自分に嘘をつくとはどういう状態なのか?
国分功一郎さんの本で、「哲学者と人生について語ろう」という本がある。
前回のNOTEに書いたけど、これからは本音をしっかり感じ取って日々を生活しようと決意したものの、人の顔色や空気や自意識を伺って行動してしまうような自分がどういうところから頑張ればよいのか、具体的にどういうところから本音を感じる練習をすればよいのか悩んでいた。
そんななか哲学者の国分さんの本を見つけて、解決のヒントにならないか読み漁ってみた。
ちょっと難しい感じだったので自分なりの解釈として、どうやら国分さんによれば「自分に嘘をつく」という状態は、人には情動と感情というものがあって、この情動と感情に矛盾が生じたときにどうやら「自分に嘘をつく」といった状態になるらしい。
感情というのは、情動【身体感覚】に引っ張られてはじめて起こるものらしく、例えば涙がでる【身体感覚】から悲しい【感情】とか汗をかくから暑いみたいな感じで、必ず身体感覚を通して感情というのは涌き出てくるものとされている。
動物ならここの情動→感覚という流れを滞りなく感じとりそれにしたがった行動をとる。
でも人間は、もちろんその通りに行動をとることもできるし、そうではない行動や思考をすることだってできる。
だから、人間関係とかでも僕の場合、「この人良い人だけど、なんか違和感ある」みたいなことを思ったりしている時がある。その時の身体感覚は、わりと動悸のようなものを感じていて、たぶん身体は「逃げろ❗」と合図を送ってくれているのだろうけど、顔色を伺ったり、空気を読んだり、自意識が邪魔したりしてそのままズルズル付き合ってしていた(笑)
ちなみに、違和感を感じる瞬間として、世間一般で言われていることを声高く主張していたり、笑いのセンスがわりと品のない笑い【ドッキリとか小馬鹿にするような】だったり、あと小さいことで言えば白パンツや尖った靴をはいてたりするとなんかわかんないけど「うっ、」って思ってしまう(笑)【本当に偏見まみれ】でも本当に結果的に当たるんだもの😭
今でこそ、そういうセンサーの精度は高まって、自分の好きな人、苦手な人を言葉にして言えることだってできる。
仕事でも身体がしんどくて、あきらかに向いてないくせに「これは天職だ❗」と言い聞かせて仕事を続けることも嘘をつく状態だ。
国分さんに言わすと、そういう感じで情動→感情の流れを無視して行動をし続けることが「自分に嘘をつく」という状態で、これはやはり生きていく上であまりよくないらしい。ただ、その一方で、情動に逆らう思考を持つことで、周囲の環境に適応していくことができるという良い面もあるので、ある意味で、自分に嘘をつかないというのも難しいことでもあるとも国分さんは書いている。
結局は、そのバランスなのかなぁとか思ったりするけど、やっぱり過去を振り返っても嘘をつく瞬間の方がほとんど多い人生だ(笑)
少しずつだけど身体感覚に従う練習をして、本音を感じる力を養いたい。そしてできれば行動に移すまで。
そう思うと、今マイブームのサウナはわりと正直に情動をそのまはま表出した行動をとる良い練習になってる気はする(笑)