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旬を戴き、考える

宮城県加美町の掘って取って出しの【筍】を戴いた。
令和6年NHK放送文化賞を受賞した結城登美雄さんは、東北地方を中心に全国800余りの農山村や漁村を訪れ、地域の課題や伝統文化の魅力を再発見してテレビ番組で紹介するなど地域の再生に貢献してきた民俗研究家で、結城さんが提唱する活動の一つとして、1999年11月、第1回「宮崎町・食の文化祭」がひらかれた。
結城登美男さんは、開催当日の様子をこう話す、
 「圧巻だった。体育館いっぱいに800品の家庭料理が並んでいた。ひとつひとつはどれもふだんのあたりまえの食事なのに、集まってかもし出す強い力が見る者を圧倒し、やがて幸福な気分に誘った。食の原点は家庭の食卓にあり。誰もが深くうなずいていた。」というように市井にある食の豊富さは現代にも受け継がれている。
 また、謎と美の陶磁器-切込焼-「幻の古窯」は明治初期、維新・廃藩と時代の波に呑み込まれ窯の煙を絶たれた切込焼は、その創始を始め様々な点で謎に包まれている陶磁器で、その中心の一つが加美町だった。
 加美町は魅力的に映るのはそうした背景が重層的にモザイクのように市街地だけではなく農家の一軒一軒に散らばるからなのだろう。
 「旬を戴く」という事を近頃よく考える。
 小作人としての農家を支え、網本に雇われ漁業をしたり、港に水揚げされる鰈を一夜干しにして担ぎ屋さんとして行商に出て稼ぎ、旬を大切に大切にして内職や出稼ぎしながら活計して生きてきた私たち東北、みちのくの民にとり、「ずんだ餅が一年中食べられる事が嬉しいのか、」とナンだかモヤモヤするのだ。

 旬を戴く、という幸せは、商店街がある、商店街に専門店がある、という幸せに通ずる気がする。
 先日、仙台市東一番丁の金港堂本店がビルの老朽化により閉店した折に、閉店を惜しみ集まったさまざまな方と情報交換する機会があり、【美術館が子供に与える影響】と町の本屋さんだけでは無く、『商店街に専門店がある』と言う幸せの享受を、私達は忘れ去ったのでは、と話しました。
 商店街がある幸せ、専門店がある幸せ、本当にそうだなぁと感じました。
 ナカガワ鞄店の中川社長は伊達家のお抱え刀鍛治の国包さんの一大コレクターさんでで・・・・国包さんの刀剣の散逸が心配でとか、藤崎の東にあった本郷宝飾店さんは、国包さんの末裔さんの経営でとか・・・・ 高山書店の息子さんは現在八木山で行政◯◯事務所を経営していて・・・・・きょうどう書店さんの息子さんは現在・・・、レストラン丸越さんには誕生日やお祝いで・・・・天賞のレストラン「ノア」さんはレストランウエディングの先駆けで、丸屋さんでもお酒を買ったとか、ラインゴールドやエーワン、地下にあったBar VATで初めて呑んだロイワルハウスホールドやボージョレ・ヌーボーを初めて呑んだのは1982年で・・・・・バーテンダーの大松沢さんはレモンシャトービル1FでVAT Jrを経営していたが、つい最近閉店したんだとか、次から次へと昔の良いお店の話題になって、ついぞ懐かしい想いが蘇りました。
こんな顔と顔が見える関係性が育まれたのも、「場」が様々な関係性を生む奇蹟なんだと想う。

 旬を戴く、という普通の日日の活計の中にあって、私たちはどう生きるのかを、突きつけられているのでは、と想わざるえ得ない、筍の姿を観た刹那の一言。

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