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ありがたいことに、生き方は選べる


 私は、自分探しという名の逃避を続けている口だけの理想論者である。環境問題や政治にダメは言えてもアイデアはない。お金がないと安心できなくて、誰も歩んでいない道を歩く勇気もない。他人を見下し自分勝手な特別感に浸っている。

 それでも、自分のことは好きだ。これは『私は私を知っている』からである。

 他人を見下し自分は特別だと勘違いしたり、自分を強く見せようとするが、本当は誰より弱い人間だと知っている。

 だから変わろうとしている。そしてそう思える自分は偉いと思っている。

 自分の良い部分に気づけるときは心が穏やかで、他人の良い所も見えてくる。

 ここ最近出会った人は皆すごかった。即興で感傷的な雰囲気を作り出すギタリストや自分で作ったログハウスに住む農家のお父さん、自家発電を目指す優しい人や、新規就農を目指すカップル。みんなゼロから作り出すことをしている。とても尊敬できる。


私は私の普通を生きている。これは私がどう生きるかということだ。

 良い意味でも悪い意味でも人と比べることで、自分がどれくらいの人間かを測れる。だから周りと比べないようにするのではなく、どう思われたいか考え、目標を設定するのが良い。尊敬されたいのであれば、自分を尊敬される人間にするしかない。

 それが嫌で他人と比べたくない人は、過去の自分とならどうだろう。『あの時よりはマシだ』と思えたらそれは成長だ。
 そしてとっとと山奥に引っ込み、スマホも谷底にぶん投げて、猫と鶏と暮らせばいい。

 私はそうしたい。本気で。

 都会にいるとどうしても周りが見えてしまい、こうなれたら、ああなれたら、と考え、思考がメリーゴーランドになって抜け出せず、脳内が騒がしくなる。

 現代では生きる意味が問われている。それは、私たち人間があまりにも多くの命の犠牲の上に存在していて、その負荷が存在意義を問い始めているからではないだろうか。他の種を犠牲にしてまで生きる意味とは、と。

 だが、生きる理由などそもそもない。だから自分で決めることができる。

 私は私のために生きる。私がしたいことは、愛する者に感謝し、喜ばせながら生きることだ。だからこの星にも敬意を持って接していきたい。そう思い、実行し続ける私を目指している。

私が生きることがプラスになっていたいから。

                    終

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