うしろめたさと、人に怯える生活。
ぼくはいつから、人と話す時にあんなにも怯えたようになってしまうのだろうか?
以前なら、そんなことはなかった。ごく普通に、目上の人ならそれなりの敬意を払いながら話しができていたし、ある程度親しい間柄であれば、冗談のひとつくらい言いながら話すことができた。
しかし今は、相手を前にすると、後ろめたさや、「話しをどこまで理解してもらえるのだろう?」「心の中ではバカにされているのではないか?」などの猜疑心が出てきて、本当の自分の状況や気持ちを話しているのに、「どこか嘘を言っている」、「同情をひこうとしている」という考えにとらわれてしまう。
仕事をし、税金を払っている方たちに対しては、「ぼくは、あなたがたが汗水垂らしてはたらき稼いだ賃金から支払われる税金で、生活しています。そしてそのお金で無駄な買い物や浪費をしています。」という気持ちになってしまうから、怯えたようになってしまうのだろう。
「浪費を止めたい」、そう思いながらもう何十年も、同じことを繰り返している。
自己破産した時には、「さすがに、これにこりて浪費も減るだろう」と思ったが、数日も経てばそんな気持ちよりも、「これは必要なものだから、買っておかなければ…。」「自分の誕生日くらい、少し贅沢な物を買ってもいいだろう」などという、何かしらの言い訳を持ち出して、本当に必要なのか、ただの、自分の物欲なのかの判断ができない状態地なってしまい、次から次へとネットの「購入する」ボタンや「お会計」ボタンをクリックしてしまっている。
自己破産しているぼくには、クレジットカードはもてないが、いまは、paidyやスマホのまとめて支払いなどで、その時、銀行に預金がなくデビットカードが使えなくても、後払いできるシステムがあるので、そういったものまで利用して、無駄遣いをやめられずにいる。
そりゃ、真面目に働き、しっかり税金を支払っている方たちに、後ろめたいとうか、土下座をして謝らなくてはならない気持ちになるのも、当然ですよね。
浪費をできなくするために、メインバンク以外の、銀行の口座に生活費で必要なお金以外を移して、すぐには使えないようにしてみても、結局、「これは生活に必要な物だから、買っておかなくてはいけない」という、なんの根拠もない理由が、催眠術や暗示にでもかかったように、心を支配してそのお金を下ろしに行ってしまう。定期預金にしてみても、途中解約して使ってしまう。
もう諦めるしかないのだろうか?
こんな情けなく惨めな人間になってきまうとは、10代の頃の自分には想像すらできなかった。
また今日も、情けない自分に悲嘆して泣きじゃくり、会う人に怯えながら、「死にたい」と思いながらも、のうのうと生きていくのだろう。
世の中の皆様、ごめんなさい。犯罪にならない方法があるとしたら、ぼくを殺してしまってください。