歴史は回るし踊る。が、繰り返しはしない -香港「移民潮2.0」の現実と苦痛
最近、自分の周囲でも香港人の海外移民が止まらない。
元々中国大陸含めSinophone(中文圏、とでも言おうか)のあちこちから移住してきた人々の集団だし、フットワークの軽い人々なのではあるが。
大きなきっかけはやはり2020年の「国安法」導入と施行による急激な一国二制度の崩壊で、言論統制が大陸のそれに近づきつつあること、銀行口座さえも政府の意のままに凍結され得ること、意に沿わぬ”愛国”教育制度を強いられつつあること、というので、政治的立場から身の危険を感じたオピニオンリーダーや民主派議員だけでなく、学齢期のお子さんがいる一家が挙って香港から去っていく。
香港は、英国から中国への返還(こちらでは”回歸”と言われる)が決まった頃から天安門事件あたり('80年代~'90年代)をピークに、返還後の将来に大きな懸念を抱いた香港人が挙って移民した歴史がある。主な移民先はカナダ、英国、オーストラリア等だったが、移民先で生計を立てる難しさやアジア経済成長なども手伝って、仕事を求めて香港に戻った人もかなり多かったのだ。
今回は政情不安、いやもう不安どころではなくネガティヴな変化が現実になり再び「移民潮(ブーム)」になっているのは明らかなのだが、90年代までのそれと違うのは、主要な移民先に台湾等、身近なアジアエリアが加わっていること、そしておそらく一度移民したら以前の移民潮の頃のように香港に戻ってくる可能性が低い、ということだ。
7月13日付ブルームバーグ掲載のクララ・フェレイラマルケス氏のコラムが、今のところ移民手続資料の統計からその傾向を読み取ろうとしていて、一番端的な解説とフェアな見通しではないかと個人的に思っている。
以下勝手に全文和訳してみました ↓
香港からの大量移民、現実と苦痛
(クララ・フェレイラマルケス)
* 今回加速している移民ブームはどうやら恒久的なものに
* 政府当局や企業は、経済的で国際的魅力を急激に失いつつあるハブ都市香港の、移民による影響を軽視してはならない
昨今の香港では、何気ない日常会話の中でもすぐに移住の話題になる―移住先、仕事や学校の探し方など。MTR駅の広告にはロンドンのベッドタウン不動産紹介文字が躍る。香港の総人口750万人のうち既に多くの人々が、中央政府の急激な締付けに直面し、新天地を求めて移動を始めている。
子供たちの逮捕や親中的教育カリキュラム導入といった現実に刺激され、一握りの若き活動家のみならず多くの一般家庭も、コロナウィルスのパンデミックによる出航制限が解除された日には更に多くの人々が後に続くと思われる。
彼らの逃亡や不在は、この街に変化を落としていくだろう。
この「脱出」の規模を測るのは難しい。タイムリーな統計が十分になく、また、コロナウィルスの渡航規制下では移民の意思決定にも影響が出ている。しかし、アンケート調査や非公式な証拠、また代理業による手続きなどから、そこには既に確固たる流れがあることが判る。
先月自身が出国手続を行った際、同じ手続フォームへの記入を行う若い香港人たち(多くはカップルだった)を見かけた。コロナウィルス禍で統制された空港から出国した朝、家族連れが密集し行列するエア・カナダのカウンター付近と、その他の誰もいないガラ空きのチェックインカウンターの光景はものすごく対照的であった。
また、ロンドン行きのチェックインカウンターにはスーツケースを積んだトロリーが所狭しと並べられていた。英国が歴史的過ちを正すべく設定した、旧植民地香港に住む500万人以上の市民対象に庇護と市民権授与への道を提供する「BNO(英国海外国民)移民プログラム」の申請者が増えているからである。
当然ながら香港は、何世紀にも渡り、絶え間ない人々の出入りの波によって形成されてきた。1997年に英国が中国に返還するまでの10年間、およそ50万人が香港を離れ多くがカナダに移住したが、当時飛び立った多くのひとたちは市民として戻ってくることが可能ながら、移民は天安門事件後の数年間でピークに達し、年間で総人口の1%が移住した。
ただ、今回は更に劇的な様相だ。昨年はコロナウィルス禍の真っ最中にも拘わらず、台湾行きだけでも1万8千人以上の香港人が居住許可を得ており、その数字はその前年2019年の約2倍にも上る。
今年の1月末にBNOビザ申請が開始された2か月間で申請者数は3万4千人に上り、そのうちの2万6百人が英国外からの申請とのことである。国会委員会へ資料として提出された公式推計によると、今年中に申請者数は12万人に上ると予測されており、1990年代初頭の香港出境者数の2倍に迫る数字である。
年金の引出しや犯罪歴調査申請等、通常多くの移民プログラムの要件となる各種手続申請の増加数などによっても傾向が把握できるのだ。
中国も、ただこの状況に目を瞑っているわけではない。親中派コメンテーターたちは西洋社会で待ち受ける人種差別に言及し、「税金と社会正義の恐怖」についてヒステリックなコメントを展開するなど、厳しい大反論を展開している。
香港の立法会は、中国本土のように各政府機関が望めば随意に出国禁止措置を取ることができる法律を導入し、また、政府がBNOパスポートで出国した人々の年金引出し請求を妨害している。
いずれにしろ、大量移民が忠誠心の低い市民を排除するための有効な手段と看做されている、ということではないだろう。
一方で、市民の香港在留を奨励するような施策は実際には何も行われていない。政府は、香港人にとってどれだけ学校教育がデリケートなものかをよく理解していながら愛国教育の導入を前のめりに進行している。昨年から施行された、国家安全法の適用範囲を低学年の児童にまで教育することになる。
今年初めには、2019年の街頭デモ活動中に警察との衝突に巻き込まれた米国人弁護士が刑務所送りとなった。この弁護士は、警棒で殴られていた通行人を保護したということだが、この逮捕劇は香港内外でそのブランド名誉を取り戻そうとしている香港にとっての捻じれである。政治目的が全てにおいて優先するのだ。
移民増加を示す根拠が続々と出てくる中、政府の見解は2つに分かれている。まず一つ目は、5年間で英国だけで100万人以上の移民数という、英国の予測範囲の上限は満たさないであろうし、今出ていく香港人達はまた香港に戻ってくるだろう、というものだ。香港返還が近づき1980年代から1990年代にかけて移民した香港人のうち、何万人もの人々が戻ってきた。その多くは、2つの場所を行き来する、所謂「太空人(元は“宇宙飛行士”を意味する中文、転じて家族を移民先に残し香港に出稼ぎする父或は母を指す)」で、離れた二拠点で家族が形成された。しかし、今回再度同じ状態になるとは思えない。40年前、物事が悪い方へ向かうのではという懸念を抱いた人々が移民したが、その多くは実際に現実のものとなっているし、中央政府と香港政府双方が公式旅券として認めないことにしたBNOパスポートで移民した人々の再帰国を、政府が歓迎する可能性は殆どないであろう。
もう一つの見解は、当局にとって移民問題はもう「どうでもいい」ということ。残るべき市民は香港に残り、大陸本土の人々が香港に移住してくるから、中央政府は1980年代の頃のように香港を必要とはしないと言う。これはある程度正しい推測ではあろう。ただそれは、最早香港が二つの世界を結ぶ懸け橋ではなく、強い国際感覚を持つ金融都市でもなく、「中国の」香港であり、ローカル出身の若い人材がいなくなり、高齢化が加速してゆくことを意味する。そして香港が、嘗て経験したことのないような単一文化環境になっていくことは、最早優秀な大陸本土の人々にとって魅力的には映らず、香港ではない別のどこかを移住先に選ぶであろう。経済成長と開放度を示す証である海外駐在員が大挙して香港を去ることは暫くないであろうものの、新任の人数はかなり減少している。
その先にあるのは明らかな破壊ではない。情報統制強化と司法の独立が踏みにじられる中、未来に待ち受けるのは企業や政府関係者が自ら否定した「香港の空洞化」だ。
無論、過去に金融ハブ都市がトラブルに見舞われたことはある。経済アドバイザリーであるランドフォール・ストラテジー・グループ(Landfall Strategy Group)社のデイヴィッド・スキリング氏が指摘したように、ドバイは2008年の金融危機後の混乱で、極端な企業のドバイ撤退や流出を経験している。それは主に金融面での問題だったものの、UAE政府はその地位回復のために総力を挙げて取組んだ。一方香港は、当時の教訓をここで生かそうという気はさらさらないようだ。たとえ中国への統合が更に深まったとしても、香港という都市の吸引力を決定的に失いつつある。
中央政府は、常に対外的評判や穏健な考えよりも政治的必要性を優先させる。「香港の空洞化」は、若い世代の流出という膨大な機会費用の負担と、より大きく、よりうるさく意見を持つディアスポラ(移民社会)の創出を受け入れることを意味するのだ。