俺たちは兄弟なんだ(イスタンブル・チャイ紀行#3)
昨年だったと思うが、トルコのチャイ文化が世界無形文化遺産入りした。
その少し前からトルコのチャイにまつわるエッセイを書いていた身としては、何の影響力もないくせに勝手に誇らしい気持ちになった。
そんなチャイのエッセイも3話目。
今のところあと一話で最後だ。
トルコのチャイはユネスコも言うように単なる飲み物ではなく、一種の社会的実践だと言える。
つまり、チャイを囲めばそれは一つのコミュニティーとなり、出会いの場となる。
ユスキュダルは今日も雨だった
3月、イスタンブルの対岸にあるユスキュダルという街にいた時のこと。
雨が降ったり止んだりを繰り返していたものだから、寒さに拍車をかけていた。
ユスキュダルという街は、「ユスキュダルへ(ウスクダラ)」という歌で知られていたりもする。
江利チエミという往年の日本の歌手も歌っていたらしいので、ある一定の年齢より上の層の人は知っているかもしれない。
なぜこんな話をしたかと言うと、この歌の出だしが、
「ユスキュダルへ行った時、雨だった」
だからである。
まさに同じ状況だ。
チャイスタンド
そんな、寒い時にはチャイに限る。
トルコのチャイは熱々だ。
とにもかくにも熱々だ。
そして、大抵は街中のどこかにはチャイ屋がある。
吹き付ける風に凍えながら、チャイ屋を求めて彷徨っていると、海が見える場所にチャイを出すスタンドを見つけた。
スタンドに駆け寄り、
「チャイひとつ!」とすかさず声を掛ける。
値段は3リラ。当時のレートで60円である。
固定されているのか、ほとんどの場合チャイは3リラだった。
トルコ料理屋でも、実際のイスタンブルにある店でも、多くの場合チャイはガラス製のカップに淹れて供される。
だけど、こうしたスタンドでは、そんな贅沢はできない。
通常、小さいサイズの紙コップである。
そこに砂糖を投入してちびちびとやるのがトルコ式だ。
兄弟
熱々のチャイをズズっと飲むと、体が温まるのを感じる。
茶葉の苦味と角砂糖の甘味、そして深い香り。
生き返る。
曇り空の、灰色の海を眺めながらチャイを飲むのは、贅沢な時間だ。
すると、隣に恰幅のいいおっさんがやってきた。
ダウンを着込み、片手には同じスタンドのチャイを持っている。
「中国人か?」
とおっさんが尋ねる。
いや、違う、と答えると、
「じゃあどこだ?」
と聞く。
日本人だ、と答えると、
「日本か…。おい、知ってるか?」
何を?という表情でおっさんを見ると、おっさんは満足げに続ける。
「知ってるか? 日本人とトルコ人は兄弟なんだ」
エルトゥールル号の故事
トルコの人は親日的だという。
その理由の一つとして、必ず挙げられるのは、エルトゥールル号事件だ。
時は明治、トルコはオスマン帝国と呼ばれていた。
オスマン帝国は当時、世界中に使節団を送っていて、日本も例外ではなかった。
エルトゥールル号という古い船に乗った使節団がやってきたのだ。
天皇との会見などを終え、彼らは帰途につく。
ところが、運悪く台風の時期だった。
台風を突破しようとしたエルトゥールル号は遭難。
かなりの犠牲者が出た。
幸運にも助かった乗組員は和歌山県に漂着。
地元の村人たちは彼らを献身的に世話した。
この話は映画にもなっていて、それなりに有名である。
「知ってるよ。昔の船の話も」
私は海を眺めながらそう答えた。
だが、おっさんは腑に落ちないような顔をしている。
とにかく、兄弟なのだ、と繰り返す。
…は関係なかった
どうやら、別にエルトゥールル号事件は関係がないらしい。
考えてみれば、100年以上前の出来事の恩義を今でも心に抱いている、というのは、いくら漢気あふれるトルコでも、そうそうあるものではないだろう。
日本もきっと、他の国に対して似たような恩義の一つや二つあるはずだが、とうに忘れてしまっている。
だが、それでも、いつの間にか、日本は彼らの兄弟になってしまったようだ。
昔の恩義などは関係ない。
何ともおかしく、くすぐったく、それでいて嫌な気はしない話である。
不思議の国トルコ
と、通常であれば、気軽に思ってはいけない。
というのも、やれ日本は兄弟だ、やれ香川はいい選手だとおだてておいて、ビジネスに持ってくるというのは旅人相手の常套手段だからだ。
さて、このおっさんはどうかというと、日本は兄弟だ、と言い残したまま、静かにチャイを飲み、去っていった。
私もただチャイを飲み、海を眺め、市場へと向かっていった。
そう、エルトゥールル号も、ビジネスチャンスも全く関係ない発言だったのである。
またの機会に書こうと思うが、チャイを介したこういう、優しさしか存在しない交流が生まれることがある。
もちろん、ビジネスや詐欺が絡むこともあるから気をつけないといけない。
一筋縄ではいかない。
理屈では説明できない。
まずはチャイを飲むことから始めるしかない。
そんなトルコに想いを寄せたい。
だって俺たちは兄弟なのだから。
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