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学校で教えないジャスミンの映画の歴史

ジャスミンの映画の歴史を紐解くと
今からおよそ、およそじゃない、
きっかり59年前の17歳。

ふと誘われて行った
デパートの8階にあったミニ・シアター
そこは洋画専門の いわゆる名画座で
二本立てで¥100だったけれど
そこに乗り入れてる 私鉄の切符の窓口で買うと
¥80なの。

一番はじめに観た映画が 何だったか覚えてないけれど
『ローマの休日』や『風と共に去りぬ』『エデンの東』など
観ましたね。

私と友人はプログラムが変わるたび
高校の制服のまま 行ってたけれど
学校がウルサイ私立で
電車の改札口で一度 風紀の先生に見つかり
映画のチケットを取り上げられ
親が呼び出され 3日間の停学処分。

あのチケット、セン公が観に行ったに違いない。

友人は親にも厳しく叱られ、それに懲りて
ミニシアター通いを止めてしまったので
後はひとりで通った。

私の親は 父母とも映画好きだから
叱るどころか 厳し過ぎると 学校に文句を言っていた。
父が「しかし制服のままじゃマズイだろう」と言うと
母は「だって家に帰って着替えて行ったら 帰りが夜になるわ」と
あくまで味方してくれた。

私はそのうち アメリカ映画より
フランス映画や イタリア映画に惹かれていき
なんといっても 衝撃を受けたのは
『太陽がいっぱい』だった。

あの夏の日。今でもはっきり覚えてる
ミニ・シアターはいつも混んでたけれど
この日も超満員で 通路に鞄を敷いて観た
お勉強が出来る訳ありませんね。

三日続けて観に行った。

はじめてドロンさんを観たときは
世界にはこれほど美しい人がいるのだと
心臓に一発、ずどんっと風穴を開けられた。

でも、一方では 世界中には
他にも これほどの美男子がいるのかな
とも思ったけれど
結果は 約60年間、ドロンさんを超える人はいなかった

それから現在まで
ミーハーと言われようと オツムてんてんと言われようと
ドロン様ひと筋!
だから亡くなってしまった今は
哀しいと言うより 虚脱感が強いのだけれど

でも、一緒の時代を生きられた幸せを感じてる。

そしてよっぽどフランス人が好きなのか
たった一人の 一番好きな女優さんがBB
ブリジット・バルドーさん

こちらはドロンさんより早く
小学6年生の時 母に連れられて観た
BBの『月夜の宝石』と
ソフィア・ローレンの『島の女』の二本立て。
もう一目でBBに夢中になった

雑誌の切り抜きなんか ペタペタ貼って
「好きな人の写真を見続けてると
 いつかその人に似てくるのよ」という
母の無責任な言葉を信じた訳ではないけれど
いつも いつも ぼんやり眺めてましたね。

それから 邦画を観はじめたのは30代後半かな。
小津安二郎監督作品は 母と一緒にときどき観ていた
東宝の社長シリーズも観た。
母もグレゴリー・ペックのファンで
かなりの二枚目好きだったけれど
何故か?森繫久彌さんも好きだったみたい。

そんな訳で
特に古い邦画にどんどん、のめりこんでいき
やがて 小津さん、黒澤さん、三船さんは絶対的存在!

成瀬巳喜男、今井正、新藤兼人、千葉泰樹、熊井啓・・・
書物も買い込んで
いろいろ知れば知るほど好きになった 
古き良き邦画の世界。

そういう、自分の大事な作品については
頑張って 頑張って書いて 有料にしてる。

嗚呼、長々とすみません。
後期高齢者・ジャスミン・ババァ
半ボケなので許してくださいね。
















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