【あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。】を三幕構成で読み解く
結末まで語るので、本編を未見の方にはブラウザバックを推奨します。
まずは、物語を三幕8場構成に分解します。
一幕
1)高校三年生の百合(福原遥)は父を水難事故で亡くして母と二人暮らし。生活は苦しく、進学も諦めて自暴自棄になっている。母に反発して家出して、台風が近づく祠で一晩を過ごしたが、目覚めると1945年6月にタイムスリップしていた。
2)混乱する百合はなんとか山を降りて街まで辿り着き、そこで脱水症状で路上に倒れるが、特攻隊員の彰(水上恒司)に助けられて大衆食堂に運ばれる。女将ツル(松坂慶子)の提案で、百合は住み込みで働き始める。
二幕
3)百合は彰と戦争に対する考え方で衝突しつつも距離を縮めていく。
4)百合は日本は戦争に負けると言ってしまい憲兵に厳しく詰められる。
5)百合が住む街が空襲で焼かれる。彰の部隊の出撃日程が決まる。
6)特攻隊員の板倉(嶋﨑斗亜)が故郷で許嫁が負傷したことを知って脱走を図る。百合と彰たちは板倉の逃走を見逃す。
三幕
7)街の人達に見送られて、彰たちの特攻隊が出撃する。飛行場に駆けつけた百合は、感情が昂った瞬間に意識を失って現代のタイムスリップした日に戻る。百合は帰宅して母と和解する。
8)後日、百合は学校の社会科見学で知覧特攻平和会館を訪れ、そこで彰たちの部隊の資料が展示されているのを見つける。そこには彰が百合に宛てた手紙もあった。人生の意味を見出した百合は、彰の夢だった教師になることを目標に、大学進学を志す。
FIN
*公開日が真珠湾攻撃と同じ日付なのも、少し話題になってたなァ。
▼解説・感想:
●物語の構造
ハリウッド式三幕構造で説明できます。
一幕の導入部は優れていたと思います。他の家の子供を助けて命を失った父は、物語の後半で国民の命を助けることだと信じて特攻に向かう青年たちを描く場面でもよく効いてきます。なんでも原作小説では父が居なくなった理由は語られないばかりか百合は顔も覚えてないらしいので、映画としてドラマチックに仕上げるための改編だったようです。
二幕は個人的には正直テンポが悪いと感じて、時代考証のファジーさも相まって退屈に感じる部分もあったのですが、三幕は一気に加速してとても見応えがありました。
物語のラストで百合は無事に現代に帰ってきて(なんなら祠で眠った一晩に見た夢のようでさえもある)、そこから現代のパートがしっかり描かれるのですが、映画のラストカットは飛んでいる飛行機のコクピットで入道雲を上から見下ろしつつ、無言でタイトルだけ掲示するスタイル…つまりこれから死の特攻へと向かう彰の目線に再び時制がジャンプしており、映画タイトルが彼自身の叶わぬ願いをストレートに綴ったもので、涙を誘う、とても良い編集だと思いました。
本作の上映時間は127分あるのですが、私だったら90〜100分くらいに編集したいかな。でも、これは戦争や特攻に詳しくない現在の中高生を観客に想定した映画なので、このくらいゆっくりと描かないとカルチャーショックが気になって物語についていけなくなることを想定したのかな、とも思われます。
●俳優に思うこと
久しぶりに松坂慶子を見ました。声が同じなのですぐに判りましたが、外見は結構変わったように感じました。私がテレビCMでよく見ていた時期からもう30年近くも経っているのですから、ある意味当然ですよね。
主演の福原遥は、不良なのかギャルなのか優等生なのか、変わり者なのか平均的なタイプなのか、よく判りませんでした。あれが普通の10代女子のリアルなのかしら。私の感性がもう老人なのかもしれないですね。(苦笑)
たまに批判的なコメントも見かけますが、主人公のキャラ造形はまさに《戦時中や特攻のことをほとんど知らない令和の女子高生=観客のメインターゲット》のリアルに近いわけで、これは令和に作る映画ではある意味《必要悪》だったと言えるのではないでしょうか。
同じく主演の水上恒司は、まあ見た目は格好良いんですけど、役柄の言動はちょっとサイコパスみたいで怖いと思いました。(笑)
●物語の感想
時代考証のファジーささえ目を瞑れば、映画が帰結するのは「現在の日本が平和で恵まれている国であることを幸せに感じて、今の自分にできることを一所懸命に生きよう」という非常に真っ当なメッセージでした。
実はこのテーマは、オリンピックから帰国した早田ひな選手が会見で述べたことと一致しています。早田選手ももしかしたら移動中の飛行機の中で観たりしたのでしょうか?(笑)
このポジティブなオーラに包まれた本作は、若いうちに観ておいて損するものではない、と私は思います。
先日の記事で詳しく書いたのですが、些末な揚げ足取りをしてこの映画を叩くのはあまり良くないでしょう。
(了)