父の介護とわたしの心の変化
みなさま、こんばんは~
今日も肌が焼けるような暑さでしたねぇぇぇ(;'∀')
いやもう、「焼ける」って表現しかおもいつかんよ・・・ホント
痛いもんね、日差しが!!!!!!
今からどんどん暑くなるというのに、どうなるんや・・・
ハイ、今日はわたくしごとですが
介護をしている父について、最近思うことを綴ってみようかと思います。
わたしの父は視覚障害を持っており、
文字はもちろんのこと、人の顔も認識できないし、
ぼんやりとそこにある…というのがわかる程度の視力らしく、
一人で歩くのはむつかしいような状況です。
実際、杖がないと歩けません。
今までは、母がそばについて、父の身のまわりのことや
生活全般のことをしていたのですが、
その母が、四月末に急逝・・・。
視覚障害のある父を、一人で家に置いておくのは無理だろうとの判断で、
妹と相談して、病院が併設されている施設を予約。
そこにしばらくのあいだ、入居していただく予定でした。
しかし、父は「こんなとこにおったら気が狂う」と、
父のためにいろいろと動いてくれていた人の前で、
そんな失礼なことを平気でいうし(;'∀')
「ここに入るくらいやったら、ここから飛び降りるで」と
わたしに脅しをかけてくる始末。
ついてくれていた施設側のケアマネさんが説得はしてくれたが、
がんとして譲らない。
安全面で、すごい不安が残るけど、
実家でいままでどおり、一人暮らししてもらうことになった。
その時点での父の様子。
おそらく、認知症の初期症状でてるんじゃないかなと思うくらいに、
物忘れがひどく、時間の感覚がおかしくなってる感じだった。
数分前にいうたことを忘れるし、昨日、わたしが実家に訪問したことも
覚えてない。
毎日、高齢者向けの宅配弁当を届けてもらってるが、
それもさっき食べてた形跡があるのに、「来てないで」という。
じゃあ、今さっき食べてたの、なんなんよ?って話(笑)
こんな状況で一人暮らし・・・限界があるなぁと思うけど、
本人が施設は嫌といってる限りは、
引きずって連れてくわけにはいかんので、なんとかするしかない。
ここから、介護保険の認定が下りて、
ケアマネさんが正式についてくれ、ヘルパーさんが
週3で訪問してくれる状況になるまでが、
ほんま大変やった(;'∀')
こちらも自分の生活のサイクルがあって、
仕事もしてる。
わたしは、自分の仕事休みの日はもちろん、
仕事終わってからでも、父から
「あれが欲しい。これがなくて困るから見に来てほしい。
お金がないから、持ってきてほしい」などの電話があると、
とりあえず、ないと困るなとおもうものがあれば
仕事終わってから、バスと電車乗り継いで
実家まで往復する生活がしばらく続いたんですね。
で、
体力的にも、メンタル的にもヘロヘロなってしまい、
自分のこと、なにもできん・・・
楽しいことも、やりたいことも、全部介護でつぶれてしまう
なにやってんだろ、わたし・・・
って、わけもなく、涙が出たり。
正直、母の死を悲しむ余裕すら、そのときのわたしには
ありませんでした(´;ω;`)
父は、昔から、割と自己中な性格していて、
「いいだしたら、絶対に譲らない」性格に母も手を焼いていた様子でした。
どこをどうしたら、そういう風に考えられるんよ・・
みんな、あきれてるやん・・そういうことが、ほんとにわからないタイプの人だったようで。
一人になってからも、何度も
「その考え方はおかしい。なんでそんな自分中心にしか考えられんの?
周りの迷惑とか、どんだけ負担かけてるとか、すこしも気にならんの?」ってよく口喧嘩もしましたよーほんと(;'∀')
そんな父の性格に、わたしも常にイライラしてばかりで接していたので、
余計に疲れて、自分自身の心の余裕を失っていたのだと
今なら、思えます。
このときはもう、ただただ、腹立たしいとしか思えなくてつらかった。
だけど、こんな生活がはじまって
介護認定が無事おりて、ケアマネさんが正式についてくれて、
週3のヘルパーさんが入ったことで、
わたしの実家訪問の頻度も減り、ようやく生活が戻ってきて
心にも余裕ができてきて、
そういうときにふっと思ったんですよ。
母が亡くなって、一番寂しい思いをしてたのは
まぎれもない父だっただろうな。
目がみえなくて、母にすべてを頼り切っていたから
これからどうなるんやって、すごい不安だっただろうなって。
そんな当たり前のことすら、わたしは思ってあげれる心の余裕がなかったんだなぁと。
施設にいれば、24時間体制で誰かがみてくれてるから
安心といっちゃ安心だけど、
でも、父にしたら、住み慣れた家から離れて新しい環境にいくのは
すごい不安だっただろうなって。
そこをしっかり寄り添ってあげなきゃいけなかったのかなって。
そう思えるようになってからは、
実家に行って父と話しをしてても、
腹立たしい気持ちは、ほぼなくなりました。
相変わらず、バカなこというてるなぁ、自分が年金いまいくらもらってるか知ってるの?そんなん買ったら、生活どうすんの?とか
心の中で毒づくことはありますが(笑)
イライラはしなくなったな。(えらいぞ、わたし(笑))
「買い物がしたい。肉食べたい。刺身食べたい。桃食べたい。
ビールがないから、2ケース買ってきてほしい」など
そういうのを、以前は、年金でなんとかしないとダメなのに
なにいってんのよ、って
本気で毒づいてましたが、
今は、「お弁当ばかりじゃ楽しくないよなぁ。たまにはステーキ買ってってやるか~」に変わり、
「そういやあれすきだったよな、一緒に買ってくか」って、
「父のわがまま」ではなく、「当たり前にあるこうしたい」という欲求なんだと受け止めれるようになった。
これ読んでて、「えー、そんなん当たり前やん、そんなこともわからんかったん?えこさん」って思うかもですが、
本当に、そう思えなかったんですよ。
なにを提示しても、文句ばかり。ちっとも納得しないし、わがままばかり。
周りがどんだけ困ってるか、ちょっとは考えてみーよって
思ってました💦
いや、それは、今でもあるんやけどね💦
正常な脳なら、「母の葬式代、だれが払ったんや?」だとか
「サービスのお金とかどうしてるんや?」とか
人からうけた親切に対しても、ちょっとした相手側の態度で
世間は冷たいって逆恨みしてることとか、
もうたぶん、脳のせいなんだよね。
認知症の初期症状で、まともに機能してないんだから、
病気なんだから、しょうがないんだよね。
そう思えるようになったら、ほんとに優しくなれた気がします。
わたし、ずっと
まだ若かったころの正常な父の姿をずっとそこに求めていたんだよね、きっと。
今の状態の父が、わたしの知っていた父とあまりにもかけ離れていて、
心が追い付かなくて、
受け止めることができなかったんだと思う。
今のありのままの父を受け止めてあげることで、
ようやく心の重荷が軽くなった気がします。
父がどうのこうのいうのではなく、
きっと、私側の心の在り方だったんだろうなって。
今回の父とのことは、
きっとわたしの「学び」でもあったんやと思う。
まだまだ、これからも問題は山積みですが、
それでも以前よりもずっと
寄り添うことはできると思う。
長々とここまで読んでくれてありがとう(n*´ω`*n)
文字ばかりでつまらないかも・・なので、
みんな大好きアオサギ先輩のうるわしいお姿をば。
最後に。
カイツブリの親子の写真(n*´ω`*n)
ヒナ雛、かわいかったなぁぁぁ♡またお会いしたいわ~
よろしければ(n*´ω`*n)