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さらば、愛しきマレーシア

ペナン島⑤

長い散歩を終えて、ホステルに戻ると、ウクライナ人宿泊客のヴォルに声をかけられた。
曰く、これから何人かで夕食に行くが、一緒にどうか、と。
特に断る理由もなかったし、半島の交差点ペナン島では出会いに恵まれたので、夕食をともにするのも悪くないと思った。

インド料理店での饗宴

私たちはインドの正月ディワリで賑わうインド人街の一角にあるカレー屋に入った。
小綺麗な店の面構えを見るに、1人じゃ来ないタイプの店だったが、こう言う偶然は嫌いではない。

メニューのほとんどは南インドの料理である。
せっかくマレーシアにいるのに、と言われそうだが、マレーシアは南インドにルーツを持つ人々が多く、これも歴とした「ご当地グルメ」なのだ。

店に入ると、カナダ人のケイもいた。彼も同じホステルの住人である。
同じテーブルにつき、私は、チキンとカレーリーフの炒め物と、スパイスと玉ねぎで炒めたライスのセットを頼んだ。
知らない料理だったからだ。
ビリヤニを頬張っているケイ曰く「それも気になってた」そうだ。

たわいも無い話をしていると、ホステルのメンバーが1人、また1人と増えてきた。
初めは4人掛けだったのが、いつの間にか8人掛けくらいに膨らんだ。
どうやら、ヴォルが誘った人がさらに人を呼び、膨れ上がったらしい。

人生でいちばんの街(林姉さん)

最初に言葉を交わしたのは、台湾から来た林姉さんである。
年齢は40代ほどで、びっくりするほど英語が流暢だった。

初め私を中華圏の人と思ったのか、中国語で話してきたので、訂正すると、
「日本人? びっくりしたわ。だってあなた、地元の人みたいな感じになってる(ローカライズされている)から」と言った。
肌はやけ、髭も生え、テロンとした服を着ていたからだろうか。
「日本人にも会ったけど、もっとおとなしくてしゃべらないものよ」と姉さんは言う。
不思議と悪い気はしない。

台湾のどこ出身ですか、と尋ねると、台北だと言う。
「台北は3度行きました。すごく好きなんです」と伝えると、
「何度行ったかなんて言わなくていいのよ」とからかわれてしまった。

「あなたはいつまでここにいるの?」と聞かれた。
なんとなく、私は明日までだと答えた。現にそう言うつもりだったのだ。
「それで、そのあとは?」
「半島を縦断したいんです。タイに入国してハートヤイ、チュムポーン、バンコク、アユタヤ、そしてチエンマイ、って感じで」
「あら、ラオスには行かないの?」と姉さんが尋ねる。
「今回は行かないと思います。いいですか?ラオスは」と聞いてみると、
「ルアンパバーンは素晴らしいわ…」とだけ答えた。
「いいところですか、ルアンパバーンは」
「今まで行ったところの中で一番よ…」さっきまで饒舌だった姉さんがルアンパバーンの話をするときだけは、一言で終わらせる。
行けるだろうか、ルアンパバーンにも。私は急にそんなことを考え始めていることに気づいた。

蹴りと美(ケイ)

カナダ人のケイを含め、数人が明日この街を発つことになっていた。
ヴォルは、「さびしくなるよ……」と漏らしている。これはまるでお別れパーティーなのである。

ケイはボクサーである。
次の目的地は、チエンマイ。そもそも彼は今、当地でムエタイの修行中だ。ペナン島に来た目的は聞き忘れたが、ちょっとした休暇のように見えた。
「どうしてムエタイを始めたの?」と聞いてみると、
「元々ボクシングをしていたんだけど、偶然ムエタイを見て、その美しさに目を奪われたんだ。縁ってやつだよ」と答えた。それで入門まで行くのだからすごいことだ。
「ボクシングとムエタイって何が違うんだい?」と私は尋ねた。
「ボクシングと違ってムエタイは蹴りが重要だ。先月が俺にとっては初試合だったんだけど、負け試合でね。でもパンチの上では、俺だって負けてはいなかったんだ。でも、蹴りが繰り出せていなかった。蹴りの回数が試合の勝敗に深く関わっているんだ」と彼は答えた。

私の目的地もチエンマイだった。そのことを伝えると、
「それはいいね。とてもいいところだ。大きい街ではないから、チエンマイで会おうよ」とケイは言った。そして、「一ヶ月後が、正式な初試合になる。まだいれば見に来て」と付け加えた。
正直、一ヶ月も資金が持つとは思えなかったが、「そうだね」と私は答えた。
旅の最中は、無責任な話で溢れているが、それはそれでいい。

可能性を抱いて(ヴォル)

一方のヴォルは三日ほど後にマレーシアを出て、バンコクに渡るという。
戦時下の祖国を出て、ポーランドで仕事を立ち上げるというが、その前にバンコクで一度腰を落ち着けるらしい。
私が、ちょうど同じ頃バンコクにいるかもしれないと告げると、
「是非声をかけてくれ。何かの縁だ」と言った。

それから、ヴォルとは仕事の話になった。
私が仕事を辞めたこと、そして、文章を書く人になりたいのだということを伝えると、とてもいいと頷いた。
「そしてら君は日本の有名な作家になるわけだ」と彼は冗談めかした。他の人にも「彼は有名な作家なんだ」と吹聴し始めたので、少々困ってしまったが。
とはいえ私も、恐縮していても仕方ないので、「未来のね」と嘯くなどした。

「もし何か書く題材を探しているなら、俺の祖国に来るといい」とヴォルは言う。「今、北東や首都は戦火に包まれているけど、俺の故郷の街がある西側は平気だよ。ポーランドから渡ることができるし、みんないいやつだ」
「でも、つまり、大変な時期に行って嫌がったりとかされないのか?」とケイが口を挟んだ。
「いやいや、それはないよ。みんな歓迎してくれると思う。言ってくれれば、俺の実家に一部屋空いている。街も自然も綺麗だし、日本の桜に似た花もあるんだ」とヴォルは自信たっぷりに言った。
ウクライナか、行こうと思えば行けるのか。私にとっては「行き逃した」場所だった。もちろん、さまざまなことを考慮して、「行くかどうか」は慎重に判断すべきだろうが、「不可能」はないのだ、と改めて気付かされた。

「旅を続けながら仕事ができたら……」とお金が心配になって私は呟いた。
「ノマドワーカーかい?」とヴォルは言う。「昔やろうとしたんだ。でも俺には合わなかったな。今こうやって楽しめているのは、仕事をしていないからなんだ。仕事と旅を両立しようとすると、結局どちらも、セーブしていかないといけなくなる。どちらかに一度は振らないとメリハリがないんだ」
「なるほどね」
「でも、そうすると、さまざまな可能性が消えていく気がして。それはすごく寂しいことに思うんだ。わかるかな、ちょっと変な話なんだけど」ヴォルは言う。
「つまりこういうことかな。僕らは無数の可能性に開かれている。ノマドワーカーにもなれるし、ボクサーにもなれるし、旅を続けることもできるし、国に帰って仕事も探せる。でも、生きるために、漠然とした無数の可能性の一つを選んで進まないといけない……」私は言った。
「そう。そして、そうすると、別の可能性は消えてしまうんだ。ある一本の道を選んだら、もう別の道にいるというIFはないんだよ。それがなんだか悲しいんだ」

それは、私にとっては、よくわかる話だった。
「こうしたい」という一つのヴィジョンはあっても、仕事探しをしていないのは、腕いっぱいに抱えた可能性を消し去りたくないからだった。
それは、非常に虚しい所有欲からくる妄念のように思えるが、それでも、私を縛る一つのものだった。
そして、人生だけでなく、クアラルンプールで延泊を続けていた時もまた、可能性に甘んじていたのだと気づいた。ここからどこにでも行けると言う満足感と共に。
旅は前に進むことを教えてくれる。そして前に進むことで、消えた可能性を回収してゆくこともできる。
ヴォルに伝えようにも、私の英語力は足りなかった。

***

ペナン島では、本当にさまざまな人と出会った。
ホステルだけでなく、街中でも言葉を交わした。
基本的には人見知りで、人に話しかけるのが苦手な私だが、意識的にそうしたこともあって、ここでは心が開かれた。
明るい街並みのおかげでもあるし、ここが「交差点」だったこともあった。

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河内集平(Jam=Salami)
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