ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカットのあらすじ+感想・考察(ネタバレ)
4時間のあらすじを超シンプルにまとめたノートです。
後半に感想と考察を書きます。
◆◆◆ ネタバレ注意 ◆◆◆
▼あらすじ:
プロローグ
PART 1: あきらめろ、バットマン
PART 1: DON'T COUNT ON IT, BATMAN
PART 2: ヒーロー達の時代
PART 2: THE AGE OF HEROES
PART 3: 親愛なる母、親愛なる息子
PART 3: BELOVED MOTHER, BELOVED SON
PART 4: チェンジ・マシーン
PART 4: CHANGE MACHINE
PART 5: ハンプティダンプティは戻せない
PART 5: ALL THE KING'S HORSES
PART 6: もっと恐ろしい何か
PART 6: SOMETHING DARKER
エピローグ
For Autumn. Hallelujah.
...
▼感想・考察:
●4年越しに公開された幻の作品
読んで分かるように、ストーリーの流れは2017年に公開されたジョス・ウェドン版とほぼ変わらない。ただしウェドンが追加した下品なジョークやチープなショットが全削除されて、スナイダーの持ち味である「ビジュアルで語る」が効果するように緻密に作りこまれた映像でじっくり時間をかけて、各キャラクターの物語が丁寧に描かれるので、鑑賞時の印象や感動は異次元レベルでデカイ。まずはこの偉大なる作品を届けてくれたフィルムメイカーと、配給してくれたワーナーブラザースとHBOMAXを、みんなで讃えよう。
視聴中に私が感じていたのは、とにかく「欠けていたものが満たされていく感覚」だった。これまでザックがSNSでチラ見せしていた写真もそうだし、それこそ2017年の予告編だけに存在したピースの一つ一つが、然るべき場所にぴったりハマり続けていく。ウェドンが切り刻んでバラバラになっていた物語が本来の形を取り戻していくのはカタルシスだった。特にサイボーグとステッペンウルフそしてロイスの物語が大幅に追加されてキャラに厚みが出ている。
そしてもう一つ私が視聴中に持った印象は「予想してたより明るいぞ」だった。画面も台詞も。これについてインタビュー記事を読むと、もともとスナイダーとテリオは「『BvS』の物語は暗すぎた」と判断して本作ではジョークもそれなりに多く取り入れていた(例:あなたのスーパーパワーって何? - リッチってことさ。)とのことだった。
●新キャラクターが織りなす重厚な協奏曲
あらすじに書き出して改めて思うのは、複数のストーリーが並行して進む展開はいかにもコミックブック的(アラン・ムーアの『ウォッチメン』の影響が色濃く出ている)であることだ。しかし、読書なら自分で速度調整したり必要に応じてページを戻ったりできるが、映画では一方的に流れ続けるので情報量の多さも相まって理解がやや難しくなるのは避けられないかな。ひたすら感動したんだけど、その分情報過多で一回じゃ記憶に止まり切らない。
ただし少し考えれば、こうなってしまうのは当たり前のことで、本作ではフラッシュとサイボーグとアクアマンとステッペンウルフという4人の初登場キャラクターについてオリジンや動機を語らなきゃいけないのだから、逆にこの短い時間でよくぞここまで簡潔かつエモーショナルにまとめたものだと言える。
若者であるフラッシュとサイボーグは未完成ゆえに丁寧に描かれているのに対して、アクアマン(とワンダーウーマン)は大人なので本作ではあまり語ることはせず単独映画で別のクリエイターに一任した感じがある。
特にアクアマンはほとんど前フリ程度しか語っていない。本作のラストシーンはそのまま映画『アクアマン』冒頭の父親との再会シーンに繋がる。ジャスティスリーグがスナイダー版のまま公開されていれば、この映像が使われる可能性もあったのだろうか。
ステッペンウルフは2017年版で最も被害を受けたキャラの一人だったことが判明した。見た目がダサくなったこともあるが、何より彼のバックグラウンドだ。彼は過去にボスであるダークサイドを裏切ったことを後悔しており、今はその失態につけこまれて「5万の惑星を滅ぼす」という巨額の借金を負わされている。しかし今回地球で見つけた反生命方程式が一発逆転のチャンスとなる。彼は再びダークサイドに認められて故郷に帰ることを切に願っている。アマゾン族やアトランティス人を斧で無残にぶった斬っていく姿は恐怖であると同時に最高にクールである。きっちり予算をかけてVFXを作り直してくれて本当に良かった。
しかし一番の被害者はもちろんサイボーグだろう。彼はこの映画のハートである。映画の中で最初に『ZACK SNYDER'S JUSTICE LEAGUE』というタイトルが出るのが彼のシーンであることからも監督の意向は明白だ。
本作は彼の苦悶から始まり、彼の克服を描いて、彼の自己実現で終わる。彼はスナイダーがMoSとBvSを通して描いてきた「スーパーヒーローとは世俗に馴染めない異形の存在である」というテーマを真正面から体現するキャラクターだ。スナイダー版の核とも言える彼の物語をほぼ全部カットしてクソみたいな台詞を上書きしたウェドン監督に対してレイ・フィッシャーが怒るのは当然だろう。スナイダー降板後のコミコンでTシャツを破って中に着ていた「I ❤️ Z S」のTシャツを見せつけた彼の想いよ。これが当時に彼にできる最大限の抵抗だったのだろう。
●丁寧に綴られたロイスとスプスの物語
ロイス・レインもまた、スナイダーカットで大きく変わったキャラクターである。2017年版ジョスティスリーグではバットマンの隠し球として便利道具のように使われただけだったが、本作でロイスはスーパーマンが不在の間、彼の物語を紡ぐ重要な役どころである。
ロイスはクラークの死からまだ立ち直れないでいた。彼女は早朝コーヒーショップに立ち寄り、スーパーマンの記念碑の前に行くという日課を欠かさない。雨が降っても。付近のパトロール担当の警察官ともすっかり仲良くなった。しかし、彼女はそこから出社できたことがなかった。そのまま家に帰っては、破れたマントなどクラークの遺品を触って過ごす毎日。心の傷とはそういうものだ。
しかし訪ねてきたクラークの母と言葉を交わすことで彼女はきっかけを掴み、翌朝ついに彼女はスーパーマンの記念碑の前で過去を克服する。優しく微笑んで、でも確かな眼差しで、彼女は踵を返して歩き始める。クラーク、私はもう大丈夫だから。しかし遂に立ち直って会社に向かったばかりの彼女が見たのは、リーグが復活させたクラークだった!この展開がほとんど台詞なしで丁寧に描かれている。この部分のエイミー・アダムスの演技が最高なので是非リンク先で再度ご確認いただきたい。(動画の冒頭50秒の部分です)
そしてこの映画のもう一つのサプライズ、それは彼女が妊娠していたこと!立ち直る直前に引き出しから社員証を取り出した時、彼女が黙ってじっと見つめたのは同じく引き出しに入った妊娠検査薬だった。そして映画のラストで彼女は赤ちゃんカゴを持ってカンザスのクラークの実家に入っていく。
そして、パート1からパート6のすべてでスーパーマンの喪失と復活がエモーショナルに描かれるシーン(☆)があり、この映画はMoS三部作の最終章であることが強く感じられる。それはオープニングクレジットで他の登場人物はDCと一括りにされていたのに対してスーパーマンだけが名指しで表記されていたことからも見て取れる。CG加工ではない正真正銘のヘンリー・カヴィルの美しい顔だけで構築された美しい映像。2017年はせっかく頑張ってスケジュール調整して演技したのに口ひげを消すCGが低品質だったせいで笑い者にされた彼は不本意だったに違いない。そりゃ「JLはもう過去の作品だよ」とも言いたくなるよ。
惜しむらくはスナイダーが構想していた黒スーツは当初企画が通らなかったために撮影は青スーツで行われ、今回スナイダーカットのために後からCG加工で黒スーツに変更したため光の反射がどこか不自然になってしまったことだ。黒でも本来は周囲の光を反射して微妙に色がつくものだが、そこまでは追加VFXの予算と時間を割けなかったのだろう。
なお余談だが、スナイダー監督自身はモノクロ版『ジャスティス・イズ・グレー』の方が好きだと発言している。こちらでは全員が白黒になるのでスプスの不自然な光沢はなくなり、自然に見える。ただし個人的にはスプスだけのためにその他の美しい色彩を捨てるのは勿体無いと思うので、私はオリジナルのカラー版の方が好きである。
すべてのキャラクターに通じて、繰り返し「選択」に関する会話が出てくることから、本作のテーマは明白だ。フラッシュとサイボーグとスーパーマンはヒーローになる選択をする。アクアマンはずっと逃げていた選択に向き合うことを決意する(その選択は単独作品で描かれる)。ワンダーウーマンは一人だけ成熟した大人で選択済みの立場だが、代わりに救った少女に対して選択の自由があることを説く。ヴィクターの父サイラスは自らの命と引き換えに世界を救う。
しかし、リーグで一人だけその要素が弱いキャラクターがいる。バットマンである。彼は前作BvSで大きな選択をした(スーパーマン殺しからリーグ結成への転換)ということもあるが、それ以上に本作のさらに続編のJL2で大きな選択が描かれる予定だったからであろう。映画化の計画が白紙撤回になって残念極まる。 #RestoreTheSnyderVerse を願う。
●前作よりも多めなエンターテイメント要素
どのパートにも必ずVFXをふんだんに使った壮絶な戦闘シーン(★)が出てくる。これは中盤までほとんど会話劇で進行するBvSから比べて大きな変化の一つである。この点はアクション映画として大きな加点要素になると思う。ちょうどどちらもルッソ兄弟の作品でありながらアベンジャーズの『インフィニティ・ウォー』が興奮できるのに『エンドゲーム』が退屈なのと似ている。
一応フォローしておくと、エンドゲームは10年分の伏線を回収しきったのはそれだけで凄いことだとは思うが、純粋に映画単体として見るとやや魅力に欠けると私は考えている。前半は雰囲気を悲しくすることに、中盤以降はサプライズ的演出で観客を驚かせることにパワーを集中し、台詞や展開はそこまで深みや完成度を高めようとしていないように見える。思うにエンドゲームの目的は「ファンに感謝の気持ちを伝えるお祭りであり卒業式」なので、あくまでファンサービスを詰め込むことに徹し、細かい所はノリで誤魔化しているのだろう。そこが気になってしまう人にはあまり楽しめないということだ。
転じてBvSは、前半は静かながらも映像美の完成度と会話の奥深さがあるので、非常にスリリングな作品になっている。同じ静かな展開でも、ノリで誤魔化したりしないので、作り込みの強度がまるで違う。BvSの会話の奥深さについてはやどうふさんが丁寧に脚本を読み解かれている記事が上がっているのでそちらを参照されたい。
▼追加撮影シーンについて:
エピローグの「荒廃した世界」と「火星人の訪問」はスナイダーカット公開に際して追加で撮影されたシーンだ。続編の制作見通しが立たなくなったので、スナイダーは「本作でも一応完結と呼べる」ようにフラグを早めに回収する必要があった。
●悪夢、再び。
1つ目の「荒廃した世界」はブルースの悪い予感のフラグ回収だ。ヴィクターが見た予知夢の回収でもある。ダイアナが死んで、アーサーが死んで、ロイスが死んで、クラークが闇堕ちして、生き残りのリーグがなんとか頑張ろうとする世界で、ジョーカーがバッツに対して「お前には自己犠牲ができるような肝っ玉がない」と揶揄する。これはJL2の前フリであって、裏を返せばバッツは続編でその選択を下すという予告でもある。当のJL2の制作予定は白紙状態なのに、いや白紙状態だからこそ、前フリを追加撮影して差し込んでくるスナイダーの執念たるや。笑
このシーンはずっとジャレッド・レト顔の超クローズアップで撮っていて、まさに圧巻の演技である。ザックもSNSで「どアップで撮らせてくれてありがとう」って書いてる。笑。そしてジョーカーの口撃に反論するバットマンの台詞がこれまた狂気に満ちていて痺れる。まるでコミックの『キリング・ジョーク』のような緊張感が最高である。
●力技で畳み掛けたラストシーン
2つ目の「火星人の訪問」はブルースの魂の救済だ。なんとスナイダーの自宅で撮影した(背景はCGで描いてる)らしい。BvSの冒頭で両親の殺害を目にしたブルースの精神は病んでいる。ZSJLでは仕事で忘れようとしているだけで、彼の魂は救われていない。ここは本来はJL2以降で、リーグを結成した意義とかバットマンの正義の決断が描かれて、それを通してブルースの魂は救済されるという筋書きだったが、JL2は白紙撤回されてしまったので、ザックはマーシャンマンハンターを登場させて「きっとご両親も誇りに思っている」と言わせて物語を最低限着地させたものだと推察される。
別に破綻はしてないけれど、これまでのザック節(ビジュアルでストーリーを伝える)と比較すると、台詞だけで帰結させるのは、どうしても性急な感じは否めない。とはいえこれは仕方ないだろう。ザックとしてもギリギリの決断だったはずだ。ちょうどアナ・デ・アルマスと別れた直後で激ヤセしていた時期のベン・アフレックの顔が、なんか色々つらいことを経験してきた大人の男という感じでとても良い味を出しているので、画面の完成度はアップしたのだから今回はコレで手を打とう。笑
そして、この会話シーンが最後に追加されたおかげで、ブルースの魂の救済というイメージと、本作がスナイダーの亡き愛娘オータムンに捧げたものであるという意義と、彼女の自殺に際してアメリカの自殺防止支援団体にチャリティを続けてきたスナイダーカット運動の足跡と、エンドクレジットに穏やかに流れる曲『ハレルヤ』が、調和することになった。
マーシャンがブルースに告げた「ご両親は誇りに思っている」という言葉。それは「亡くなったオータムンのことをザックとデボラは誇りに思っているよ」という天国の娘へのメッセージでもあるのだ。
私も本作を見るたびに優しさと達成感に満ち溢れた気持ちになる。ここまでファンに待望されて、ファンに後押しされて、ファンに望まれる形で実現できた作品は、そう多くはないだろう。まさにハレルヤ(賛美せよ)という言葉に相応しい。
●歴史の偶然が生んだ奇跡の作品
追加撮影シーンは俳優の超クローズアップが多いのだが、これは『アーミー・オブ・ザ・デッド』のためにカスタムメイドしたカメラが超お気に入りで使いたかったらしい。笑。
というのは半分冗談で、俳優のスケジュールの都合や、2020年は世界中で大きなスタジオに大人数で集合しての撮影が難しかったという背景もある。このため俳優を個別に撮影し、背景はCGで埋めて、まるで同じ場所にいるように見せている。事実、アフレックとレトは今回の撮影で直接会えなかったことがインタビューから判明している。
このような事実一つを取っても、本作は #ReleaseTheSnyderCut 運動の盛り上がりもさることながら、2020年に例のアレのせいで大型新作の撮影が困難になり、その状況下でできる策をワーナーブラザースが探ったことでGOサインが出た奇跡の企画だったと実感できる。撮影素材が揃っていて、VFX処理と音響だけが未完成だったスナイダーカットは、収益見込みから考えても今取れる最良の手段の一つだったのだろう。結果的にサイボーグやステッペンウルフやダークサイドは2020年の最新のCGで作られて、トム・ホルケンバーグは新曲を録音する機会を得た。
一度完成していた過去の映画に対して、新たに7000万ドルもの制作費をかけてVFXをやり直しできたのは、もともとワーナーブラザースが契約済みだったVFX制作会社に対して依頼する仕事がなくなったからスナイダーカットにお鉢が回ってきたのだと思われる。そうでなければワーナーがずっと否定を続けてきたプロジェクトにこんなに巨額な予算が承認されるはずがない。そういう意味では不謹慎な表現ではあるが、ある意味ラッキーだったと言える。(まあより適切な表現を探すなら「時代が味方した」ということにもなりますかね)
▼続編が気になる!:
本作では複数のクリフハンガーを残している。
先日もジャスティスリーグ2のストーリーボードが公開されたが、願わくばファンの希望をワーナーが聞き入れて続編の作成を進めていただきたいものである。俳優のスケジュールの都合や予算面での問題を解決できない場合は、アニメシリーズで展開しても良いと個人的には思っている。
ZSJLがヒットすればJL2のプロジェクトが再始動するかもしれない。ワーナーブラザースは「DCエクステンドユニバース(作品を超えて拡張された共通世界)」から「DCマルチバース(作品ごとに独立した複数の世界)」にさりげなく名前を変えて、これからは各作品が独立して進むことを宣言したので、逆に言えばスナイダーバースが継続できる可能性も残っている。
とても残念なことに、3月22日にワーナブラザースCEOのアン・サノフはメディアの取材に対して、スナイダー版の続編について制作予定がないことを明言してしまった。普通に考えて、この手の質問には「もちろん作りたいと思ってますよ(ただし約束はしてない)」と玉虫色の返事をしておくのが定石なのに、敢えて可能性を塞ぎにきたのだから、意味が分からない。炎上商法でも狙っていたのだろうか。笑
タイミングが悪かったのは、スナイダーカットが公開されたことでいよいよデヴィッド・エアー監督の『スーサイド・スクワッド』のディレクターズカット版の公開に期待が高まるのだが、ちょうどWBが別路線で売り出そうとしていたジェームズ・ガン監督のリブートの公開が間近に控えていたことだ。
最新作に注目させたいWBの気持ちは理解できないではないが、ちょっとやり方が下手すぎた。レポーターの言葉選びからは焚きつけるような質問をしているようにも見えるので、バズらせたいメディア側にまんまと嵌められた感じも多少はあるが、いずれにせよWBの最高責任者としては悪手な回答だったことに変わりはない。
かくして、4年間続いた戦いの偉大な勝利の美酒を味わうことも束の間に、ファンダムは新たな戦い #RestoreTheSnyderVerse に突入していくことになった。3月18日の配信開始から数えてわずか5日目の出来事であった。
おそらく続編の可能性について最大の鍵になるのはレイ・フィッシャーと見て良いだろう。彼はこの数年にわたり一貫してWBにJLの追加撮影時の人権侵害についての説明責任を求めており、早期解決を図りたいWB経営層との行き違いもあり、議論は平行線を辿り続けている。なおフィッシャーは解決なくしてWB配給の作品には出演しないことを公言しており、それを受けてWBはフラッシュの次回作脚本からサイボーグを除外して制作を進めている。この話題は長くなるので、また別の機会に。
それは失われた幻の続編JL2を取り戻す戦い。スナイダーカット公開を経て生まれ変わった新たなハッシュタグ #RestoreTheSnyderVerse には、まだまだ苦難の道が待ち構えているようである。
戦いはまだ始まったばかりだ!
ザック・スナイダー先生の次回作にご期待ください。
この記事に載せきらなかった感想や考察はマガジンとして纏めてあるので宜しければそちらもご覧ください。
了。