2024/09/20&22【広島・原爆ドーム&平和記念資料館】この世界の片隅に
夜の原爆ドームと平和記念公園
9/20に広島に着いて、わんちゃんとdinnerをご一緒した後に夜の原爆ドームを見に行きました。
静けさの中に佇む原爆ドームは目を伏せたくなるほど荘厳でした。
そして夜の平和記念資料館の外観。とても美しい。
でも、ただただ、心から、戦争は絶対ダメ!という言葉しか絞り出て来ませんでした。理屈なんか無いです。どんな殺し合いでも殺し合いはダメです。
そして9/22広島ラストの日。広島平和記念資料館を訪れる
資料館を訪れるのは2回目です。7年前?に初めて訪れました。その時と展示会場はだいぶ変わっていました。
朝9時半前に資料館に着きましたが既にチケット売り場には列が出来ていました。券売機は現金のみなのですが、窓口ではQR決済も使えます。その案内があまり上手に出来ていなくて、みなさん券売機の近くまで来て窓口ならQR決済が使えるということを知る苦笑。もう少し来訪者に分かりやすくしていただければずっと列に並ぶ必要も無いのにな、と思いました。
ちょうど時間的にこのミニシアターの上映が見られる時間だったので、まずこちらから。ナレーションは吉川晃司さんです。
このmovieは秀逸でした。単に原爆の悲惨さを延々と流すものでは無く、被爆後人々がどう生きたか?も描かれています。見ることが出来てよかったです!
常設展示場で感じた違和感。
前に訪れたのが7年前なのでもしかしたら私の記憶が塗り替えられているのかもしれません。それでも今年の展示場では違和感がありました。
原爆の犠牲になった方々の写真、ボロボロの衣類。手紙などがどこまでも静かに並んで展示されています。
その方々が”どう死んだか?”が延々と展示されています。
7年前に私が見たものとは違う。あの時は確か当時広島に生きていて被爆されたり亡くなった方々が”どう生きていたか?”がもっと印象に残っていた記憶がありました。
もし私が家族を戦争で亡くしていたら・・・何を伝えたいか?を考えた時に、家族がどう死んだか?では無くてどう生きたか?をみなさんに伝えたいのではないかと思いました。
どんな生活をしていてどんなことを考えて笑って泣いて楽しいことをしていたか。死んでいく様子よりも生きた証を伝えたいのではないか?
7年前は確かにそういう展示の仕方だった気がしました。
2階の展示室から1階に降りてきて、出口近くのこちらの企画展の方に人々がどう生きたか?を感じ取ることが出来ました。
「この世界の片隅に」を通じて平和への想いが強く刻み付けられる1番の理由は、戦争の悲惨さのみを全編で伝えているのではなく、あの時代に生きた人たちの活き活きとした日常を伝えているから。なぜ戦争が絶対ダメかというと、その日常が理不尽に奪われるからです。
人が人としてありのままに生きている日々の尊さを、平和記念資料館も伝え続けていただきたいなと思いました。
「この世界の片隅に」すずさんと周作さんが出会った場所 相生橋
時間の関係で遠くから撮影したのみになりましたが、相生橋は原爆投下の目印にされた橋です。すずさんと周作さんは子供のころにそこで初めて出会いました。昭和20年8月6日、その相生橋付近に居た人々がほぼ即死状態で大勢亡くなっています。現在の橋は1983年に架け直されたものですが、珍しいT字型の形は戦前から同じ形です。
呉と広島の旅を終えて
「この世界の片隅に」の聖地巡礼をしたい、という思いから足を運んだ呉と広島。79年以上前にそこに確かに生きていた人たちの足跡をたどった旅になりました。
”平和の尊さ”というありきたりの言葉が胸に重く刻まれた旅。
また必ず訪れたい地です。
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