孤独が怖い…
孤独が怖い。
今まで、何度も人間関係をリセットしてきたのだから、自業自得であるのは、百も承知です。
それでも、この先一人で生きていけるもないわけで、誰かと話しがしたい。コミュニケーションが取りたい。と思ってしまう。
だからと言って、誰かと接する機会もなければ、たとえ誰かと仲良くなったとしても、嫌われるのが怖い。今までのように、嫌われて関係を断たれたり、嫌われて話もしてもらえなくなるのが怖い
昔から、誰かと一緒にいるよりも、一人で気ままに出掛けたり、一人で過ごす時間が好きだった。
付き合っている人がいれば、一緒にどこかへ行くのも好きだったけれども、それも、ぼくという性格を知ってくれてからのことで、それまでは、一緒にいても会話が途切れるのが怖かった。なので、自分から色々と話しをしてくれる人ばかりを好きになっていたように思う。
沈黙が耐えられない。しかし、何を話していいのかがわからない。もし、何か場違いな話しをして、相手を落胆させたり、つまらない人だと思われるのが何よりも怖かった。
気を使いすぎなのかもしれない。もっと気軽に話しができればいいと、何度も思ったけれど、自分を変えるのはとても難しい。これが自分の性格だと、自分の特性だと思えれば、良かったのだろうが、その頃は自分が発達障害で、人格障害を持っているなんて思ってもいなかった、
でも、薄々とは自分は人とは違うのではないかとは感じていた。
20代の頃は、さすがに精神医学の専門書など読めなかったけれど、それよりもわかりやすく書かれている、「講談社新書」や「岩波新書」などの精神医学や人格形成、人格障害の本を読み漁っていた。なので、そのような本に書かれている人格障害の内容を見て、「きっと自分はその本に書いてあるような人格障害を持っているに違いないと感じていた。
うつ病と睡眠障害に悩まされ、メンタルクリニックを受診した時も、主治医にはなかなかそのようなことは相談できなかったけれど、通い始めて10年ほどがすぎ、うつ病が治る気配が見られない時に、ようやく主治医に「自分にはうつだけでなく、他の障害のようなものがあるのではないかと相談することができた。
そして、臨床心理士のカウンセリングを受けることになって、初めて自分が「アスペルガー症候群(ASD)に、ADHDの要素も少し入っているということが、診断された。
その時は、「やっぱりそうだったのか」という安心感と共に「自分は他の人のように、人とコミュニケーションをとることのできない、欠陥を持った人間なのだ」という、ショックというよりも絶望的な気持ちに襲われた、
それからというもの、今まで以上に人と接する時に不安がよぎるようになった。今は、こうして仲良くしてもらえているけれど、そのうち嫌われてしまうのではないか?何も考えずに相手を傷つけてしまうようなことを言ってしまうのではないかと、思う気持ちが強くなってきてしまった。
現に、それまで仲良くしていた人に、距離を置かれたり無視されるようにもなった。それからは、人と話しをすることが段々と怖くなってきてしまい、会うのを避けるようになってしまった。
おかげで、ともだちなんていう存在が20歳を過ぎた頃からできなかったのに加えて、知り合いと呼べる人もいなくなってしまった。
そして今、この先気軽に話しをできる存在もいなければ、悩みを打ち明けられる相手もいなく、これからの人生をどうやって生きていけばよいのか、わからなくなってしまった。
そのことを考えると、自業自得にもかかわらず、自分の性格がとても嫌で仕方がなく、今まで周りの人たちにどれほど酷い仕打ちをしてきたのか、自己嫌悪なんてもの以上に自分がどれだけ自分勝手で、情けなく惨めな気持ちに苛まれ、涙が止まらなくなる、
やり直しの効かない人生を、この先どうやって生きていけば良いのか?あとどれほど残っている余生を過ごしていくのか、一人きりで生きていくのが寂しいなんて気持ちよりも、とても恐ろしく怖く感じてしまう。
市役所や支援センターのお世話になっていても、その担当者は、他にも多くのケースを抱えていて、ぼくなんかの気持ちを聞いてくれる時間なんてないだろう。少しくらいは、話しを聞いてはくださるだろうが、ともだち探しなんてやっている暇なんてない。
自分で、なんとかしなくてはいけないとは分かっていながらも、この歳で話しの会う友達を見つけるのなんて至難の業だ、
ただ毎日泣いているしか仕方がない。