。『行為中の動画で、全部映ってしまっていることは聞きました』、くらいがいいと思うな。」
 安藤は再び後ろ向きで、カップにお湯を注ぎながら自分自身に言うような口調で言った。部屋はコーヒーの香りで満たされる。

 香りに誘われて、あたしも一杯淹れる気になった。安藤の横まで行って、準備しながら言う。
「今後、学校ではどういう動きになると思いますか? 加害者の得田大海おーしゃんと、被害者の岡崎泡姫ありえる。」
「いや。被害者、加害者っていう見方をするのもやめていいんじゃないかと思うんだよ。」
 言って、安藤はフィルターを捨てた。
 えっ、意外。そんな目をして、あたしは先を促した。安藤はカップを抱え、ひとつ息を吸って、公に釈明するような口調で言った。

「そもそも、生徒にスマートフォンを持たせているのは保護者です。
 学校では、持たせてくださいとお願いしてはおりません。
 学校で教育活動に使用する機器は学校で管理をいたしますし、そこには責任もございます。が、その一方で、個人で持っている通信機器をどのように使うかは個人の自由であり、それに応じた責任もあります。生徒の場合、最終的な責任は通信機器を持たせている保護者にあると言わざるを得ません。
 さらに申し上げれば、本件は学校内で起きたことではありません。
 動画は得田大海おーしゃんが撮ったものであり、同時に岡崎泡姫ありえるが撮ることを許したものであります。ここに被害者、加害者の区別はありません。記録に残すこと、その扱いかたも含めて、岡崎泡姫ありえるが許したから撮影されたものと認識しております。
 本件と学校は無関係であります。したがって、対応は考えておりません。」

「ずるい! ずるいオトナがいる!」
 あたしは笑顔を向けながら言った。安藤も唇の端で笑ってみせた。
「生徒同士の恋愛なんか、どんな変態行為に勤しんでいるかわかったもんじゃない。いちいち首を突っ込んでいられないよ。だって、保護者からしてマトモに人間関係を維持できないシングルマザーばっかりなんだからさ。付き合ってらんないって。
 基本、今の感じで逃げちゃうのがいいと思う。で、間違いなく『学校としてやれることはないのか』みたいな話に発展するから、『生徒の心のケアにつとめて参ります』で終わり。
 あとはスクールカウンセラーにでも丸投げして、仕事してもらえばいいんじゃない?」

 立花翼と話した結果、二人ではなにも案が浮かばなかった。
 それに対して、安藤には幕引きの案がある。しかも、実質ほとんど何もしないという簡単な解決方法だ。意見を求められれば、安藤は彼なりの案を公開するのだろう。
「実際、そういう解決方法になりそうですか?」
 あたしが聞くと、安藤はすぐに首を捻った。
「いや、どうだろう。」
 そして、コーヒーを一口すすって続きを言った。
「得田大海おーしゃんも、岡崎泡姫ありえるもさ、このまま学校にいられると思う? すぐに辞めちゃうんじゃないかな。二人とも。」
 たしかに。

 特に、岡崎泡姫ありえるは学校内のほぼすべての生徒が自分のモロ動画を見ている状態なのである。通い続けるかどうかと考えると、あたしだったら絶対に嫌だ。
 そして、その状況を招いたのが得田大海おーしゃんである。女子生徒からの風当たりというのは最高レベルまで強くなるだろう。
 二人とも、すぐに学校を離れる可能性は十分にありそうだ。そうなってしまえば、学校ではスクールカウンセラーの出番さえもない。

「と、いうわけで、2学年では二人とも早期の転学、あるいは退学を狙って動くんじゃないかな。2学年主任もものがわかる人だから、きっと、恙なくやるに違いない。心配しなくても大丈夫だ。」
「生徒にとっては、ドライと言えばドライな対応ですよね。」
 あたしもコーヒーをすする。今日のコーヒーは妙に苦い。

「特に、高校は義務教育じゃないからね。いや、義務も同じだと思うよ?
 多様化の世の中になって、学校が生徒の行動様式まで変えようっていう時代は終わろうとしている。
『誰かを思いやりゃアダになり、自分の胸に突き刺さる』から。生徒も、自分の責任で、勝手になんでもすりゃあいいんじゃないですかっていう時代が来るのさ。」
「えっ? 今の、何かの歌ですか?」
「ミスチルだよ。ミスチル。
『だけど、あるがままの心で生きようと願うから、人はまた傷ついていく』というわけなんだよ。
 今の学生も、ミスチルくらい聞けばいいんだよね。アホみたいな韓国アイドルなんか見てるからアホなんだと思う。」

 安藤が「うまいことを言った」みたいな顔をするので、あたしは「はあ、そうなんですね」と曖昧に返事をしただけだった。
 たまに、名前を聞くミュージシャンである。でも、歌をちゃんと聞いたことはなかった。

 その夜、自宅でMr.Childrenを検索したあたしは、嗚咽するほど泣いた。安藤には秘密にしよう。


つづく

タイトル画像全景
かわいい。聞こえていない背後から……

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