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【まる】あらすじ・感想(三幕構成で分析)

#ネタバレ

結末まで語るので、本編未視聴の方にはブラウザバックを推奨します。

登場人物
沢田(堂本剛):主人公。画家志望で、今は著名人のアトリエでバイト。
横山(綾野剛):沢田の隣人。売れない漫画家。
矢島(吉岡里帆):沢田の同僚。社会に不満を持つ。
先生(柄本明):公園で鯉に餌をやる老人。付き人が居る。


まずは、物語を三幕8場構成に分解します。

一幕

1)数十人のアシスタントを抱える著名アーティスト秋元の下で、何年か働いてきた沢田(堂本剛)。同僚の矢島(吉岡里帆)は沢田の才能を認めており、秋元の搾取体制への怒りを表明するが、沢田はアーティストとしての夢を半ば諦めている。

2)沢田は自転車で転倒して右腕を骨折したのを理由に、秋元から一方的に解雇される。アトリエに残る矢島は手で双眼鏡のようにまるを作って沢田を見送る。帰り道に沢田は当てもなく公園のベンチに座ると、先生(柄本明)から円の話をされる。その夜、沢田は自宅に迷い込んだ一匹のアリを追い回すように画用紙に描いたまるが良い感じだったので、金策のために骨董屋に売り付ける。

二幕

3)沢田はコンビニでバイトを始める。失礼な客も多いが、温厚なバイト先輩から「福徳円満」と諌められる。この頃に隣人の漫画家の横山(綾野剛)が壁に穴を開けてしまい、沢田は横山と友人関係になる。横山は売れたくても売れないことに強く不満を持っている。一方で沢田は骨董屋からまるの絵が売れたからと3万円を支払われる。

4)沢田が描いたまるがある画商の目に留まり売れて、そこからあれよあれよと転売を繰り返しながらどんどん値段が暴騰し、作者だとカミングアウトした沢田は一躍「時の人」となるが、同時に環境の変化に悩む。横山は沢田のまるを模倣するが何故か全く売れない。沢田は駅の近くで仲間達と街頭演説している矢島を見つける。矢島は「搾取を止めさせろ!私も寿司を食いたい!」と叫ぶ。沢田を見つけた矢島はあの日のように手で双眼鏡のようにまるを作って沢田を見る。

5)沢田自身も次の作品が画商に認められず猛烈なスランプに陥る。しかしここでもう一度先生に話を聞いて、アドバイス通りに描きまくる。

6)沢田の個展が開かれて大盛況となる。しかし矢島が仲間達と妨害行為を行って会場は滅茶苦茶にされる。ここでも同じように矢島は手で双眼鏡のようにまるを作って沢田を見る。疲れ果てて帰宅した沢田を、横山は土産の寿司を食いながら静かに慰労する。

三幕

7)沢田の骨折が完治する。利き手で絵を描けるようになった沢田は新規軸の作品を仕上げるも、画商達はまるを要求する。沢田は言われた通りにまるを描くが、その絵を拳で突き破ってしまい、画廊を立ち去る。

8)アパートの老朽化と建て直しを受けて、沢田は田舎に引っ越すことにする。質屋では沢田のまるの贋作で溢れている。沢田はバイト先輩に頼まれて色紙にまるを描く。サインも入れない。なんか今までで一番うまく描けたかも。

エピローグ)田舎道を自転車で走る沢田。交通整理しているオジサンは先生だ。先生は今は三角に執心らしい。沢田はまたしても鳥に注意を逸らされて、自転車で派手に転倒する。その頃、遠くフランスの美術館では沢田の最後の作品(青地に描いたまるを真ん中で突き破ったキャンバス)が展示されて、2人のフランス人らしき画商が絶賛している。

FIN

2024年製作/117分/G/日本
配給:アスミック・エース
劇場公開日:2024年10月18日

▼解説・感想:

●構成

一幕
 一場:状況説明
 二場:目的の設定
二幕
 三場:一番低い障害
 四場:二番目に低い障害
 五場:状況の再整備
 六場:一番高い障害
三幕
 七場:真のクライマックス
 八場:すべての結末

参考:ハリウッド式三幕八場構成

1-1:沢田は諦めている
1-2:沢田は無心でまるを描いて売る
2-3:沢田は隣人と友人関係になる
2-4:沢田が有名になって隣人と関係が悪化する
2-5:沢田はスランプに陥るも先生に教えを受けて精進する
2-6:沢田は個展を成功させるが妨害も受けて疲れる
3-7:沢田は本当の自己表現のために画廊から立ち去る
3-8:沢田はのんびり暮らす;作品は今も独り歩きしている

●感想

吉岡里帆が可愛かったです。(一つ目がそこかよw)

あの下唇のピアス、本物なのかな?(違うよねw)

でも、もう少し若くて無名の俳優を使ってくれた方が、映画に入り込みやすかったかなーとは思ってしまいました。『ドラゴンタトゥーの女』のルーニーマーラのようなポジションの女優さんって居ないですかね。吉岡里帆は良くも悪くもビッグネームすぎて、社会に強い不満を持つ若年女性の雰囲気をあの短い出演時間で出すのは難しかったと思います。ドラゴンタトゥーの女をエマワトソンが演じてもちょっと違うかもってなるでしょ?

吉岡里帆は努力はしてると思うけど、そこまで苦労はしてなさそうというか、あれだけ可愛い顔してる女性が人生あそこまでハードモードには陥らないと思うのよねー。顔って家柄とか貧富とかも出るから。銀のスプーンを持って生まれた者ではなくて、持たざる者としてこの世に生を受けた者にしか出せない味ってあると思うんですよ。(コンプラ的暴言、失礼しました)

一周回って貧困でもないくせにジョーカーを気取ってる痛いヤツという解釈も可能かも?

先生役の柄本明がとにかく良かったですねー。あの何のジャンルか判らない感じとか、まるとかさんかくに執心してる感じとか。吉岡里帆の謎の双眼鏡ポーズと共に、この映画の独特なファンタジームードを作る源泉ですね。

やはり脚本・監督の荻上直子(かもめ食堂、川っぺりムコリッタ)の色が強く出たのかしら。私、実は寡聞にして、まだどちらも視聴できてないので、特に『かもめ食堂』と『川っぺりムコリッタ』はどちらもNetflixにあるので、近日中に観てみようと思いました。

撮影も良かったですね。気になると目に付く丸いもの、丸いもの。そういう画作りがとても良いと感じました。同じ路地でも、二回目の方が丸窓を強調してる構図や編集とか、これかなり匠の技でしたよ。

堂本剛の顔も帽子のおかげでまんまるに見えるのも良かったです。(笑)いや、綾野剛も吉岡里帆もあんな丸い印象は出せません。余談ですけど堂本光一でも。あれは堂本剛じゃなきゃ。

綾野剛の輩な演技も相変わらず良かったです。これまで私が観てきた、彼の出演映画の中では一番好きな役柄かも。ただし予告編やテレビ特番でよく見た「堂本剛&綾野剛ダブル主演」のような宣伝には違和感を覚えましたね。綾野剛が壁に穴を開けたのは堂本剛がまるを描いた後なのがそう感じる最大の根拠かな。彼は主人公がまるを描くことにもそれが売れたことにも全く関与してません。綾野剛の役は周囲で騒いでるだけで、せいぜい吉岡里帆の役と同じくらいの重要度だと思いました。まあ綾野剛の名前をプッシュした方が集客を見込めるという配給側の思惑だったのかな、とは推察できますし、現在の日本映画ビジネスでは仕方ないことだったのかなとも思いますけど。

●堂本剛とKinKi Kids

この映画で沢田が経験する異常な状況は、堂本剛とKinKi Kidsに重ね合わせて見ることができると感じました。

私はあまり詳しくないのですが、それでも彼とは同世代なので、彼が10代の頃からテレビで大活躍してるのをリアルタイムで眺めてきたわけです。1990年代後半当時は今ほど娯楽が細分化する前だから、熱心に動向を追わなくても、なんとなくテレビを観てるだけでほぼ全体像を捉えることができました。私が中高生で、そういう娯楽が日常の話題の中心になることが多いのもあったでしょう。

若者があのような異常な人気と注目の的になった時にどんなことを感じるのか、当時から現在に至るまでずっと「平凡で名もなき一般人」の私は想像するしかないですが、おかしくなった芸能人やインフルエンサーの事例から色々察することはできるつもりです。

自分でも何が良いのか全く理解できない落書きのような「まる」が社会現象になってどんどん大きくなっていく。それは堂本剛から見えていたKinKi Kidsとも重なるんじゃないかなと。

ファンでも何でもない私から見て、光一くんは舞台に力を入れるようになってジャニーズの王道キャリアを邁進してるけど、剛くんはENDRECHERIというアーティストを名乗って少しトリッキーな道を選んだのかなーくらいに思ってました。堂本剛の正直しんどいは好きで毎週観てました。私はそういうサブカルな雰囲気のものが好きでしたから。そして、彼らは何をやっても「硝子の少年」と比較され続けるんだろうなとも思ってました。

だってKinKi KidsってデビューシングルCDからずっとオリコン週間チャートで連続して1位を記録し続けていましたから。その栄光は、乗り越えるべき壁としては巨大すぎるでしょう。いや、本人は常に最高を更新し続けている実感があったかもしれないですが、少なくとも世間は売り上げというわかりやすい数字で評価するわけで。

そういう居心地の悪さや世間の壁みたいなものを、割と等身大で演じていたんじゃないかな、と劇場で観覧しながら想いを馳せていました。

そして映画のラストで、沢田は自分のまるの作品を拳で破って決別してしまいます。しかし、それさえも作品として流通して世間では評価され続けるのが、ある意味で皮肉でもあり、ある意味では救済でもあると見做せるのが、この映画の懐の深さを感じさせました。

特に昔からのファンからしたら、アーティストが自身の過去作品を否定することは過去の自分自身を否定されることにも等しいですからね。この映画はそれを完全に見放さないところに優しさや思いやりを感じました。

まるアーティストを辞めても、一番身近な人間の一人であるバイト先輩が「引っ越すなら色紙に描いてよ」とお願いすると、快く応じる描写も良かったですね。沢田は絵を描くことが好きで、商売のためじゃなくて、素直な気持ちを表す行為として描くのは辞めてない。なんなら、それが一番上手く描けた気がする。これもまた堂本剛がKinKi Kidsとして歌っていた曲たちへの優しい眼差しだと言えるでしょう。

個展が大荒れになった日の終わりに、壁の向こう側で寿司を食べる横山に「なぜ描くのか」と問われて、沢田は「根源的な欲求のような何か」と言いながら涙しました。商売じゃなくて、ただ描きたい。この演技の向こう側に堂本剛のリアルが覗き見えた気がしました。それに対して横山は「お疲れさん、おかえり、もう今日はおやすみ」とだけ声をかけました。

うん、総じて、優しい映画だと思いました。

●まるに飲み込まれたアリについて

しかし、優しさだけじゃなくて、本作には強烈な毒もありました。

そもそも沢田が最初にまるを描いた時にまるに飲み込まれてしまったアリ。なんか知らねーけど爆売れしてる作品の犠牲になった存在。踏み台にされたもの。あれはね、KinKi Kidsが爆売れする陰で、夢破れて消えていったジャニーズJr.の仲間達の比喩も含まれていると思いますね、私は。

沢田が展示されたまる作品からアリを摘もうとした画のインパクトが、私の脳裏から離れません。沢田はアリを救出しようとしたのか、アリを取り除くことで自身の殺生を無かったことにしたかったのか。

*逆に、「KinKi Kidsを演じることを強要された本当の堂本剛」という解釈もできるかもですね。

このイメージの重ね合わせは、少し残酷すぎるような気もします。しかし、そういう闇の部分も匂わせるというか、悪い解釈をできる余地を残すところが、映画として非常に優れていると感じました。

(了)

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まいるず
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