孤高の映画監督 ロベール・ブレッソン スリ (1960) 仏
ロベール・ブレッソン監督
『抵抗(レジスタンス) 死刑囚の手記より』
『バルタザールどこへ行く』『田舎司祭の日記』
『ラルジャン』など・・・
職業俳優をいっさい使わないという
独特の演出法を確立した ブレッソン監督作品。
あるスリの青年が 犯行と更生を繰り返す
犯罪サスペンス・・ というより
心理ドラマと言えそう。
ブレッソン監督は
寡作ながらも発表した作品は いずれも高評価を得て
カンヌ、ヴェネツィア、ベルリンの
三大映画祭などで 数々受賞しています。
〇
孤独で虚無的な日々を送っている
パリの貧乏学生 ミシェル (マルタン・ラサール)は
母親の元を出て 安アパートで暮らしているが
定職についてないので いつも金がない。
そのくせミシェルは
頭が良いゆえに 自分は特別なのだという思いで
世間を見下していた。
今日はロンシャン競馬場に行った。
もちろん 馬券を買う余裕は無いが
スリでもやってみようかと 思い立ったのだ。
生まれつき頭もよいが 手先も起用だと言われていた。
はじめてのスリ体験は 体がぶるぶる震えたが
金を抜き取ることには成功した。
だが 一分後、競馬場を出たところで逮捕される。
容疑は挙動不審だったが スリの確証がなく
刑事の尋問だけで すぐに釈放された。
ミシェルが盗った金の半分を 母親に届けに行くと
アパートの 母の部屋の階下に住む
ジャンヌ (マリカ・グリーン)に会った。
ジャンヌは不幸な娘だった。
母は家出をし
酒乱の父と 小さな妹たちの面倒をみていたが
そのうえミシェルの
病気の母の世話までしてくれていた。
ミシェルはそれから 何度かスリを働いたが
危険度に見合うほどの収入は無かった。
あるときは
唯一の友人ジャックに 仕事を紹介してもらったが
仕事先に行く途中の地下鉄で 他人のスリの犯行を目撃。
触発されて今度こそ
スリひと筋で身を立てる決意をする。
ある日、自分を追けまわす人物に気づき
刑事かと思い 警戒していると
それは プロのスリ集団の人間で
ミシェルはスカウトされ
やがて彼らと組んでシゴトをするようになる。
毎日の特訓。
手品師のように 指を柔らかくする訓練
ピン・ボールで反射神経を養い
スーツの内ポケットに 手を滑らせる訓練
ハンドバッグや腕時計の留め金を 指一本で外す練習など。
このスリ集団が
巧妙な手口をつぎつぎ見せる 列車内でのシーンは
流れるカメラワークが素晴らしく 映像が非常に美しい。
財布や腕時計を抜き取る 滑らかな指さばき。
仲間の手から手へ渡る 一連の動作が実に見事で
"スリ"という犯罪の善悪を考える余地を与えず
一種の感動すら覚える。
そんなあるとき、ミシェルは喫茶店で
冒頭の競馬場で 逮捕された際に
尋問した刑事に出会う。
刑事は親し気で
ミシェルの持っていた愛読書に興味を持ち
それを持って 明日、警察署に訪ねて来いと言った。
翌日 言われた通り 警察に行ったが
ミシェルはさんざん待たされ
やっと会えた刑事とは たいした話もせずに帰される。
アパートに帰ったミシェルは
その間に自分の部屋が 家宅捜査されたことに気づいたが
隠してあった紙幣は無事だった。
警察に目を付けられていると知った ミシェルは
彼を愛している ジャンヌを振りきり
パリを離れ イタリア・ミラノへ向かった。
ミラノで
2年ほどスリ生活をした後 戻って来ると
ジャンヌは昔のアパートで
ジャックとの間に出来た 赤ん坊を育てていた。
ジャックには とうに棄てられたという。
ミシェルはふたたび
ロンシャン競馬場に行き スリを働いたが
そこで
おとり警察官によって 現行犯逮捕され
今度こそ 実刑を喰らった。
面会に来たジャンヌを前に
ミシェルは決意する。
刑を終えたら ジャンヌと子供と一緒に生きようと。
「君にたどり着くのに どれほどの回り道をしたことだろう」
〇
この映画は
ドストエフスキーの『罪と罰』を下敷きにしているという。
それは共に 頭脳明晰な貧しい学生である
ラスコーリニコフと ミシェルの持論が共通している点だ。
「聡明で天才的な人物は 社会に必要である。
ゆえにその人物が不遇な場合は 法を犯す権利がある」
ブレッソン監督は 芝居がかった演技を嫌い
その作品限りの 素人ばかりを起用し
出演者を「モデル」と呼んだ。
しかし ジャンヌ役のマリカ・グリーンは
この後、女優として映画界に残った。
美しいですもんね。
『暗殺の森』などの ドミニク・サンダも
出発はブレッソン監督作品である。