⚖ 6年+本人訴訟 【31】~飯塚素直裁判官は,「除籍でも,自主退校でも同じ」
ところで,飯塚素直裁判官は,繰り返し,以下を言った。
「除籍でも,自主的退校でも,同じでしょ」
それは,私には,信じがたい言葉だった。
面談を拒絶され,説明を受けたり自分の意思を訴える機会もないまま,
一方的かつ強引に,「除籍で退校」として排除されたからこそ,訳がわからずに精神的苦痛を負い続けた。
さらに,退校について,「除籍ではなかった。自主的退校だった」と前提事実が転じたからこそ,精神的苦痛はさらに甚大化し,事案の真相解明のため,審理が長期化し,損害は拡大したのである。
事実,私は,退校に関する真相究明のため,厚生労働省と東京都に,開示請求を重ね,一部,審査請求もして,「除籍で退校させられた」事実を主張し続けた。
しかし,同裁判官は,この点について理解を示すことはなく,私は途中,何度か,書記官室のあった,同裁判所別館4階の窓から投身したい衝動に駆られた。
【訴訟3】についての記事で後述予定だけれど,
退校前,東京都からの対応がないまま,二次被害が拡大していた最中,学校の屋上から投身して,警察沙汰になれば真相解明されるのでは,と考えた際と同様である。
「除籍で退校」のはずが,「自分の意思で退校」にすり替えられていた
と知り,「どうっちでもいい」思うことは私にはできない。あんなにも苦しんだ「退校」が,自分の選択である等,どうしても認められない。
そもそも,そのすり替え事実自体,私は「さらなる違法だ」として,途中,損害賠償額をアップし,「訴え変更申立」をしていた。
裁判が長期化し,単発の日雇い案件か,短期の単純労働案件程度しか仕事ができず,(当然,裁判費用も膨れ,)経済的に不安を抱えながらも,最低限の人格権を回復しないでは進めないからこそ,審理を欲して,申立てたのである。
しかし,飯塚素直裁判官は,上のように,訴え変更申立の争点をも無視し,除籍通告やその確定等の行為事実も,訴訟提起から4年後,「東京都の指示にしたがった」との主張事実も,校長は「生徒の退校」という重大な校務をつかさどる職務があるにもかかわらず,「関知しない出来事」と断言している事実も,全て,遺脱したまま判示しているのである。
憲法76条3項に,「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」とある。
いわゆる「裁判官の独立」の根拠とされている。
しかし,飯塚圭一裁判官,飯塚素直裁判官他,本連載で言及した大多数の裁判官に「良心」の存在が疑われてならない。あったとしてそれは機能しているのか,疑問である。
あるいは,「組織」の問題なのか?
森剛裁判官が,異動直前に「被告は破綻」とコメントし,文書提出命令申立て手続を開始した事実からも,日本の裁判所に共通して,「単純でもない事件で,本人訴訟の案件に対しては,是が非でも請求を認めない」といった慣行例でもあるのだろうか。
「勝たせたら,弁護士に依頼しようとしなくなってしまう」
とコメントしたのは,私の旧友だけれど,そういった理由から「中立公正な審理をしない」「請求は断固として認めない」と決めているのだろうか。
これまで6年以上も,全てを投げうって,事案解明,真相究明,そして人格権の回復を求め,盆も正月もないまま,視力に支障を抱えながらも,来る日も来る日も,書面作成し,証拠集めに奔走し続けている私を,
「バーカ」と嘲笑われている気がするこのごろである◆