先天的音楽機能不全(音痴)と発達性協調運動障害(運動音痴)
ぼくは、いわゆる音痴&運動音痴です。
正式に診断されたわけではありませんが、小学生の頃には、誰かに言われたわけでもないけれど、自分は音痴で運動音痴なのだと気づいていた。
音楽は好きだし、好きな曲は口ずさみたくもなるのだが、声を出して歌を歌うことはない。
音楽の授業でも、口だけは動かして声を出さない、いわゆる口パクで乗り切っていた。どうしても歌わなければならないような時は、とても苦痛だった。自分が出している音が、外れているのがわかるのだから、恥ずかしくて仕方がなかった。だから、カラオケも大嫌いです。2〜30代の頃は、飲み会の二次会などの付き合いでカラオケへ行くことになることが多かったのだけれど、部屋に入ると酔っ払って寝たフリをして、歌わないようにしてきた。
小学5年生くらいから、当時の流行りの洋楽などを聞き出して、歌詞カードの英詞を辞書を引いたりしながらカタカナに起こして、声に出さず歌っていた。そのうちに、好きな曲のメロディーを、鍵盤やギターなどで、譜面に起こすこともしていた。さすがにきちんとした音楽教育を受けているわけではないので、複雑なコード進行やテクニックを駆使した曲などは無理だが、単音でメロディーやハーモニーを聞き取ることはできました。(ただ、いまだに細野晴臣さんの歌だけはどうしても音が取れないのです。細野さんは低い声でボソッとした歌い方をされるからかもしれませんが、どのキーで歌っているのか鍵盤を鳴らしながら聴き取ろうとしても、どうしても音が取れません。)
一応、幼稚園から小学校の低学年くらいまでは、エレクトーンを習わされていました。ご存知の通り、エレクトーンは、右手でメロディーを弾き、左手で和音、左足でベース音、右足で音量ペダル、そしてリズムマシーンのスイッチも操作しなくてはいけない楽器です。ぼくには、どうしても右手と左手で別々のことをすることができませんでした。いわゆる今でいうマルチタスクができないのです。
例えば、バスケットボールは、ボールを受けたら、ドリブルをして相手をかわして、味方にパスを出したり、シュートをしなければなりませんが、飛んできたボールをうまく受け止めることができず落としてしまう。ドリブルをすると足がもつれる。フリースローであれば、両手でボールを投げればいいのでできるのですが、ドリブルをしてシュートをするということができないのです。ただドリブルするだけでも足がもつれてしまうのに、ゴールポストにドリブルしながら、近づいてボールを持ち直し、ジャンプをしながらボールを投げる。こんなに難しいことを、他のクラスメイトは軽々とやってのけるのを見て、自分の不器用さに情けないやら惨めな気持ちになってばかりいました。
中学から高校にかけて、世間はバンドブーム。音楽が好きな身としたら、なにかしら楽器を弾いて、バンドを組んでみたいなどと思ったりもしましたが、安物のエレキギターを手に入れて、訳も分からず教則本に載っているスケールの練習をしたりもしましたが、やはり、左手でギターのフレット上を指を動かしながら、右手でピッキングすることができなかった。左手の指の動きと右手の動きがバラバラになってしまうのです。
社会人になってからは、「打ち込み」というものが少しばかりお金をかければできる時代になっていました。ぼくは、Apple社のPowerBook520と、マーク・オブ・ザ・ユニコーン社のPerformer、KORGの01/W、AKAIのS2000(?だった記憶です)などを購入し(この頃から浪費癖はかなりの重症度でした)、SWING OUT SISTERやWORKSHYなどの、ちょっとオシャレ系ソウル・ポップ・ユニットを組んだりもしたものでした。
それでも、やはりここでも自分の才能のなさというか、自分が目指したいものと、自分の実力の差に打ちのめされてしまいました。ユニットを組んだ頃は、ぼくが主導権を持って曲作りなどをしていたのですが、一緒にやっていた友人の方がはるかに作曲の才能もアレンジのアイデアも優れており、自分の存在意義を見いだせなくなってしまいました。友人の作ってくる曲のデモは、明らかにぼくの作る曲など足元にも及ばないクオリティでした。
そもそも、音の良さというのが聴き分けることができません。さすがに、家電量販店で売っている数千円のマイクから、SHURE SM58に変えた時には、音の違いに驚きましたが、多分そのくらいの違いであれば、誰でもわかるレベルだと思います。
数年前に、試しにハイレゾ音源を購入して聴いてみましたが、全く違いがわかりませんでした。そこそこのDACを通して、ゼンハイザーのワイヤードのヘッドフォン、SONYのウォークマン、中華イヤホンなど色々と聴き比べてみても全く違いがわからない。空間オーディオなどを聴いてみても何が違うのか気づけない。
ライブハウスなどでも、「どこそこのライブハウスは音がいい」などと言われても、どこのライブハウスへ行っても音の違いに気づくことがない。
なんだか、書いていて取り止めもなくなってきてしまったので、ここらで終わりにしようと思います。
こんな、なんの役にも立たない、しょうもない人間が書いた文章を読んでくださる方がいらっしゃること。それだけでも十分すぎるくらい、ありがたく、うれしいことなのに、いいねしてくださる方がいらっしゃることが、本当に大袈裟ではなく、涙が溢れてくるほどありがたく思っています。
最後まで読んでくださり、本当に心から感謝しています。どうもありがとうございます。
2024年10月15日 追記
音痴についてnoteを書かせていただきましたが、後から思い出したことがあったので、書き足します。
「歌を歌っていると、自分の音程が外れているのがわかる」のですが、その外れている音をきちんとした音程に戻すことができません。前奏があると、普通の方はキーがわかると思うので、その音に合わせて歌い始めたり、アカペラでも頭の中で出だしの音がわかるので、きちんとした音程で歌えるのだと思いますが、ぼくはその音を聞いていても、分かっていても、歌い出すとその音が出ません。
なのですが、不思議なことに口笛は、音域こそ狭いものの、自分でもきちんと音程が取れていると思えるのです。流れている曲に合わせて、そのキーを探って口笛を吹けるのです。高い音や低い音は、口笛で出せる音域もあるのでかすれてしまったりするのですが、「口笛上手だね」と一度だけではありますが、言われたこともありました(笑)
あと、スポーツに関しても、立ったままキャッチボールやボールのパスはできます。それは、相手がこちらの立っているところへ上手に、ボールを投げたり転がしたりしてくれるからです。これが、野球で守備についていて、フライを追いかけて捕球するとなると、全くダメです。ドッジボールでも、当ててやろうと思い切り投げられたボールを受け止めることはできません。
陸上競技でも、ハードルや走り高跳び・走り幅跳びは、走りながらある地点で利き足(?)で地面を強く蹴って飛び上がるのだと思うのですが、そのタイミングの取り方も、走りながら利き足(?)で地面を強く蹴って飛び上がるということもできません。
ひとりでの縄跳びはできますが、大縄跳びで、回っているロープの中に入っていくことができません。
長距離走も、元々持久力がないということもありますが、ペース配分というものが理解できておらず、最初はゆっくり走り始めても、結局途中から疲れてくるのでペースを上げることができません。かといって、最初からある程度スピードをつけて走り出したとしても、途中でヘトヘトとなってしまいます。
スポーツで唯一できたのが水泳でした。幼稚園から小学6年まで近所のスイミングスクールに通っていたので、一応、クロール・背泳ぎ・平泳ぎ・バタフライで泳ぐことができます。
水泳は、手足の動かし方が最初から最後まで一定なので、できたのだと思います。
それでも、持久力のなさと、ペース配分の理解ができないため、短距離種目しかダメでしたし、学校の同学年の中では1〜2番を争えるくらいでしたが、市の大会などに出場すれば、予選すら通過できない程度でした。
本当に長々と、自分のコンプレックスだったことを書き連ねました。
もし、「私も同じです!」みたいな方がいらっしゃったら、どのようなことにコンプレックスを感じていらっしゃったかを、コメントに書いていただけるとうれしいです。コメントではなくても「スキ」を押してくださるだけでも、なにもしなくても「ここまでひどくないわ!」とか「同じことをコンプレックスに思っていた人がいたんだな」などと感じていただけると、ありがたいです。
たとえ、流し読みであれ、このnoteを見つけてくださって、目を通してくださる方がいらっしゃるというだけで、ものすごく心の励みになっています。
長期間お休みしてしまうこともありますが(特に、メンタルの振れ幅が大きい時ですが)、これからも自分自身のことを(昔から他人に興味がないというか、人にあれこれ聞いてしまって、知らず知らずのうちに地雷を踏んでしまうことが怖くて、人との会話が困難なので)、思いついたら書き留めていきたいと思っています。
読んでくださり、本当にありがとうございました。