天使とバイブル
Yahoo!知恵袋が人生の参考書だった。
親や友人に相談するより先にインターネットに聞いた。悩みを端的なキーワードにしてヒットさせ、似た状況の過去の質問・回答を何時間でも何件でも漁った。そうして様々な回答の中から最も自分の意思に沿うものを解決法として採用していた。
私がインターネットの海に飛び込んだのは、小学3年生頃のこと。家にあるノートパソコンで見つけたとある本好きの掲示板との出会いだった。一年以上眺めるだけの日々が続き、どうにもそこにいる人々と交流したくなった私は父親に許可をとった。拙いタイピングで打ち込んだ自己紹介、ハンドルネームも自分で考えた。それからその掲示板のリアルタイムチャットに年越しも誕生日も入り浸ったり、初めての連載小説を書いたり、その流れでTwitterを始めて絵を上げたり…….この辺りはまた別に書きたいと思っている。
画面越しに様々な年齢・職業・性別の人々と出会った。当時その年で書き込みしている人は少なく、無知ゆえの非礼もあったろうが本当にたくさんの先輩に優しくしてもらった。
小学5.6年生になると、スマートフォンを少し小さくしたような携帯式オーディオプレイヤー、ipod touchが流行った。何でも、音楽を聞けるだけではなくWiFiに繋げばブラウザでインターネットにアクセスすることや、IOS向けのアプリ__LINEやTwitterも使うことができる優れものだった。まだスマートフォンを持てなかった年頃の子にとってWiFiさえあれば同程度のことができ、お年玉や親から誕生日プレゼントくらいの値段で買えるというのは魅力的だった。
インターネットで居場所を見つけた幼い私には、占有のデバイスは喉から手が出るほど欲しいものだった。これがあれば、より身近にいつもインターネットを感じていられる。オーディオプレイヤーとしての本義は全く、後回しだった。三つ折りの跡のついたお札を電気屋のレジに広げて出したことを覚えている。同時期に3DSでもブラウザが使えたなぁ。懐かしい。それでYoutubeやうごメモを見ていた人は仲間だろう。
そうして手に入れたipodで私は四六時中サーフィンしていた。特に見ていたのがYahoo!知恵袋だった。なぜか。
まず、当時の私の悩みは友人関係に関するものがほとんどだった。誰かに悪口を言われただとか、約束した友達が現れなかったとか、喧嘩とか。時には自分の一言が意図しない方向に歪曲されて相手を傷つけたこともあった。
そういう類の悩みは親には相談しづらい。母親が困ったような、心配するような表情が本当に見たくなかった。母にはおそらく悪気がない。第一子である姉は友人も多く、トラブルを滅多に起こさなかった。対して、話すのが苦手で交友関係が狭いわりにその友達ともトラブル別れになることもあり、本ばかり読んで自分の殻に篭りがちな次女。心配するのは当然だった。ただ、心配されるたびに私は姉と同じにはなれないと孤独を深めていき、いつしか親に相談することは諦めた。
また、ウェブサイトから求めている知識だけを抜き出せばいいような問題でなく常にケースバイケースで「状況」が常に伴う悩みだった。Yahoo!知恵袋には色々な状況の質問が集まった。多少の違いはあれど、上手く検索すれば自分の置かれている状況と酷似した質問もあった。自分で質問しなかったのは、回答を待つのが面倒とかそういう何でもない理由だった。時には質問者が「解決しました。ありがとうございました」などとお礼を言っている場面もあって、漠然と勇気がもらえるような気がした。私もきっと解決できるだろうと。
エンタメとして楽しんでいた部分もある。知恵袋珍解答集とかを見て笑っていたし、驚くべきことに多少大人な知識を仕入れたのも知恵袋だった…….笑
思えば、あの頃から自分の意思だけではなく、見よう見まねで正解を導き出していた感覚がある。母や、周りを悲しませないように、失望させないように、”普通”になれるように。多くの人の回答があり、それをなぞることで「自分は大丈夫、自分は間違っていない」と言い聞かせていた。どこかでは自分が自分のままでいれば「普通じゃない、普通になれないかもしれない」ことへの恐怖と劣等感を感じていた。
「他人に合わせなくてもいいんだよ」と言ってくれる人は周りにたまたま少なかった。だから自分を隠して、模倣するしかなかった。今もその癖はある。
でもそうやって生きてきても、伝えたい言葉とか描きたい絵が心に絶えず溢れること。それを受け取ってくれる場所もインターネットにあったこと。インターネットにはお世話になりきりである。インターネット、さいこー!
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