【ジョーカー2】はIMAXで観た方が良い理由【フォリ・ア・ドゥ】
本noteではIMAXで観た方がジョーカー2はわかりやすい、ということを説明します。前半はストーリーのネタバレなし、後半はネタバレありです。
結論から言うと、《映画内での現実かアーサーの妄想かで画面サイズを変更しているから》です。
▼前提:
『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』は作品中で何度も画面サイズが変わる映画です。そして上映形式によってそのサイズが異なります。
詳細な仕様はかなり複雑ですが、ここでは一番簡単に説明すると、映画は大きく分けて「横に長いシーン」と「縦にも長いシーン」の2つで構成されます。
「横に長いシーン」この映画の基本サイズで、アスペクト比は2.20です。通常シアターで観覧すると基本的に全編このサイズになります。(*冒頭のアニメのシーンを除く)
「縦にも長いシーン」はIMAX版で視聴できます。その縦横比は劇場の種類によって異なり、日本全国のIMAXシアターなら1.90まで、日本に2箇所だけのIMAXレーザーGTなら1.43まで、縦に伸びます。
図にすると、こんなイメージです。
そして、IMAXレーザーGTでは、縦に長いスクリーンをフルサイズで活用する有難い映画である一方で、左右は大きくカットされているシーンがあることがわかっています。
監督や広報のIMAXへの力の入れ具合から推察するに、本作は最初から1.43で上映することを想定してると思われるので、IMAXレーザーGTで切られてしまう左右の空間はある意味でオマケ要素だと考えても良いでしょう。つまり本当の意味での完成形は1.43だと思われます。
左右の切られた部分は、カップのアイスクリームを開けた時にフタについてるクリームと大差ありません。(笑)
しかしながら、この「見えない部分がある」ことをなんとなく損だと感じる人は少なくないでしょう。
そんな「損することが嫌い」な人達にこそ知ってもらいたいのですが、「見えない部分があるから損をする」と思ってIMAXレーザーGTを避けてしまうと、フルサイズIMAXだからこそ強く実感できる「ある仕掛け」を味わいにくくなります。
それは、現実と虚構で画面サイズを変える演出です。
▼理由は、妄想の時だけ画面が広がるから:
私はこの映画を劇場で2回観ましたが、2回目にIMAXレーザーGTにしたことで、あるメタ的な仕掛けに気づきました。
それは他ならぬ画面サイズが、アーサーの妄想(もしくはアーサーの主観で事象が歪んで見える状態)のときだけ画面が縦に伸びていたのです!
つまり、言うならば、2.20は第三者がカメラのファインダー越しに覗く世界で、縦に長いIMAX画面サイズはアーサーに見えている世界のVR視点です。
だから、この映画内の現実か虚構かは、あくまで画面サイズで決まるのです。なのでホアキンフェニックスがアーサーの衣装を着てても画面がIMAXサイズなら妄想だし、彼がジョーカーのメイクをしてても画面が通常サイズならば現実です。
2回目の劇場観覧でこのテクニックに気づいた時に、私は身震いしました。
これはIMAXレーザーGTのように2.20からの差異が大きい劇場ほど効果的になります。私は1回目はドルビーシネマ(画面サイズは通常シアターと同じ)にしたので、実は画面サイズを変化させていたなんて気にすることさえありませんでした。
可能であればIMAXか、東京か大阪の近郊にお住まいの方には全国2箇所しかない池袋か吹田のIMAXレーザーGTの劇場に行くことを推奨します。
▼ストーリーに沿って具体的に説明:
以下では、本編ストーリーに沿って具体的に言及するので、ネタバレが嫌いな人はここで読むのを止めてください。
まずアーサーがE病棟からB病棟に連行されるシーン。ここはIMAXサイズです。雨が降っているのは本当ですが、4色のパラソルが美しいのはアーサーの妄想(または認知が歪んでるから彼にはそんな風にキラキラして見えている)です。
B病棟で初めてアーサーとハーレイの目が合うシーンは全てIMAXサイズなので虚構です。おそらく実際にハーレイは部屋から出てピストル自殺するジェスチャーをしていません。
E病棟のテレビ部屋でみんながニュース番組(アーサーの裁判への意気込みを語るハービーデント検事補)を見ている時は2.20ですが、後から部屋に入ってきたアーサーが歌い踊り出すとIMAXサイズに変わって、みんなで彼を人気者のように盛り上げます。歌い終わるとサッとカットバックして(ここではアーサーのファンの青年から呼びかけられてハッと我に帰るようなシーンになってる)再びテレビを見つめるアーサーになりますが、ここで画面サイズが2.20に戻ります。
実は、この最初のミュージカルシーンでもっとも注目すべきなのは、歌が終わって2.20に戻った直後に1〜2秒くらい「最後にアーサーを刺す青年」の全身を写すショットがあるのですが、そこだけIMAXサイズになって、次のカットですぐに2.20に戻ります。
なぜ、何もしゃべらない青年を写すだけのワンカットをわざわざIMAXにしたのか?
それは、このシーンの画面サイズを見ただけで、あの青年はアーサーが生み出した妄想か、あるいはジョーカーの妄想が感染して生まれたモンスターのような存在であることを、こうして画面サイズだけではっきりと示すためなのです。
トッドフィリップス監督が、画面サイズに意味を持たせていることは、このシーンで明白に示されました。(*映画館でこのシーンを観た瞬間に私の「気づき」は「確信」に変わりました)
B病棟での合唱練習初日にハーレイがアーサーに声をかけますが、その会話シーンは2.20です。なので、ジョーカー信者であるハーレイがあの病院にコネを使って入院してアーサーに近づいたのは、映画内現実だと解釈できます。
映画上映会で火事を起こすところまでは現実ですが、その後の二人での逃避行はIMAXサイズなので、何かしらの美化が加えられています。
そして、その夜に折檻部屋に投げ込まれたアーサーにハーレイが夜這いをかけるシーンは全てIMAXサイズなので、あれはアーサーの妄想です。
後のシーンで、病院の面会室でハーレイが「妊娠した」と言う瞬間は2.20です。二人がセックスする機会は、この映画を通してあの折檻部屋の時しかチャンスが無いはずなのですが、おそらく精神科の学生であるハーレイはアーサーの妄想癖を見抜いてハッタリを掛けたのか、もしくは彼女自身もアーサーと同じ妄想に取り憑かれて想像妊娠していたのかもしれません。映画のタイトルが「Folie à deux=感応精神病」なので、その可能性もありそうです。
ハーレイが初めてピエロメイクするときに、アーサーのアパートに訪れて、色々と身支度するシーンは全てIMAXサイズです。つまり、ここもアーサー(もしくはハーレイ)の妄想であり虚構だと解釈できます。
ジョーカーが法廷で弁論するときは全て2.20です。つまりあれは現実です。それまでジョーカーが登場するシーンは必ず縦に巨大なIMAXサイズだったのに、ここでは一気に現実の狭い箱に押しやられて、ジョーカーのパワーが消えて弱々しく見えます。
陪審員の代表者が評決を読み上げているシーンも2.20です。しかし、爆破テロが起きた瞬間から、逃亡、階段での再会まで、ずっとIMAXサイズです。つまり、あれは裁判の結果を受け止められないアーサーの精神が現実逃避して見ている妄想だと解釈できます。(*現実のアーサーは逃げようとして暴れて捕まっただけだろうと想像できます)
そして、最後のシーン。倒れたアーサーは目を開いたまま瞬きもせず死んだように動かなくなって、後ろの若者がナイフで自分の口を切り裂いて狂ったように笑う時の画面はIMAXサイズでした。つまりこれは虚構です。
実は、病院に帰ってきてからめった刺しにされるところまでは2.20なので現実なのですが、そこからアーサーの妄想でハーレイにピストルで撃たれるジョーカーのシーンでIMAXになって、再び病院のシーンに戻って倒れて動かないアーサーを写した時には画面サイズがIMAXのままなのです。よって、このシーンでは「死ぬ瞬間」と「自傷行為」だけは虚構だと思われます。
▼画面サイズで遊ぶ作品:
ということで、この画面サイズを変えて表現に使うテクニックを存分に味わうためにも、IMAXレーザーGTを私は推奨します。過去に「IMAXレーザーGTは横が切れて勿体無く見えるかもしれないけど、でかいスクリーンはそれだけで価値があるから信じてレーザーGTを選びたい」という趣旨で記事を書きました。
しかし、実際には、それ以上に画面サイズに深い意味がありそう(*現時点で監督の証言などは見つけていませんが、この考察が正解している自信は95%程度です)だったので、これはレーザーGT案件ですよ!
この「画面サイズで描いてるものの違いを明示」するテクニックは、最近ではデューンPART1でも「砂漠の世界を描くときだけIMAXサイズになる」という方法で使われました。
DUNEは残念ながらホームリリースは全てスコープ(2.39:1)で固定されてしまったのですが、JOKER2はどうなるか楽しみです。ノーラン監督作品みたいにブルーレイでは画面最大まで広げるようにして欲しいですねー。
たぶん何も言わなければワーナーは手を抜くと思いますので、トッドフィリップス監督には意地と執念を見せて欲しいです。
▼追記:
(了)