石丸伸二礼賛映画?批判?【掟】を三幕構成で読み解く
結末まで語るので、本編を未見の方にはブラウザバックを推奨します。
まずは、物語を三幕8場構成に分解します。
一幕
1)日本のどこかの片田舎にある北東雲市で、国政与党(民自党)の裏金問題への関与が発覚した市長が辞任した。元大手銀行員の高村は帰省してキャリーケースを持った手でそのまま市役所に向かい首尾よく市長選に立候補手続きを済ませる。そして高村は街頭演説を重ね、周囲の予想を覆して当選し、政治腐敗の払拭と財政再建を誓う。高村は就任して最初の定例会議で熱のこもった演説を披露するが、議場には居眠りをする議員が居る始末。一度は町を捨てた若造に何ができるのかと市民や市議会の反応は冷ややか。高村には相談できる政治家もほとんど居らず孤独を感じていたが、めげずに市が運営する箱物を矢継ぎ早に売却する施策を進めつつ、新しい試みとして活用していた市長本人のTwitterアカウントで議場での居眠りを暴露して、これが大いにバズったことで高村は自信を増していく。
2)市長のSNS告発に地元メディアが飛びつく。田舎の老人らしくテレビ慣れしてない議員らはその取材でも失言を積み重ね、市長は市長で議員から提出された居眠り防止の改善案をわざわざマスコミを呼んで取材させた公開の場で受理して「0点」だと斬り捨てるパフォーマンスで過激に批判する。それらを面白がったり正義感に酔って批判する視聴者にメディアも迎合して、炎上はどんどん加熱する。やがて居眠りしていた議員は病院で診察を受けて特殊な病気だったことが判明する。議員達は非公開の会議に市長を招集して、個々の事情がありうるからSNSで議員個人に対する発言や批判には慎重になるべきだと促すが、市長は「政治とはそういうものだから逆にそちらも同じ手段で対抗しろ」と主張して全く取り合わない。そのやり方は(SNSの使い方が上手いのが市長だけだから)結果的にSNSを通じて市長が議会を牛耳ることに繋がるのではないかと女性議員は懸念を発言するが、またしても市長は後日Twitterで「説得とも恫喝とも取れるものを受けた」と発信してメディアを更に炎上させる。一方で、当事者である北東雲の市民は連日のように地元テレビ局で報道されるワイドショーに呆れつつも、どうせ政治は変わらないと諦めムードで、市民会館が減ったり美術館が閉館されたりすることに不満を募らせていた。そんな地元の声を聞いて、困り果てた議員達は民自党との繋がりが強い議員で会派(誠政会)を結成して、数の論理で市長に対抗することを決める。
市長VS議会の対立構造がここに完成した。
二幕
3)市議会には誠政会に所属しない議員も居たが、議員会議で市長の居眠りに関する質問や議題は先日書面回答済みなので今後はもう扱わないことで多数決される。後日の議会と執行部の意見交換会(非公開)でこの対応をされて怒り心頭になった市長は、今後は誠政会の議員からの一般質問を全て拒否すると宣言して中座する。同席していた市職員も慌てて市長の後を追って退席する。意地の張り合いが招いた混沌の極み。果たして、定例会議では市長と議員で全く議論が噛み合わず、市長が進める副市長の1名増員は否決される。まともな議論ができない様子を傍聴席から見ていた市民から市長に厳しい野次が飛び、ここでは市長は真摯に謝罪する。実は誠政会の中にも「4,000人から選ばれた人材なら優秀なのではないか」と賛成に回った議員がいたが、定例会議直後に誠政会だけの集まりで「裏切り行為は次回以降の選挙に響くぞ」と警告されて、今後は誠政会の意向に従うと約束する。市長の囲み取材で、誠政会や民自党と距離の近い中立新聞社の記者が「なぜ事前に調整しないのか」とマイクを向けるが、市長は「根回しは政治腐敗だから私はやらないし、中立新聞は偏向報道をするな」と攻撃的に返す。これには「そんな言われるほど偏向報道でもないだろう」と他の報道陣もオフレコで愚痴る。
4)市長は世論を味方につけるためにマスコミを同席させて副市長候補者のプレゼンを実施するが、定例会議では再び多数決で否決される。先日に市長に厳しく攻撃された中立新聞社の記者は誠政会の集まりに参加して副市長人事については合理的な判断をすべきではないかと進言するが、誠政会の議員たちは聞く耳を持たない。一方で市長は「副市長の増員を金銭的理由で否決されたなら、同じ論理で議員定数も半減するべき」というおよそ荒唐無稽な提案を出して、もちろん定例会議で否決される。この議場で市長は「恥を知れ、恥を」と叫ぶ。なお市長がこの提案をしたのは実際に通すためではなくて、世間の注目を集めるためだった。(つまり公開の場でのパフォーマンス重視で最初から無理な提案をしていた事になる)
5)市長はマスコミを集めた会見で、人口推移の統計データをパワポで見せながら、近い将来に北東雲市は財政破綻するから財政緊縮を進めているとアピールする。中立新聞の記者は「分析も大事だが、やり方が性急すぎるし、人口動態の予測だけで政策を進めるのはどうか」と意見するが、市長は支離滅裂な返答で撹乱して、挙句には記者の人格攻撃や偏向報道批判で応対する。記者は「なぜ私を攻撃するのか」と感情的になって詰め寄るが、市長は意に介さず中立新聞の批判を続ける。会見直後に流石にハラスメントに該当するのではないかと(やたら美人で有能そうな)女性秘書が市長に耳打ちする。更に市財政の現実を見せつけられて感銘を受けた別の女性記者が市長に声をかけて涙目で「厳しい現実はわかったが希望を見せるのも為政者の役割ではないか」と問うと、市長は「希望を見つけるのは市民自身がやることです」とぴしゃりと突き返す。会見の効果は大きく、市長が大学時代の先輩で唯一知り合いである民自党の国会議員はニュースを見てすぐに市長に電話して「国政で考えるべきことはこちらに任せろ、市民には希望も示せ」と助言する。しかし市長はYESと答えない。
6)市長が箱物処分では限界があると感じていた矢先に、超大手企業(無印)から道の駅跡地への出店の打診がある。渡りに船とばかりに市長は専決処分でこれを進めるが、議会に筋を通そうとしないやり方に「掟に反する者は許さぬ」と誠政会は強く反発する。しかし市の未来を案じれば無印の出店は千載一遇の幸運なので市長の専決処分を追認するべきと考えた議長は、市長室にひとり赴き、土下座までして「誠政会に一言、詫び入れてくれ、無印の誘致にこの市の未来が懸かっている」と泣きながら頼み込む。しかし市長は困惑する態度を見せるも、誠政会との調整を意地でも拒否する。そこに現れた恫喝発言疑惑で世間から叩かれている議員が「あなたは裁判で私に負けた、そろそろ化けの皮が剥がれるかもな」と嘲笑して、項垂れる議長を連れて退出する。果たして、定例会議で次年度の予算案は否決されて、無印の出店は白紙撤回を余儀なくされる。ある市長派の議員は耐えかねて「市長不信任案も提出せずにこんな無駄な議論をしてるだけなら議会は不要だ」と言い放つ。落胆する様子を見せて市長は「誰のための政治なのか考えていただきたい」とだけ発言する。
こうして、市長は一度たりとも議会に勝つことができなかった。
三幕
7)一人で廊下を歩いていた市長に中立新聞の記者が声を掛ける。記者は「今まで誠政会のやり方にも正義があると思って仕事をしてきたが、実態はただ意地を張っているだけだと悟った。私の敵は市長ではなく偏向報道を書かせる会社だった。だから私への誹謗中傷はやめて欲しい」と涙声で訴える。しかし市長は一切謝罪せずに「素晴らしく中立な記事を期待しています」とだけ返答する。記者は無言で立ち去る。
市長室に戻った高村は市長派の議員に弱音を吐く。高村は「自分は人を笑顔にするのが好きで一時期は大道芸人を目指した。同じく人を笑顔にするために市長になったが、笑顔など無く、自分の提案は全て否決された」とジャグリングしながら男泣きする。市長派の議員は、議会のディベートは最近は少しはマシになってきた面もあるし、北東雲市だけでなく全国の地方市町村がここに注目しているのだから踏ん張れと励ます。
8)しかし高村は市長二期目への立候補を取り止める。高村を推す国会議員は民自党から議員立候補を電話で提案するが、高村は「どの政党の指示も受けない」と、その提案をむげに断る。
高村は一体何を考えて、次は何をしようとしているのか?
エピローグ)ここからはノンフィクションでエンドクレジットに字幕ベースで:石丸伸二は安芸高田市長を一期で途中退任して東京都知事選に出馬を表明。石丸派の熊高議員が石丸市政の後継者として市長選に立候補するが大差で敗北。また石丸伸二も都知事選で(165万票獲得する大躍進を見せたが)現職小池百合子に敗北した。
FIN
▼解説・感想:
●構成
1-1:高村市長が爆誕、そして居眠り告発SNSでバズる
1-2:恫喝被害SNSでバズ、市議会は対抗手段として誠政会を作る
2-3:副市長増員案の否決と、中立新聞叩きの始まり
2-4:副市長増員案の再度否決と、市長のパフォーマンス
2-5:市長がやばい財政を暴露、中立新聞を更に叩く
2-6:大手企業誘致の専決処分を巡って愚かな対立
3-7:新聞記者と高村市長が辛い心境を告白
3-8:高村はもう市長を辞めると決意
*4-9:石丸伸二が去った後の安芸高田市と、都知事選の結果
高村市長の告白を7場と8場のどちらと見なすかでは意見が割れそうな気もしますが、中立新聞記者と高村市長の二人の心中が吐露されたのが7場という理解で良いと思います。
それと三幕構成の外側に現実の石丸市政その後が少し語られています。これは中津留監督が2月までに書き上げた舞台版のオリジナル脚本では含まれなかった部分です。おそらく奥山プロデューサーが関与して追記した、映画でのオリジナル要素だと言えるでしょう。
●再現度の高さ
安芸高田の石丸市政での有名な事件をほぼ満遍なく辿る政治系エンタメ映画ですね。名前こそ変えて架空の都市と人物にしていますが、安芸高田のことを描いてるのはバレバレです。私はあらかじめ興味があって詳しかったこともあり、その再現度の高さに、かなり面白く観覧しました。
主演俳優・森下庸之の喋り方とヘアメイクがそっくりで、中でも演技面での《絶対に謝ってはいけない石丸伸二》の再現度がクソ高くてずっと笑っていました。エンタメ映画なのでクローズアップの場面など本人より少しオーバーアクションな瞬間もありましたが、むしろさりげない部分の演技まで石丸伸二の特徴をよく捉えていて、本人が完全に憑依しているようにさえ見えました。
石丸市長は当然のこと、山本議員、山根議員、武岡議員、熊高議員…ぜんぶ元ネタを知ってるからかなり楽しく観覧できました。特に山根議員(恫喝をでっちあげされた女性議員)の喋り方の再現度が高くて凄かったです。
●デフォルメの是非
ただ、議員サイドの描き方は少し悪意が強すぎるようにも感じました。感情的になったり、大声で喚いたり、発言の弱い部分を攻められて焦ったりする時の演技がかなり大袈裟でした。率直に言って、デフォルメが過剰な印象を受けました。
特に山本数博議員をモデルにしたと思われる渡辺哲の役柄は絵に描いたような『老害』で、「さすがにそこまでバカな人は議員になれないでしょ」と思わざるをえないものでした。おそらく渡辺哲は森下庸之ほどモデルになった議員を研究してないでしょうし、そもそも渡辺哲は知名度の高い人気俳優なので、映画のために急に呼ばれて、研究もそこそこにサッと演技したからあのクソ老害キャラになったのかなと推察します。もし渡辺哲がYouTubeの石丸応援切り抜き動画だけ観て研究したなら、ああいう演技になりそうだなとも思います。
実際の山本数博議員は確かにクチが悪いところはありますけど、頭が良い男ですよ。頭が良いからこそ、市長をチクリと刺す余計な一言を付け加えてしまい、それを石丸信者からネットで叩かれるのを繰り返していた、という印象がある人物です。なお現実世界の山本議員は最終的には過激な石丸信者から脅迫されて、身の危険を感じ、一般質問を撤回するという事態まで炎上がエスカレートしました。
中津留監督が石丸市政に着目したのは2022年で、YouTubeで切り抜き動画がバズる2023年夏よりも前なので、議員サイドも当初はあそこまで頭の悪そうなキャラクターやセリフではなかったのではないでしょうか。映画版ではプロデューサー側の意向が反映されることも十分にあるでしょうから、舞台版の俳優で続投していたらどうなったのかしら、などと思います。
また、映画の中では議長が市長に「誠政会に詫びを入れてくれ」と土下座までして懇願したり、胡子記者をモデルにした新聞記者が市長に「悪いのは僕じゃなくて会社ですから僕を誹謗中傷するのはやめてください」とまで発言するシーンがありますが、実際に石丸伸二にあそこまでした人は居ないと思われます。
よって、それらもキャラづけブーストかかっていると言えそうですね。しかし、これは逆説的に考えれば、何十歳も年上の人物に土下座までされても絶対に謝罪しない市長の頑固さと愚かさを強調してる場面とも言えるので、これはどっちもどっちというか、このデフォルメ具合があの戯曲『掟』(映画版も演劇版も)のリアリティラインなのでしょう。
そもそもキャリーケースを引きながら市役所に行って市長選立候補の書類を提出したり、ジャグリングしながら心の悩みを打ち明けたりなど、すごく舞台演劇的な表現ですし。(笑)
●元祖・石丸構文(閉じた論法)
セリフでは石丸伸二がよく使う《論点ずらし話法》の再現が見事でした。
私が石丸伸二の討論を見てて面白いと感じるのは、彼が口を開くたびにほぼ毎回少しずつ論点がズレていくからです。都合が悪い時に論点をずらすのはディベートに勝つためのテクニックではあります(政治の場でそれをやっても必ずしも市民のためになるとは限らないのですが)。もし石丸伸二が狙ってやってるなら天才だし、狙ってないなら真正のバカなんですけど、そのどっちとも判別つかない絶妙なラインを突いてくるので味わいがあります。この映画はその再現度が高いと感じました。
本作での高村市長の「他人事だと思ってるんでしょう」とか「素晴らしく中立な記事を期待しています」とか、いちいち的外れでイラッとさせるセリフがすごく石丸伸二っぽくてマジで笑えました。これは脚本の功績が大きいかもしれませんね。
これは「サブウェイ注文できるかな」でお馴染みの『石丸構文』とは別物で、あそこまで話の腰を折ったりするのではなくて、噛み合いそうな言葉選びなのに噛み合ってないのが面白いのです。噛み合いそうな言葉選びだから雰囲気だけで話を聞いたり文を読んだりする人(=言葉を選ばずにいうとバカな人)にはズレてるのがバレにくいんですよねー。なんなら市議会もその話術に翻弄されていた傾向があります。言わずもがな石丸信者の多くもこの詭弁に気付いていません。その言語的破綻の妙が味わえて楽しい映画でした。(取材不足氏のコンテンツで石丸市長の頓珍漢な議論を観てきた私としては、カオスな討論を繰り広げるシーンがもう少し欲しかったところですが。)
ちなみに、この映画の脚本が書かれたのは2024年2月以前なので石丸構文がSNSでバズる前ですし、いわゆる石丸構文(サブウェイ構文)をやっている場面はありません。これは本作が石丸ディスでもあることを見えにくくしている要因の一つかもしれないです。
●実は石丸ディスの映画でもある
本作は《石丸支持者のための映画》と思われがちですが、実際には市長に批判的な演出もちゃんとあります。
この映画の最大の見せ場は、ラストで、市長と議会が意地の張り合いで一歩も譲らず、結果的に超大手企業の出店という市に巨大な利益をもたらす機会をみすみす逃してしまう場面です。これは「市長と議会の両者ともに愚かである」と読み取るのが、普通程度の教養がある人間の感想になるでしょう。
しかし石丸伸二を全肯定する石丸信者には、この映画の市長もヒーローに見えるのだろうな、と裏笑いできる映画なのです。
実際に、YouTubeの本作予告編のコメントも、映画レビューサイトの投稿も、この映画を石丸伸二礼賛だと勘違いしてる書き込みが多数で、もはや恐怖を感じます。あれを観てそんな感想を持つなんて、この人達マジで認知が歪んでますよ。本当に石丸信者という人達は自分に都合の良い部分しか見えてないのかなと強く感じました。
●なぜポスター代金未払いの件を飛ばしたのか?
恫喝でっちあげ裁判の件は判決まで言及したのに、ポスター代金未払い裁判は全く映画に出てきませんでした。単純に2時間に収めるためかなと思います。
まあこの映画の目的が、市長と議会がお互いにコミュニケーションを取る努力をしないせいで市政が壊れるのを示すことだったなら、不要なエピソードではありますからね。
この映画の目的が石丸伸二という一人の政治家を正しく評価することだったなら、石丸伸二の人間性を示すエピソードとして絶対に省略できないと思いますけど。だから、あくまで映画の目的に沿わなかったということでしょうね。
●なぜ葬式すっとぼけ会見を飛ばしたのか?
武岡議員の葬儀当日に「今日って何かイベントありましたっけ」と盛大なすっとぼけをかました件も映画にはありませんでした。
この鬼畜なエピソードを省いたのは、まあこれは監督の武士の情けか、それとも石丸フィーバーに便乗して映画版を売り込みたいと考えたプロデューサー側からの指示(圧力)なのか?
映画の序盤で居眠りを叱責されて、SNSで晒されて、メディアで叩かれて、SNSで誹謗中傷されて、説明する機会さえろくに無いまま、恫喝でっちあげ被害の女性議員のように裁判で勝ったんですけどーとセリフで言う機会も与えられなくて。少なからず武岡議員を不憫に私は感じました。
武岡議員の逝去は2024年1月だったので、舞台版でどうだったのか気になります。(誰かご存知でしたらご教示いただけると助かります。このnoteのコメントでも、TwitterのDMでも結構です)
●シネマとしての評価
撮影と照明は想定よりもシネマ然としていました。
脚本と演技のスキルを堪能できる良い映画でした。
編集もかなり良かったと思います。
このようなシネマとしての技術を堪能できる作品でした。
ブルーレイ出たら買います。
一つだけ、めちゃ厳しいダメ出しをします。
予告編の編集と音楽が悪すぎます。なんかコメディタッチのBGMで、俳優の派手な表情のシーンばかり集めて、まるで昼のワイドショーの再現ドラマのような、すごくつまらなそうな映画に見えます。
実際に本編を観たら、編集も音楽も全くテイストが異なり、すごく映画らしい映画で面白かったんです。絶対に予告で損してると思います。
失礼な言い方になるかもしれないけど、予想してたよりずっと面白かった!
なんか上映形式を巡ってトラブルが起きてるっぽいですし、下手するとブルーレイや配信が無いかもしれないので、気になる人は映画館に駆け込んだ方が良いと思います。(映画版掟:劇場情報)
●幻の上映バージョン
実はこの映画には「幻の先付映像」があります。それは石丸伸二の東京都知事選の出馬会見を含むドキュメンタリー映像でした。つまり最初にノンフィクションの石丸伸二の主張が示されて、そこからフィクションで架空の市政混乱を描き、そして最後にもう一度ノンフィクションに戻ってくる構成でした。
この構成だと、映画自体が石丸伸二を支持するスタンスに見えやすくなります。都政改革を訴える石丸伸二の主張だけを流してますからね。実際には、映画では石丸伸二をモデルにした高村市長も欠点がある人物として是々非々で描かれているのですが、世間の石丸フィーバーの後押しも相まってか映画レビューサイトはこの映画を通して石丸伸二を全面支持するようなコメントが多く投稿されました。それこそ石丸伸二を応援したいならこの映画を見ろとでも言わんばかりです。ある意味、全く逆のことを描いてる映画なのに間抜けですね。
それらを読んだからなのかどうかまでは判りませんが、この上映形式では映画のテーマが正しく伝わらないと中津留監督は強く感じて、なんと公開日の後に先付映像をカットした別バージョンが制作されて、最終的には全てそちらに差し替えられるという珍事が起きました。(詳しくはこちらに時系列やプロデューサーや監督のコメントも合わせて記載しましたので、興味がある方は本稿と合わせてご覧ください)
*なお私が観覧したのは、先付映像をカットされた監督バージョンです。
いやあ、今回はたまたま上映バージョンをめぐるトラブルを深追いしたら、監督の声明文にたどり着いて、そこから観てみようという気になったからラッキーでした。
石丸伸二に批判的な人や、リアルに基づいた骨太な政治映画を求めている人にこそ、観てもらいたい映画でした。
(了)