【オッペンハイマー】徹底解説:アインシュタインとの会話
映画の核心部分ですが、あまり語られてないので、解説してみます。
映画の中でアインシュタインが出てくるシーンは4箇所ありますが、この記事ではあくまで時系列に沿って3つに分けて記載します。
▼1943年:核の連鎖反応について
ニューメキシコ州のロスアラモスのオフィスが準備できるまでカリフォルニア州バークレーのオッペンハイマーの研究室で、マンハッタン計画は進んでいました。そこでテラーが核連鎖反応理論を提唱します。すぐに数学者たちで理論が正しいのか計算に取り組みますが、オッペンハイマーは別行動でニュージャージー州のプリンストン高等研究所のアインシュタインに会いに行きます。部外者だからこそ意見をもらう価値があると思ったからです。
▼1947年:AEC顧問就任に際して
さて、この映画の核心です。
映画では最初にストローズの回想(モノクロ)として、そして最後にオッペンハイマーの回想(カラー)として描かれますが、この会話が起きたのはちょうど真ん中です。ちょっとTENETテネットぽさもありますね。
ここは映画のメインとなるミステリー要素の起点であり終点でもあります。ストローズがオッペンハイマーの人生を転落させるほど憎むようになった勘違いを《種明かし》されるシーンですから。
●ストローズ視点
映画冒頭のストローズ視点では会話の内容が判りません。ストローズから二人は遠すぎて。ただし会話の直後に近づいたストローズはアインシュタインから無視されたので、ストローズは《オッペンハイマーがアインシュタインにストローズの悪口を言ったのではないか》と疑心暗鬼になりました。
もともとストローズは科学にコンプレックスがあったから科学者には見透かされているような気がしてしまうのでしょう。アインシュタインに会う直前の二人の会話では、ストローズがなんとなく卑屈でぎこちなく見えます。
オッペンハイマーが「下民の靴売り」と言ったのは、ルイス・ストローズとロウリー・シューセールスマンで韻を踏んだ言葉遊びのようにも見えます。その直前にストローズかシュトラウスなのかで発音を冗談にしている会話もありましたし。
私は映画の初見時では「靴を売る」というのは何かの慣用句か(*1)とも思いましたが、調べてみるとストローズは本当に靴売りでした。彼は1896年に米国北東部のウェスト・バージニア州の靴売りの息子として生まれ、十代後半だった1913年にアメリカ中の不景気を逆手に取って靴の移動販売で大きく儲けて、1914年に大学進学を蹴って後に大統領になるハーバート・フーヴァーの補佐官になって、そこから政治家として成り上がった人物です。
つまりストローズは高卒ですから、大学などの教授や学者先生に対しては、少なからずコンプレックスを抱いているのだと思われます。
加えて、初対面のオッペンハイマーに(おそらく冗談とはいえ)実家の靴屋のことを《下民》と言われて、ストローズは少し不機嫌になっていたかもしれません。
それで1959年に米国商務長官の審査に落ちた時も、控え室で「オッペンハイマーが陰口を言ったに違いない」なんて愚痴を垂れますが、上院補佐官からは「もっと大事なことを話してたんじゃないですか」と諌められます。
てめえの社会的地位なんて、国や世界の命運を握る科学者にとってはどうでもいいことなんだよ!
…とでも言うような議員補佐官のセリフが痛快ですね。これを受けて作り笑いしながら報道陣に突っ込んでいくストローズの背中が虚しいやら悲しいやら。
そして、映画の最後にオッペンハイマー視点で実際の会話が《種明かし》されます。
●オッペンハイマー視点
タイミングとしては1945年にオッペンハイマーが戦争の英雄になった直後です。しかしオッペンハイマーは同年にロスアラモスの科学所長を退任して、軍部の核兵器開発プロジェクトからは離れました。そして1947年にストローズがオッペンハイマーをプリンストン高等研究所の所長とAEC顧問に任命しました。これを栄転と見るか、左遷と見るか。(戦争直後にトルーマン大統領と面会した時の失態に鑑みれば左遷だと考えるのが妥当でしょう)
何はともあれプリンストン高等研究所で働いていたアインシュタインはオッペンハイマーを歓迎します。オッペンハイマーはアインシュタインの上司になったということになりますね。しかしアインシュタインは《世紀の大発見をした若き超天才科学者→時代遅れの老人に転落した人生》を経験した人生の大先輩ですから、ちょっと厳しいことも言います。
これを言われてオッペンハイマーは表情が曇ります。
時代背景を知らないと理解が難しいので、順番に紐解いていきましょう。
オッペンハイマーは、カリフォルニア大学バークレー校で、アインシュタインに賞をあげました。
でも、それはアインシュタインのためではなくて、オッペンハイマーのためでした。とアインシュタインは言っています。
つまり、1905年に26歳の若さで現代の物理学の基礎になる偉大な理論を見つけた宇宙人レベルの天才アインシュタインも、40年も経てば老ぼれになり、次世代の若き一流科学者たちから見れば邪魔者になるわけです。
そこでオッペンハイマーは老害になったアインシュタインに適当な賞を与えて褒め称えるムーブをしながら、例えばロスアラモスのような本当に重要なプロジェクトには招集しませんでした。だから、アインシュタインに与えられた賞はオッペンハイマーが身を守る為のものだったのです。
受賞者のためではなくて、プレゼンターのための賞。それを受け取りながら《時代遅れ》に認定されたアインシュタイン(*2)の屈辱たるや。
さて、アインシュタインの説教はもう少し続きます。
今度はオッペンハイマーにも同じようなコンセクエンス(結末)が起きるだろうと、アインシュタインは予言します。
ここではアインシュタインと異なり、オッペンハイマーは原子爆弾という大量殺戮兵器を作ってしまったという罪悪感の話をしています。二人は1943年に核連鎖反応理論のことで相談したことがある通り、核技術が人類滅亡に繋がるものならば止めるべきだという見解で一致していますし、そもそもナチスが先に開発する前にアメリカが作って抑止力になるという大義名分がありました。
しかし実際に起きたのは、当初の標的だったナチスは原爆完成前に降参し、核技術も戦う余力も無かった日本に対して原子爆弾は開発されて、そして実戦で使用されました。
オッペンハイマーは原爆の実戦使用に反対の立場でしたし、原爆投下後も苦しむような描写がありました。体育館での聴衆が本心を1ミリも理解してないスピーチの場面も強烈でしたが、自宅では肌着一枚で暗い部屋の中でタバコを吸っている場面も印象的でした。
そういう意味では、この1947年の時点でアインシュタインは、オッペンハイマーの罪の意識を見抜いている数少ない人物の一人ということになります。
そんなアインシュタインが言ったのです。
ひゃー、怖いですねー!
ここで映画で挟まれる映像は1963年のエンリコ・フェルミ賞ですが、ちょっと意味のねじれが生じているので注意が必要です。
実際の歴史では、アインシュタインが懸念するようなオッペンハイマーの殺人を責めるような運動や言論は(アメリカでは)起きず、むしろアメリカ政府は原爆や水爆の研究開発をどんどん進めました。逆に水爆利用に反対していたオッペンハイマーはこの7年後の1954年に(ストローズの陰謀で)ロシアのスパイ容疑で公職追放されました。エンリコ・フェルミ賞はこの時の公職追放は間違いだったと国が認めたから罪を埋め合わせる形で授与されたものです。
つまりアインシュタインが池のほとりで述べている懸念とは真逆ですね。
しかし、1963年のエンリコ・フェルミ賞の授与式には、1954年にオッペンハイマーに不利な証言をしたテラー博士(ストローズとの仲が良かった)も出席して握手を求めています。テラー自身が許してもらうためにオッペンハイマーに賞を与えている、という構図は、まさにアインシュタインが言う通りですね。妻のキティは頑なに握手しませんでしたけど。
さて、1947年の池のほとりに話を戻しましょう。
怖いことを言って去ろうとしたアインシュタインをオッペンハイマーが引き止めます。
うわああああー!もっと怖い!!
私は世界の破壊者になりました、宣言。
冷静に言ってるから、なおさら怖いです。
降り始めた雨で波紋が広がる池を見つめながら、オッペンハイマーのビジョンには何十本、何百本という核ミサイルが見えています。それらが一斉に発射されて、次々と着弾し地球を無数の炎が包み込んでいきます。
たった一つの核爆弾を作ってしまえば、それが連鎖反応を起こして世界を焼き尽くしてしまう、というのは宇宙レベルの規模で見れば正しかったのです。
水面に広がる波紋にオッペンハイマーは核弾頭の爆発を見ていました。
ドン引きするアインシュタインは言葉を失い、意識も朦朧として歩いて行きます。
そりゃ、そうでしょう。アインシュタインは「君もいつか世界(アメリカ)が理解してくれる時が来るよ」と励ましてあげたのに、オッペンハイマーは「私はその世界を破壊しました」とだけ答えたんですから。そこに罪の意識があるのかどうかも側から見ただけでは判りません。アインシュタインが励ましてくれた内容を全否定するようにも見えます。もしかしたら原子爆弾を作ったことで精神を病んでいるのかも。
だからアインシュタインは、ストローズが話しかけても無視してしまったのですね。それを劣等感や猜疑心からストローズが勝手に誤解していただけで。
これが映画『オッペンハイマー』のラストシーンですからねえ。
痺れますよ。
最後の最後にガツンと殴られた気分ですね。
▼1954年:聴聞会に際して
映画とは時制が逆転しますが、こちらの会話はもっと後のことです。
聴聞会で毎回追い込まれるオッペンハイマーを見かねてヴォルプが切り出して、そこにアインシュタインが現れます。
映画の一番重要なテーマに直接関わるような会話ではないような気もしますが、まあ、ここまでされてもオッペンハイマーがアメリカを愛していたという彼の人格を示すための場面ですかね。
(了)
▼注意
このnoteはあくまで、映画『オッペンハイマー』での会話を解説したものであり、実際にアインシュタインがオッペンハイマーとこのような会話をしたのではありません。誰か別の人物の発言を、映画として見やすくするためにノーラン監督がアインシュタインに言わせた部分もあります。ご留意ください。
▼余談
*1)靴を売る:sellin' shoes:は現在では稀に《すぐにセックスする女》や《ゲイの扉を開いてあげる男》のことを指すらしいです。靴を売る=こちらの靴を脱がせる=靴を脱ぐ=ベッドに入る=セックス、という連想を用いた隠語だと思われます。
オッペンハイマーの舞台である1947年でそんな使い方をしていたとは思えませんので、本文からは除外しました。
*2)神はサイコロを振らない:God doesn’t play dice(ドイツ語Gott würfelt nicht.):は1926年に当時47歳のアインシュタインが発表した論文を象徴するフレーズです。彼自身が1905年に26歳で書いた論文で大きく進歩した量子力学でしたが、研究が進むにつれてあらゆる物理現象の認識に確率論を取り入れる必要性が生じるようになりました。しかし、それを47歳になったアインシュタインはすぐに納得することができませんでした。
このために次世代の科学者たちからは、あいつはもう時代遅れで最新の研究には使えない、と(口に出さずとも本心では)認識されることになりました。
まあ数学や将棋などは、野球選手やサッカー選出と同じくらい若い時期ほど有利なものですから、奇跡の天才アインシュタインも時間と老いには勝てなかったということでしょう。