George Floyd氏の葬儀に見るブラックカルチャーパワー
今日はテレビでのクオモ州知事の会見途中に、いきなり中継がジョージフロイド氏の出身地、ヒューストンでの葬儀の中継に飛ぶというハプニングな放送状態になった。ミネアポリスのメモリアルの時と違い、広めの葬儀会場には天使の羽が描き加えられたフロイド氏の肖像画が飾られ、とても多くの黒人の支持者や彼を思う人たちが正装のマスク姿で集まった。(もちろん白人の人たちもいる)
葬儀の最初から、ずっとブルースコードのキーボードのメロデイが会場に流れ続け、関係者の挨拶の後、パワフルすぎる黒人女性のゴスペル調スイングが始まり、圧巻すぎて思わず言葉を失う想いになった。本当に。。以前LAの黒人エリアに短期滞在していた知り合いが、たまたま黒人の友人に連れられて、黒人の人たちの行く教会でのゴスペル(商業目的ではない)のミサに参加して、みんなが大声で歌って、人によっては感極まって泣き出したり、ほぼトランス状態にまでなっている様を目撃して圧倒されたという話を聞いたことがある。その時に教会の中にいたたった一人のアジア人である彼女は、ただ小さくなってそこにいるしかできないぐらいにこの体験はパワフルだったと言っていた。この葬儀の最初の女性シンガーによるスイングは、本当にそういう状況を想像させるぐらいに凄かった。
葬儀の中で、親族、関係者、同級生などの力強いスピーチが続く合間に、ゴスペルやスイングが歌われるのだけれども、音楽というものを通した黒人の人たちの表現のパワーは凄まじく、本気で差別のない正義を訴える姿は、南北戦争前からの数えきれない歴史の中で、こんなにもパワフルで素晴らしい表現力を持つ人たちが、どれほどまでに抑圧されて同じ問題と戦い続けてきたのかという片鱗を感じさせるには十分だ。
そして、George Floyd氏を失った家族の人たちもまた、今回の悲劇を通し、ファミリーを一人失った悲しみだけでなく、同じ悲劇を繰り返さないように本気でみんなに祈りを届けたいと思っているに違いない。
当たり前のことだけど、正義の元には黒人も白人も一切関係ない。だから、こんなにパワフルですごいカルチャーを持った人たちのルーツを肌の色だけで奴隷扱いしてしまった遠い日の移民が犯してしまったこの国の歴史の間違いを、今ここでやり直す時が本当に来ているのではないかと思う。そして、その間違いを理解して胸を痛めている白人の人たちもまた、今のこの国には数多く存在しているのも事実だ。
東部時間のお昼に始まった葬儀は、すでに数時間以上続いている。今回の彼の尊い命の犠牲が決して無駄にならないよう、今度こそこの国の黒人差別の歴史を塗り変える大きなキッカケになりますよう。祈りを込めて。Rest in peace, Mr.George Floyd.
今日は色々なおさらいの意味も込めて、キング牧師の演説を紹介します。
「私には夢がある」は、1963年8月28日に行われたワシントン大行進の最後の演説となったアフリカ系アメリカ人の公民権運動の指導者として知られるマーテイン・ルーサー・キング牧師による歴史的演説。