【でっちあげ】あらゆるジャンルのマイノリティの話【算数は大切】
あらゆるジャンルのマイノリティの話、ちゃんと人数と倍率を数字で示したらもっと建設的に話ができるようになると思う。
日本の総人口は約1億人。
つまり1万人集めても全体の0.01%やで。
Twitterで1万人がいいね押しても、まだ日本全体の0.01%に過ぎない。
0.01%って「1万人に1人」の確率よ。
あなたが通った学校には生徒が何人いた?
あなたが勤めている会社の従業員は何人?
▼ソシャゲのガチャで例えてみよう:
ソシャゲで、倍率0.01%のウルトラレアを一発のガチャで引ける自信はあるかい?
いま世間を賑わせているジェンダーレストイレとかLGBT法案をソシャゲに例えてみると、、、
要するに、日本政府が運営しているソシャゲがあって、超低確率のウルトラレアを引き当てた人に最適化した難易度にしようとしているのに近いのよ。しかもいくら税金を出してジェムを買うつもりがあっても、そのガチャは1回しか引けない。また、このゲームはリアルの戸籍と連動してるのでリセマラもできない。だけど日本国民であれば、やりたくない人もそのゲームには絶対に参加しなければならない。という感じなのよ。
そんなゲームでウルトラレア(性的マイノリティ)を持ってる人だけが圧倒的有利で、しかも持ってない多くのユーザーがプレイを妨害される(普通の女性が安心してトイレや更衣室や銭湯を利用できない)ルールになってたら、普通のユーザーは怒るのが当然でしょ。
そんな低倍率を引いてしまった人のために過剰に公共サービスを整えるのが国の正しい税金の使い道だと思うかね?
もう一度書くけど、1万人集めても全体の0.01%やで。
LGBT法案を「ゴリ押ししてでも通したい当事者」なんて日本中からかき集めても1万人を超えないと私は思うぞ。
たった0.01%が甘い汁を吸えるために、残りの99.99%が不便な生活や、恐怖感や、金銭的な負担を強いられるのが、正しいことだとアナタは思いますか?
▼日本はそもそもマイノリティに寛容な国:
もちろん、マイノリティが【不当に虐げられる】のは良くないと私も思うよ。
でも、日本でこれまでマイノリティが不当に虐げられてきた歴史や事例ってそんなにあったっけ?
ここで言ってる【不当に虐げられてきた歴史や事例】というのは、例えば自分がゲイであることがバレたら、周囲の人達から暴行を受ける(文字通り殴られたり蹴られたりして、全身アザだらけになったり歯や骨を折られたり内臓を損傷したり酷いときはその怪我が原因で死ぬまでやられる)とか、経済的に締め出されて(物を売買してくれないので衣食住に困まるようになる)その街から出て行かなければならない状況まで追い込むことやで。
そんなの、無かったでしょ?
もちろん日本でもそういう痛ましい事件もごく少数はあったかもしれないけど、実はそれって虐めてる方も性格や人間性に問題があるサイコパスやソシオパスの精神異常者で、要するにマイノリティVSマイノリティ(極端に自由な人達VS極端に厳格な人達)で喧嘩してるだけなんだよ。日本の場合は。
これが海外の、特にキリスト教圏やイスラム教圏などは、同性愛が宗教的に禁忌とされているから、マイノリティVSマジョリティの戦いになってしまうのよ。マジョリティが信仰してる宗教で禁じてるから。だから欧米ではマイノリティがいとも簡単に迫害されてしまう文化的土壌があったのよ。
これは宗教への信仰意識が希薄な現代日本人には理解できない感覚よね。しかも戦前まで影響力の強かった神道や仏教は性愛に寛容なところがあったし、戦国武将が小姓を抱えて男色をまるでタバコやゴルフのように趣味として嗜んでいたのは結構有名だし。
だから日本ってそもそも欧米から見たら、あり得ないほど性的マイノリティに寛容な国なのよ。マツコがテレビやCMで売れっ子なんだぞ。
マツコ・デラックスもそうだけど、kabaちゃんとかはるな愛とかIKKOとかおすぎとピーコとかゴリエとか池畑慎之介とか美川憲一とかアンドロメダ瞬とか、昭和平成の頃からお茶の間でオネエキャラはずっと愛されてきたし、庶民の間でもそういう人達が身近にいたらそれなりに尊重されてきてるのよ、日本では。
ちなみにLGBT擁護派が「先進国だ」と賞賛するアメリカ合衆国では、すでに多くの州でLGBT法を制定されているが、学校や公共施設で多数のトラブルが起きていることから、ほとんどの州でLGBT法を廃止する動きが加速している。そんな時代に周回遅れで法案成立を目指すバカな日本政府よ。
▼必要ないのに必要だと主張する人々:
LGBTに対する配慮も、コオロギ食も、太陽電池も、紙ストローも。
ちょっと考えれば分かるけど、全部本当は必要ない。
むしろ人体や環境に害のあるものばかり。
LGBT法:もともと性愛に寛容な日本に必要ないのは上述した通り。ちなみに男性同士で性行為をすると人体の本来の目的でない使い方なので性器や直腸を傷付けやすく、1990年代にアメリカでHIVがゲイ男性を中心に流行したのはそれが理由なので、シンプルに健康被害もあると言える。
コオロギ食:大手メディアではタンパク質の含有率が高いとポジティブに宣伝されるが、吸収効率まで考えると実質的な効率は非常に悪い。コオロギは外骨格もまとめて全身をパウダーにしているが、外骨格はカニやエビの外骨格と同じキチン質でできているので人間には消化できない。つまりお腹には溜まるけど、そのまま大便になって排出される。つまりコオロギパウダーは砂や段ボールを食べているのと科学的には同じ。もちろんエビやカニを殻ごと食べても平気なようにコオロギを食べてもそれが直接的な毒になることはない。少量であればね。しかし肉や魚を食べないでエビやカニの殻ばかり食べていたら、そのうち健康被害が出そうなことは誰でも想像できる。コオロギの体内に僅かに含まれる柔らかい内臓だけは人間でも吸収できるが、それも乾燥させてパウダーにすると栄養価はかなり落ちる。つまりコオロギパウダー食品は『砂が混じったカロリーメイト』だと言える。ウシやブタは逆に人間が消化吸収できない骨や毛や蹄などを食べる前に除去できるから目減りして見えるが、少なくとも食卓に出される一般的な料理はほぼ全て消化できる。牛の体から人間が食べられない部分(本来は捨てる部分)を集めて乾燥させて砕いたものが牛骨粉である。つまりコオロギパウダーは『昆虫版の牛骨粉』だと言える。なお牛骨粉は飼料に混ぜて無理やり肉牛に食わせてタンパク源に使っていたが、それが原因でBSE(狂牛病)が大量発症して大問題になった。これは日本で吉野家から牛丼が消えて豚丼や豚カレー丼が始まった原因でもある。コオロギパウダーでも摂取量が著しく増えればどんな問題が起きるか正確な予測はできない。一方で人類には2,000年近く昆虫を食べる文化はあっても、粉末にして大量に食べる文化はなかった。世界中の原住民で見られる柔らかい幼虫を食べる文化と、最新のテクノロジーでコオロギ成虫を殻ごと砕いたコオロギパウダーを同列に語るのは暴論である。
太陽電池:そもそも雨天が多い日本に太陽光発電は向かない。急峻な地形が多い日本には設置する面積も少ない。山を切り拓いて広大な太陽電池を設置したことで、森林が失われて土が流れて地盤が脆くなり全国各地で土砂崩れが起きている。日本で民主党政権の時代に国が励行して設置した大量の太陽電池がそろそろ寿命を迎えているが、設備交換できない所有者が多く、使用期限を超えると発電効率がゼロに近づくだけでなく発火事故などの危険性も高まるので使用できず、ただの粗大ゴミ(違法投棄)になりつつある。なお経年劣化すると容器がひび割れなどを起こして、有毒な物質が土壌に流れて汚染されるリスクも高まる。太陽電池は廃棄するときの分別作業が複雑なので金がかかる。発火すると超高温になるので燃えるゴミとして一括処分できず、コストのかかる埋め立て処分するしかない。太陽電池の大規模工場はチャイナにあり、当時も今も日本からお金がどんどん流れている。太陽光発電に強く賛成する大物国会議員として河野太郎がいるが、彼の親族はチャイナで太陽電池を製造して大儲けした会社(日本端子)を経営している。これは単なる偶然だろうか、それとも?
紙ストロー:日本ではエコの効果がほとんどない。まずプラスチックストローの原料となるナフサは、石油を精製した時に作られる物質(重い順にアスファルト、重油、軽油、灯油、ナフサ、ガソリン)の一つである。つまり、日本で火力発電や工場ロボットや灯油ストーブや普通自動車や軽油トラックを使い続けている限り、ナフサは『必ずついでに出来てしまうもの』なので、むしろビニール袋やビニールストローとして『有効活用しない方がエコじゃない』。次に、日本では文化的に街にゴミを捨てる人が非常に少ないので、諸外国と比較して河川までプラスチックゴミが流れてしまう量も非常に少ないから、日本は『プラスチック製品を使っても海が汚れる程度が非常に少ない稀有な国』である。プラスチック製品が環境に負荷を与えているというのは、すぐにポイ捨てする街が汚い諸外国の低レベルに無理やり話を合わせているだけであって、「日本人は誰もポイ捨てしないので問題になりません」の一言で退けられる。渋谷など外国人が多いエリアは風紀の乱れがあるが、それでもパリやニューヨークと比べればずっとマシ。スターバックスやマクドナルドが、街が汚いアメリカやヨーロッパで紙ストローを導入するのは効果があったかもしれないが、もともと礼儀正しく綺麗好きな日本では余計なお世話である。サッカーW杯でも報道されたでしょ?日本にはどんな場所でも綺麗に使う風習があるんだよ。
じゃあ、なぜこんなアホな話を通したがる人達がいるのか?
▼公金ちゅーちゅーシステム:
一つ考えられるのは、補助金だ。
一般論として政府は、政府が決めた新しいルールや方針に従う自治体や企業に補助金を出して励行する。
だから、LGBTに対する配慮も、コオロギ食も、太陽電池も、紙ストローも、そういう努力をしていると国から認められれば補助金が貰えるから、こぞって自治体や企業はやりたがる。何ならそれを新しいビジネスチャンスと捉えて起業する人達もいる。どちらも、目先の金が貰えるなら実態はどうなっても平気な人達である。
政府が新しく法律を作れば、それに合わせて地方自治体で新たにチームや組織が作られる。自治体職員で対応が難しい場合は外部組織に業務を発注することになる。そのために予算を計上して、国からお金を請求したり、地方税などの金額をアップさせる理由にできる。もちろんそこに飛びつくような新興企業も出てくる。あの有名なColaboもそんな団体の一つだろうと批判されている。
つまり、モチベーションは全部カネであり、これがいわゆる「公金ちゅーちゅーシステム」というやつである。
現行政府のやっていることが全ておかしいとは言わない。むしろ自民党は比較的マシである。しかし中にはこういう筋が通らないことが結構あるのだ。
お分かりいただけただろうか。
こういう嘘を見抜くために、数字や算数に強くなる必要がある。
相手がこちらを「陰謀論だ」と強く非難してきても、冷静になって数字を根拠に逆に説き伏せる能力が必要である。さもなくば、日本国は滅びる。これは比喩ではなくて、長い時間をかけて本当に起きることである。
算数の本当の目的は、正しく計算できるようになることではない。
数字の計算は電卓に任せておけば良い。
算数の本当の目的は、論理的に考えるトレーニングをして、論理的な思考に耐えるだけの脳の忍耐力とスキルを身につけることである。
並べられた情報から、正確に把握して理解するための根拠を探し出して、順序立てて説明できるようになることの、最初の基礎的な訓練が算数である。これを幼少期から成人するまでの、まだアタマが柔軟な若い年齢にやっておくことの意義はとてつもなく大きい。
しかし、現状の日本ではこれを意識して学習している生徒も、指導する教師も少数派であり、結果的に社会では愚かな判断がくり返されている始末である。日本の行く末が思いやられる。
了。