知らなきゃ損よ! クロサワ『羅生門』おもしろ裏話
芥川龍之介原作 黒澤明監督
脚本・橋本忍
撮影・宮川一夫
音楽・早坂文雄
昭和26年。日本ではじめて
海外映画祭でグランプリを取った『羅生門』
それにまつわる 数々の裏話は
本編よりも面白い!
と言ったら 黒澤さんに叱られる!?
昭和25年『羅生門』撮影のため 大映京都撮影所に
はじめて黒澤監督がやって来た。
監督の姿を見つけると
仕事中だった大映社員たちは 窓辺に駆け寄り
「あれが黒澤はんや、ごつう背が高いなあ」と騒いだ。
このときの黒澤さんは 40歳になったばかり。
白いピケ帽、白いTシャツにGパン、腰に手ぬぐいをさげて
まるで学生のような いでたちだったが
ただ歩いてるだけで 周囲を圧倒していた。
ちなみに 脚本・橋本忍は32歳
撮影・宮川一夫は42歳
音楽・早坂文雄は36歳
芥川の龍さんは 23歳で「羅生門」を書いた。
映画『羅生門』は
1950年(昭和25)の 8月25日に公開されたが
その完成まじかの 8月21日と22日に
2度も立て続けに 火災にあっている。
25日には 帝国劇場でのロードショウ
翌26日からは
全国一斉公開が決定していた時期だ。
「火事だ!」という誰かの声に
ネガを山積みにして
編集とダヴィングをしていた 編集室は大混乱になった。
当時は可燃性フィルムだから セルロイドと同じで
一触即発、火を呼ぶようなものだった。
女の子たちは興奮して わんわん泣き
近くの東横映画 (のちの東映)の連中が
どっと助っ人に飛んで来て 右往左往し
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