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幸せの根底には「仕合わせ」感がある。それは本来私たちに与えられた役割=運命を一人ひとり全うすること。そして、その間での様々な巡り合いを感受できること!

 これまで古今東西、「幸福」についての論考や著作は数えきれないほどたくさんありますが、ここでは少し視点を変えて、中国の文献を紐解いてみたいと思います。乱世が続いた明代末期に何をよすがに生きていけばよいのかわからない人々に向けた、これまでの処世訓の最高傑作の一つとも言われる『菜根譚』(さいこんたん)という有名な書物があります。これは、当時の優秀な官僚であったが政争に巻き込まれて隠遁を余儀なくされた洪自誠(こうじせい)という人が著したものです。書名の菜根とは、字のごとく菜の根のことで、菜根を噛みしめて苦しい境遇に耐えられれば、人は多くのことが成し遂げられるとの意図が読みとれます。同書は、前集222条、後集135条の断集からなりますが、そのなかの前集74に以下のような一文があります。

 一苦一楽あい磨錬し、錬極まりて福を成すものは、その福はじめて久しい。
 一疑一信あい参勘し、勘極まりて知を成すものは、その知はじめて真なり。 

 意味は、苦しんだり楽しんだりして修練を重ね、その成果で幸福になったものこそ長久のものである。疑ったり信じたりして何度も何度も思考を重ね、その結果で身についた知識こそ本当の知識である。

  長い人生のなかで、時に苦しいことも時に楽しいこともありますが、幸福とは当事者からみたら単にプラス面(楽)だけでなく、マイナス面(苦)の両方が含まれており、それらを踏まえながらも自らを偽ることなく健気に修練を重ねることで、はじめて“本当の幸福”が得られることを教えてくれているように思います。それは、知識も同様で、疑ったり信じたりして何度も何度も思考錯誤を繰り返しながら、本当の知識が身につくのではないでしょうか。その意味からも、現代社会に生きる我われは安易に様々な情報や知識などを鵜呑みにして“さもわかった風に”していませんか。はたして“本当の知識”=知恵・智慧を身につけているかどうか時に疑ったり信じたりして、何度も思考を重ねていく必要があるのではないでしょうか。

 このように本来、幸福にはプラス面(楽)とマイナス面(苦)の両方が含まれていたのが、徐々にプラス面すなわち当事者にとって都合のよいことだけが肥大化して、その多くを占めるようになってきたのではないでしょうか。というのは、日本語には幸福以外に、「仕合わせ」 幸せ という表現があります。仕合わせとは、一つは“巡り合わせがよいこと”=幸運、もう一つは単なる“巡り合わせ”=運命という両義がみられます。元々、「仕」は、すること、つかえることなどを意味し、「仕」+「合わせる」は様々なことが重なり合って、物事が成り立っていることを示し、良いことも悪いこともすべて含めて「仕合わせ」すなわち幸せでした。ちなみに、「仕」のつく用語は日本語のなかでも重要なものが多く、例えば、仕組み(しくみ)、仕掛け(しかけ)、仕方(しかた)、仕事(しごと)、仕業(しわざ)、仕草(しぐさ)、仕様がない(しょうがない)・・・。

 もっと言えば、「仕」とは本来その人その人にあたえられた役割=運命をその人なりに全うすることができればそれが「仕」に自ら合った=成し遂げられた、それが日本人特有の“幸せ感”だったのではないでしょうか。長い人生のなかで、どのようなモノやコトそしてヒト(人)でもよいでしょう。なにかしらを成し遂げられた(当然、家族や友、恩師なども含まれる)と自ら思えるものに“巡り合えたら”それこそが仕合わせ=幸せ=幸福なことかもしれませんね。自分では気がつかず、すでにそのようなヒト、モノ、コトに巡り合えているかもしれませんよ・・・・・・。
 みなさんはどのように感じますか。

         くりおんだ 人生塾 柳緑花紅  (塾頭)


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