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国際結婚について考える(1)

わたしは いわゆる「国際結婚」をしています。noteには「国際結婚」について書いている人が大勢います。おもに「国際結婚」の当事者による記事です。noteが薦めてくるまま、次々とそのような記事を読んでみました。相手との出会いから交際して結婚するまで、法律上の手続き、日常生活、危機から離婚へ… ありとあらゆるテーマがカバーされています。ほとんどが、個人的で具体的な内容でした。そこでこのシリーズ(になる予定…)の最初の記事では、まず「国際結婚」そのものについて考えます。
 
 
「国際結婚」ってヘンじゃない?
 
「国際結婚」している方にお尋ねします。「国際結婚」て変な言葉だなぁ、と思うことはありませんか?
 
わたしは、こう思うのです…
「国際結婚」て、国際条約とか、国際関係とか、国と国のあいだのことみたい。わたしが結婚したのは人であって、国ではない。わたし自身も国ではなく、ひとりの人。わたしの結婚は国際結婚ではなく、いわば「人際結婚」。でも、「人」以外と結婚する人はいないから、人際結婚なのは当然。「結婚」で十分。わざわざ「国際結婚」なんてヘン!…
 
わたしは晩婚で、40代前半で予定外の結婚をしました。上記の『「国際結婚」て・・・国と国のあいだのことみたい』の部分は、それより以前から感じていました。実際に結婚してからは、加えて「わたしが結婚したのは人で・・・」以降を感じるようになりました。
 
なぜ「国際結婚」なんて言うのでしょうか?
 
同国人同士の結婚と区別するため?なぜ?法律用語だから?手続きが違うから?でも、法律的な文脈外でも、日本人の多くが、「〇〇さん、国際結婚なんだって」のように、この言葉を使いますよね。noteの「国際結婚」カテゴリーの記事を20本近く読みましたが、大半が法的手続き以外の内容でした。さらに、「アメリカ人と国際結婚して…」とか、「インド人との国際結婚は…」とか、相手の国籍と「国際結婚」という言葉を重ねて使う例がわりと多く見られました。
 
日本語で「国際結婚」というと、日本人と非日本人、つまり出身国、国籍が日本以外の人との結婚のことです。日本はかなり均質的な国です。会ったことがない人でも、日本国籍保有者であれば、8~9割くらいの正確度でその人のアイデンティティに関わる属性の見当がつきます(人種・民族は東アジア系で、日本語を話し、おそらく自称「無宗教」で…)。
 
ほとんどの日本人にとっては、自分と国籍が違う人とは、人種・民族、母言語、宗教的背景といったアイデンティティに関わる属性がまるごとセットで違うことを意味します。結婚相手と国籍が違うのは「大ごと」です。そのため、国籍の違いを何よりも強調する「国際結婚」という言葉を日常会話でも使うのでしょうか?
 
 
フランスでは「マリアージュ・ミクスト=雑婚」
 
わたしの住むフランスでは、フランス語で「国際結婚」に文字通り対応するmariage international(マリアージュ・アンテルナシオナル)という言葉が、日常的に使われることは めったにありません。使われるのはおもに、法律的な文脈です。つまり、日本語の感覚で「国際カップル」と呼ばれる人たちが、フランス語話者ならば、法的ステータスに関連した文脈外で、自分たちの結婚をマリアージュ・アンテルナシオナルと呼ぶことはまずないのです。
 
フランスの日常的な文脈において、日本語の「国際結婚」のようなものに相当する結婚で、ときどき話題になるのはmariage mixte(マリアージュ・ミクスト=雑婚)です。
 
「ミクスト=雑」は「ミックスした」「混ざっている」という意味で、「マリアージュ・ミクスト」は人種や民族、言語や宗教を含む文化的背景などが違うふたり、中でもとくに人種・民族が違うふたりの結婚を指します。この言葉は、国籍が違うか否かは表現していません
 
わたしの友人のフランス人男性がひとり、数年前からベルギーのフランス語圏で働いていて、最近 現地女性と結婚(再婚)しました。フランス人とフランス語系ベルギー人で、白人同士です。これをマリアージュ・ミクストとは呼びません。ふたりの国籍が違うので、法律上は「マリアージュ・アンテルナシオナル」です。けれど、ふたりがEU圏外に住むことになって、法的手続きが必要にでもならない限り、そう意識することはないと思います。
 
一方、わたしが実際に知っている例で、韓国で生まれてから養子にもらわれてフランスで成人した男性と、アフリカのブルキナファソからの移民を両親にもつ女性の結婚は、フランス育ちのフランス国籍保有者同士でもマリアージュ・ミクストです。(ふたりのあいだの文化的な違いは、一緒に過ごした時間が短かったのでよくわかりません。おもしろいことに、ふたりはお子さんに日本語のファーストネームをつけていました。)
 
 
「国際結婚」という言葉から見えてくるもの
 
「国際結婚」の意味を「マリアージュ・ミクスト」の意味と対照させることで、なぜわたしが「国際結婚」という言葉に違和感を感じるのかがわかりました。「国際結婚」は、当事者を国籍、つまり、集合体としてどの国に属しているかという視点でとらえます。集合的な区分、国籍だけでアイデンティティに関わる属性を代表させる前提が、わたしには心地悪いのです。
 
自己紹介のような記事で、わたしは自分のことを『どこにいても常に「こちら側」と「あちら側」のはざまで、アウトサイダー的な立場と視点をもって生きてきた』と書きました。これは、わたしが子どもの頃から自分が日本の主流の外側にいると感じてきたことに起因します。まわりの人たちからも、何かと「日本人らしさ」を疑われることがあり、自分が代表的、典型的な日本人ではないという自覚はいつの間にか備わっていました。(理由は家庭環境やキリスト教徒であることなどです。)「日本人だから〇〇〇のはず」という、国籍だけによるおおまかな分類が苦手なのです。
 
 
「マリアージュ・ミクスト」では…
 
一方、「マリアージュ・ミクスト」という言葉は、国籍という法律上の身分よりも文化への関心を表しています。
 
フランスでは、日常的に人が国籍を気にすることはありません。フランス語を話し、まわりと同じように普通に暮らしていれば、つまり文化的に同化していれば、フランス国籍とみなされることがよくあります。同じ村に88歳で一人暮らしの男性がいます。40年ほど前から村に住んでいるそうです。数年前に亡くなった奥様はスイス人でしたが、それまで村でそのことを知っていた(意識していた)人はほとんどいませんでした。
 
非白人で、フランス語に外国アクセントがあっても、まわりのフランス人が勝手にフランス国籍と思い込んでいることがあります。「えっ?まだフランス人じゃなかったの?」という感じ。
(これには、非白人に民族的に何系であるかとたずねたり、外見やアクセントから相手を外国人と決めつけるのは人種差別的と考える人がいるので、皆、とくに白人が気を使っているから、というのもあるですが…ちょっと変ですよね?ほとんどの非白人はお互いに遠慮なくたずねます。この話はまたいつか。)
 
日常的な文脈で「国際結婚」に相当する言葉が、国籍よりは人種・民族や文化的な違いを強調するのは、英語圏でもほぼ同じです。英語では、「異人種間結婚interracial marriage」や「異宗教間結婚 interfaith marriage」などの言葉が日常的に使われます。また、「〇〇は中国人と結婚している」とか「△△の配偶者はペルー出身で…」のような言い方もされます。けれど、日本語の「国際結婚international marriage」のような言い方は日常会話ではめったにされません。
 
この理由として、英語圏の国のほとんどが、フランスと同様に多人種・多民族社会であり、さらに、国籍が法的身分以外に何も意味しないことや、人をその所属する集合体ではなく、ただ個人としてとらえる傾向をもつ個人主義的社会であることが考えられます。
 
 
「所属」と「国際結婚」
 
日本語の「国際結婚」という言葉は、国籍の違いを強調すると書きました。「国籍」の「籍」とは、人が属する何らかの集団のことです。日本には、制度的なものだけでなく、意識内にのみ存在するものも含めて、「国籍」以外にもさまざまな「籍」があります。生まれると親の「戸籍」に入り、学生時代には「学籍」があり、社会人になれば多くの人が会社に「在籍」し、ときには「移籍」して、人生の終わりには「鬼籍」に、という具合に。 
 
「戸籍」といえば、「フランスで入籍した」のように、戸籍制度のない国での婚姻手続きを日本人が「入籍」と書いているのを何度も目にしたことがあります。わたしも、日本の知人から「フランスで入籍なさったと聞きましたが?」と尋ねられました。「いいえ。フランスに戸籍制度はないので、入籍はありません」と返事しました。
 
これには、最近の日本語では「結婚する」という意味で「入籍する」と言う人が増えているから、という説明が可能です。でも、なぜ「入籍」?なぜ「籍に入る/入れる」という表現に行きつくのでしょう?そんなに何かに入りたい、属したいのでしょうか?
 
「籍」ではありませんが、ひと昔前、在仏日本人向けのオンライン・フォーラムがあって、そこで「わたしは永住組です」と自己紹介に書く人がかなりいたことを覚えています。なぜ「永住者」ではなく「永住組」と言うのか、そんな「組」いつ、どこで組織されたのか、と不思議に思ったものです。
 
自分のことを「永住組」と呼んでいた人は、コンピューター・スクリーンの向こう側にいる他の永住者たちがバーチャルに形成しているはずの集団を思い描き、そこへの所属を無意識に表明していたのでしょうか。
 
「組」も「籍」も集合体です。このような語を含む言い回しには、集団に所属していることを重視し、それにより人を識別する集団志向が表れていると思いませんか?
 
「国際結婚」をしている日本人は、「〇〇〇人と結婚しよう!」と思って国籍により相手を選んで結婚したのではなく、人生の伴侶に選んだ人がたまたま〇〇〇人だったケースがほとんどだと思います。(もちろん、国籍により結婚相手を決めるのもアリです。)けれど、たとえそうであっても、自分の結婚について語るときの「アメリカ人と国際結婚して…」とか、「インド人との国際結婚…」といったフレーズは、自分と結婚相手をその所属、国籍と結びつけてとらえています。
 
このように考えていくと、こう言えないでしょうか。
――「国際結婚」という言葉は(大部分の)日本人にとって重要な属性の代表である国籍を強調するとともに、人をその所属する集団(国)で識別する機能を果たすので、日常会話においても「国際結婚」=国と国のあいだ、国をまたいだ結婚と表現される。
 
別にこれ自体が悪いことではありません。こういう傾向があるのでは、と提案しているだけです。それほど良いことでもないかもしれませんが、それは「国際結婚」の当事者一人ひとりが、自分の結婚生活をどのように営みたいか次第です。
 
「国際結婚」は難しいとよく言われますが、国籍に代表される属性の違いが必ずしも困難の原因ではありません。次の記事では、このあたりのことを書こうと思います。
 
最後までお読みいただきありがとうございます。
  
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 この記事は、初めて別の記事で「予告」しました。その後、クリスマス・新年のイベント、本職でわりと大量の仕事と忙しい時期が続き、すっかり中断してしまい、ようやく書き上げました。先の記事を読んで、「マリアージュ〇〇〇〇」って何かな?ワクワク、と楽しみにしてくださった方はまさか、いらっしゃらないとは思いますが、万が一いらっしゃった場合、大変お待たせいたしました。


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