自己愛カルチャーから逃げ出そう!
皆さんこちらの本ご存知でしょうか?
著者はアメリカ人のAllie Beth Stuckeyです。ポッドキャストでRelatableのホストも務めています。YouTubeでもご覧になれます。2020年時点で28歳ということですが、クリスチャンとして愛国心を強く持ち、アメリカの政治、経済、文化に切りこんでいきます。めちゃくちゃかっこいい。そんな彼女も一女性であり妻であり一児の母です。
これまでの人生で苦しい辛い経験もされてきています。
その原因は世界で広まる「自己を愛そうという有毒文化」が原因でした。
1.イントロダクション
みなさんこれまで、アイドルやアニメの主人公、俳優,,女優に憧れて、その人たちの、歌やダンス、セリフ,服装などマネしていたことはありませんか。
そして、こんなことを思うのです。
「私も次のブリトニースピアーズになりたい。ショッピングモールでママと歩いている時に、スカウトされる!」
1990年生まれの私は著者にものすごく共感しました。皆さんはどうでしょう。セーラームーン?おジャ魔女どれみ?モー娘。?あゆ?スピード?ZONE?
何かしらに憧れ、ずーーーーーーっとその人のことを考えるのです。家ではその人たちになるために歌やダンスの練習をして親に呆れられてることなど気にせず、友達と遊ぶ時にはみんなでそれを見せ合います。
月日は経ち、ある日気づくのです。「私はあの人になれない・・・・。」
受け入れらない・・・・。私は3回ほど経験しました。
成長の過程で、現実と理想をすり合わせ、気づくのは
「私は自分が思っているほどに特別ではない。」
→「私に必要な素質はない。」
→「私は十分ではない。」と・・・・・・・
そして大人になってもこんなサイクルに陥るのです。
これこそが著者Allie のいう、the toxic culture of self-love
ここでは自己愛への有毒な文化としておきます。
自己愛への欠如(才能や能力の無さ)は
・自己肯定感が低いから
・自分に自信がないから
・自分がいたいと思っていたことを実現できていないから
そして世間はこういうのです。
この自己愛への欠如や自己否定から抜け出せないと、
自分たちが生きたいようには生きれないのだと。
すべての成功体験は、自己愛によるものだという思考へ向かうのです。
ここ約50年近く、心理学では高い自己肯定力が社会問題の解決策として注目されているのです。そして上記のようなメッセージがこの世に広がっています。
しかし、そのように育てられたきたであろう、今のアメリカの40歳以下の人たちは空虚感にさいなまれています。
著者は思いました。「もしかしたら、私たちが満たされなかったり、孤独感を感じたり、生きる目的が見えないのは、自分たちを愛しすぎてるからではないか?だってたとえ、私たちが自身を愛せないときでさえも、自分の欲求、必要、問題、夢の優先順位をつけ、どれをみたせば、自分は幸せになれるのかと考えるのです。自分を愛しているからこそできることです。」
ある調査によると、アメリカのミレニアル世代(1980年前後から2005年ころに生まれた世代)は信仰や家族、愛国心について,上の世代よりも、気にしてないというのがわかりました。
では、信仰のあるクリスチャンはどうなのでしょう。
著者はクリスチャンであるヘイリー・ビーバー(ジャスティン・ビーバー)のインタビューを見て、きづくのです。
若いクリスチャンの人たちでも、
自分の心を満たすために他人に愛される必要はない。
あなたが必要なのは自分自身。
という思考に至っているのです。
確かに私たちは他人から承認や需要に執着している。
しかし、自分の幸せを他人に依存してはいけない、自分を定義付けるために他人の承認に頼ってはいけない。これも事実です。
これらの事実から、他人に依存してはいけない、じゃ、自分に依存しよう、そして、他人は関係ない、自分は自分であることに十分であるという考えにいたるのはいたって普通のことなのです。
著者はいいます。自己愛は自己嫌悪の解毒剤ではないと。
自分自身が問題なのに自分自身が解決策になることはない。解決策は自分の外にあるのです。
(私はこう理解しました。携帯が壊れて電源もつかないのに、その携帯で解決策を導こうとする。でもその携帯で解決できないから、お店にいったり、他のデバイスで解決策を見出す。)
自分の外側に解決策がある。それは
神様の愛
だと主張します。クリスチャンでない方は驚かれたことでしょう。
自己愛はみんなが経験してきたように枯渇する。でも、神様の愛はそうではない。
この自己愛の文化は、もはや話題の動画やブログのテーマなどではない、私たちを悩ませる思考なのです。
聖書にこうあります。
この世の人と同じ生き方をし、罪にまみれ、主に反抗する人の心に今も働いている、力ある支配者サタンの言うままになっていたのです。エフェソ2:2
しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです。エフェソ2:4~5
私たちは堕落、助けようのない者でした。でも、神様の力を通して、神様はわたしを助け、清め、神様の最愛の息子のなかに私たちを生かしてくれたのです。
念のため、著者は言います。この本は自己非難を推奨したり、ネイルをして気分がよくなることを恥ずかしいと思わせるためのものではないと。
この本は、自己不信、自己嫌悪、不能さ、自信喪失に対する世界の答えは完璧でないといううこと、そして、神様の解決策はよりよいというのを伝えるものです。
私たちは自分を満たすために、自分に自信を持つために、自分のガイドとして、自分の生きる目的を見出してくれる人として、神様を頼ることができるのです。
これがイントロダクションです。
著者はアメリカ人ですが、私たち日本人も当てはまることだと私は感じました。
そして、私はこの自己愛への確固たる信頼がありました。
自分を愛すことができなければ、他人を愛すことができない。
他人が自分の価値をきめるわけではない、だから、自分に価値をおこう!
わたしと同じゆとり世代の人って結構こういう人おおいような気がします。そう、教えられてきたし、それで世の中が受け入れてくれてたし、生きることもできた。
でも、いつまでも満たされない空虚感が追いかけてくるんですよ。
大学卒業、企業就職、昇進、昇給、他人から認められうれしくなる、結婚、出産、子育て、ママ文化・・・・・・・。
いつまでたっても、満たされないのです。この空虚感。
日本人は自分のことは好きではないという人は多いですよね。
でも、その理由は?
自分はかわいくない、美しくない
自分はお金がない
自分は資格や学歴がない
自分には時間がない
自分の思うように家族が、彼が、子どもが、ダンナが、動いてくれない
そう、自分、自分、自分・・・・・・・・
自分のことばかり、自分が満たされないことを他人のせいにしたり。
私はこの自己を愛する文化から抜け出すために、この本を読み進めると決めました。
みなさん、素敵な1日を!