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今、生きていることは当たり前ではない


 この30年間で私が死について、時系列で学んだことを書いていきます。

・祖父の死

 まだ5歳だった私はおじいちゃんが亡くなったということが理解できず、家族に、もうおじいちゃんには会えないということを知らされ、泣き叫んでいたのを覚えています。→死とは一生の別れであり、悲しいもの。

→私は帰省のたびにTO DO  LISTを家族に送ります。そこの1番には祖父のお墓参りです。お墓を掃除して、大好きなおじいちゃんに近況を伝えたいそんな自己満足からです。


・同級生の死

 中学生の時、同級生が白血病で亡くなり、同級生全員でお葬式にいったのを覚えています。今でも、帰省してその子の家の近くを通ると、その子の顔を思い浮かべます。→健康は当たり前ではない。


・同級生の自殺

 隣のクラスの子でした。クラス混合で授業受けるときは話したこともありました。ある日、登校すると隣のクラスが騒いでいました。先生から、その子が電車に飛び込んで亡くなったと知らされました。理解はできるんです、でも呑み込めないというか。衝撃でした。教室中が一瞬、時が止まったような感覚を覚えています。お葬式に参列させてもらいましたが、お顔を見れる状態ではなかったようで、その子が制服を着て微笑んでいる写真が顔の部分に覆われていました。遺書はなかったようです。理由は私たち生徒にはまったくわかりませんでした。→身近な人が、その周囲の人が理由もわからず、亡くなることもある。もしかしたら、それは自分の近しい人かもしれない。


・曾祖母の死

 うちでは伝説になるほど、たくさんの珍事件がある人でした。(ダイヤの指輪をティッシュにくるんでいるのを忘れて捨てるなどなど)亡くなったと知った時、うそでっしょって口からこぼれました。お葬式には参加できず、最後に顔を見ることができなかったのを後悔していました。お墓参りにいきたいという思いはずっとありました。祖母が帰省する時に、私も行くことにし、お墓で曾祖母に話しかけた時、涙が出たと同時にやっとやっと挨拶できたという気持ちになれました。そして、こんなにも愛されいる曾祖母をあまり知らないことに寂しさを覚えました。→最後にお別れを伝えることで、自分なりにけじめがつけられる。


・祖母の死

 家族の事情でなかなか会うことがなかった父方の家族。会わなくなって10年以上たっていましたが、父が祖母の病気が悪化してるから亡くなる前にこどもを会わせたいということで、父と弟と私で何度か病床や家に会いに行きました。あるとき祖母が「色々あったけど、どうしようもなかったんや。ごめんな。」と目をつむりながら、後悔と無念を含んんだそんな声で話してくれました。その時ふとわたしが子供のころ、母から「こんなに苦しい思いをしているのは父方の家族が私たちを見捨てたから。」と言われたのを思い出しました。詳しくは聞けなかったけど、両家の中に亀裂が入っていたのは明らかでした。→この世を去ると謝りたい人はいるけど、自分の何かが邪魔をしてごめんの一言をその人に伝えることはできなくなる。時間を取り戻すことはできなくなる。


・看護師になってからの死、書ききれない・・・・

 「もう十分に生きたの。死なせて、殺して。神様に私はあいたい。」と懇願してきた患者さん

死は恐怖ではなく、自分を休ませる場所、楽園と認識されている。

 

・私自身が死に直面した瞬間

 母は私を流産しそうになったと以前教えてくれました。聞いたとき「え、私が??」って思いました。でも、もしかしたらあなたもそうだったかもしれません。なぜなら約15%の妊婦さんが流産を経験されています。悲しいですよね。それを考えると、命ってすごく尊いなって思う。


 友だちと信号のない横断歩道を歩いていました。中目黒のドンキ近くです。車が通っていなかったので渡っていたら、横断歩道に入ってきた車には当て逃げされました。犯人は捕まっていません。→誰かに命を奪われることもある。

 

 この世に生を受けたこと、この瞬間生きていること、奇跡です。はい、大切なんでもう一回いいます。奇跡です。そして、この世にいる他人もそうなんですよね。


 、健康で、どこに痛みもなく、座って窓の外をたまに見ながら、文章を書くことができていること、目が見えること、耳が聞こえること、10本の指があり、マグカップをもって温かいコーヒーの味を認識して飲めること。


 自分の周りには有難いこと感謝で囲まれていると感動します。


 予期せぬ死で、私が明日、いや1時間後、寝てるとき死ぬとしたら、今私は何がしたいやろう?後悔することはなんやろう?


 もしかしたら自分の人生をより良いものにしたかもしれない、いや、人生を180度かえたかもしれないことがあって、失敗を恐れたり、時間やお金、家族、周りの意見に左右されて、それを挑戦しなかったとしたら


 愛する家族が今、元気でいてくれること、有難いです。電話したりメッセージを送れば、コミュニケーションをとれること、この時代のテクノロジーにも感謝です。

 でも、もし大好きな人たちを失うとしたら、今、自分ができることってなんやろう?・・

 

 私はクリスチャンなので、天国で神様に「私にこの人生を与えてくれてホンマにありがとう。楽しかった!なんにも後悔ない!」って言いたいです!

 

 30年の人生を通してみてきた様々な”死”


 過去を通して、未来に思いをはせ、今を大切に生きようと決心しました。

 自分に正直に生きたい。のこの状況に感謝しつつ、生きていることを当たり前と思わず、人のためになる、やりがいのある仕事をしたい。そして、周りの人に感謝することを忘れず、その人たちとの時間を大切にしたい。


聖書にこんなことばがあります。

テサロニケ人への手紙Ⅰ 5:16

 いつも喜びにあふれていなさい。






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