見出し画像

本屋嫌い。

…とタイトルを書いといて何だけど、私は結構本を買う方だと思う。いまブクログ(新刊購入管理に使っているアプリ)を見ると、おととしの8月からの1年半で2000冊強の本を買っている。読書家とかいうもんではないですが、落手している本の数自体はそれなりに多い。これは外国語の本は含んでいない(この記事の最後に、1月最終週に買った本を並べました)。

そんな風だから子どものときからもちろん本好きで、本屋にもよく通った。今でも「そろそろ本屋に行きたいな−」と思うことは、よくある。

だけども、年を追うごとに本屋という場所がだんだん苦手になっている。いまは基本的にAmazonを使う。本屋は月に3〜4回行くこともあるけど、行かなくても全然困らない。

以下どうしてそんなことになったか、ちょっと書いてみたい。嫌いになってきた理由のひとつめは、

探している本がない。

これである。もはや本屋さんって「この本を買おう」と思って行く場所ではなくなってしまった。だってそう思って行ったって絶対置いてないんだもの。そして本屋嫌いの理由の第二は、

知りたい情報・魅力的な情報がない。

もちろん情報がないわけはなく、どんな小さな本屋でも文庫を並べているだけで大量の情報があるはずなんだ。それが店を訪れても目に入ってこない、目に届かない。

要は、本屋の側が情報を上手に出せなくなっている

読売新聞社が講談社と一緒になって、地域の書店減少に歯止めをかけようとまとめた提言がある。(書店振興 官民で、「自治体内に0」増加…[読売新聞社・講談社提言]

ここに文化部長氏が、こんなことを書いている。

「日常の生活圏に書店がある価値は何か。書店は図書館に比べて旬の本を多く並べ、時代の空気を教えてくれる。ネットより一覧性に優れ、検索ではたどりつかない本との偶然の出会いを提供できる」

読売新聞(2月7日)

いやいや、ウソつけ!と思いませんか。だっていま本屋に行って時代の空気、あるか? 偶然の出会い、提供してくれるか?

うん、そういうことができる本屋も、まだあります。だけどさ、大河ドラマが始まったといえば歴史本、オリンピックといえばスポーツ本を並べて、あとはマンガと学習参考書と実用書が棚にタテに差してあって雑誌エリアばかり目立つ、そういう本屋の方が圧倒的多数じゃありませんか? そんな本屋は「時代の空気を教えてくれる」ことも「出会いを提供」してくれることも、ないですよ。単にそこに本や雑誌が置いてあるだけの、場所貸しです。

本屋嫌いになる理由はまだあって、

店員が不機嫌か忙しそう。

大規模店ほどそうだよね。名前を出して悪いけど東京駅前の丸善 丸の内本店(オアゾ店)なんて、店で働いてる人はことごとく不機嫌か無闇と忙しくしていて、話しかけても面倒くさそうなんだよね。3階人文書のフロアなんて、万引き疑いの警備員ばかりうろうろしてて、じろじろ嫌な目で見られるしさ。しかも買おうと思うとつねにレジは大行列。ここは大量に本がありながら全然買う気が起きない本屋のひとつ。

そして、

ネット取り寄せが不便すぎる。

e-hon というサービスがあって、ここでネット検索した本をリアル書店に届けてもらうことができるのです。本屋を応援しようと思って何度か使ってみたのですが、これが実に使いにくいんですよね。

検索してヒットして、注文かけるじゃないですか。注文を受け付けたんだから届くんだろうと思うじゃないですか。でもここ、そうじゃないのです。1週間ばかりして「品切れでした」と返事が来ること、ままあるのです。

そのうえ、ここは注文後にどんな理由があってもキャンセルできません。本屋と取次は別会社だから…ということなんだろうけど、買う側からすると、そんなの本屋の都合なんだよね。倉庫から店頭に在庫を回しただけじゃんとも思うんだけど本屋業界の理屈ではそうじゃないらしい。

そして、なんとかかんとか本屋に届いたとする。そうすると今度は、店頭で受け取るとき大騒ぎになるんですよね。店員が慣れてなくて、どの伝票あの伝票、あの人呼んでこの人に聞いて、どこに置いてあるか…まあ時間のかかること。店員もだんだん面倒そうな顔するし。

これらの不便はすべて買う側からするとAmazonを使えば一瞬で解決するわけで、なんでこんなことやってるのかという気になってくる。それにAmazonは過剰包装(文庫本1冊でもかっちり段ボール材に入れてくる)がつねに気になるんだけど、見ていると e-hon でも過剰包装はまったく同様で、業界内で在庫を回すから包装は少なくてよいとは、ゆかないらしい。

何度か使ってみて、ばかばかしいので継続するのは諦めました。


ダメになった本屋・生き残っている本屋

こりゃもうダメだなと思う本屋は、まだあります。代官山 蔦屋書店は、もともと本の量も少なかったけど、こないだ久しぶりに行ったら人文書の棚はいっせいに実用書へ切り替わっていた。シェアラウンジで生き残ろう…ということなんだけど、まあ無節操というか場当たり的というか、これも長くは続きそうもない。

新宿の紀伊國屋書店。建物が古すぎて上下移動が大変すぎる。しかもあれだけ本がありながら、必要な本はなかなか見つからない。とくに人文書のそろえかたが適当。文学関連のフロアは数は多いけどとりとめがないし、何を発信しようとしているか、つねによく分からない。有人レジの隣にセルフレジを置くのはいいけど店員が立って「クレジット払いはこちらでもできまーす」なんて連呼しつづける仕組みで、いやあ効率悪いよなあと正直いたたまれない。

マトモな本屋は? 神保町の東京堂書店は、全体としては言われるほど大した棚では全然ないのですが、1階レジ前に新刊を集めているエリアだけは、いま東京に残る数少ない「時代の空気を伝える」「偶然の出会いをつくる」棚だと思います。

青山ブックセンター本店。入り口付近の推しエリアは今の空気と感覚ズレてるよなと思うことがままあるし、人文書はやっぱり物足りないんだけども、文学・詩華関連はあっぱれです。

鎌倉駅前のたらば書房。入り口はいたって普通の昭和な本屋。でも奥に進むと、なんというか、異様な密度なのです。ほとんど1冊だけタテにさしてあるんだけど、ぴぴっと目に入る。新聞の書評欄やらSNS情報やらに頼らない集め方なので、新鮮。こういう棚の作り方がまだできるんだよなあと行くたびに思います。

ただし残念ながら、いまの東京・神奈川ではこういう本屋は少数派です。


そんなこんなで、本屋にわざわざ行ってもブルーな気分になることの方が多いので、いきおい足は遠ざかります。というか本屋がこちらの上をゆく魅力的な情報をもっていて、それに触れるために行く場所じゃなくて、「経営が厳しくて可哀想だから応援するところ」になってしまっている時点で、もうダメだよなと思う。

地域の書店、そりゃもちろんあった方がいいだろうけど、ただの場所貸しならつぶれて当然じゃないでしょうか。だって誰も必要としてないんだもの。

できることはたくさんあったはずなのに、だいたいチャンスを逃して昭和がずるずる生きのびる場所になっている。上述の提言にある「ICタグで書店のDX化を」…なんて20年遅い! そんなこと、これまでできなかった本屋がいまさらできるわけないじゃんと思うんだけど。

本屋の側が劇的に姿勢をあらためて貴重な情報の発信拠点に変身する…なんて、この先に起きること、あるんだろうか。


(1月最終週に買った本。外国語の本は別。)

いいなと思ったら応援しよう!