塾という「場」 8 ー生徒の「まるごと」に寄りそうー ネガティブ・ケイパビリティ
(iii)ネガティブ・ケイパビリティ
「わからないこと」に慣れる、「わからないこと」から逃げない、そして「わからないこと」を面白がる、という態度は学びづくりを考える大きなヒントになります。
ここで、重要な概念を紹介したいと思います。
「ネガティブ・ケイパビリティ」(帚木蓬生 『ネガティブ・ケイパビリティー答えの出ない事態に耐える力』 朝日新聞出版 2017)です。
ネガティブ・ケイパビリティは、詩人Jキーツが創作活動において欠かせない能力として示した概念です。主に、精神医療の場において用いられてきました。近年では終末期医療の現場でたいへん注目されています。
ネガティブ・ケイパビリティとは、文字どおり、負の能力です。
・「どうにも答えの出ない、どうにも対処のしようのない事態に耐える能力」(同上 3頁)
・「性急に証明や理由を求めずに、不確かさや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」(同上 3頁)
です。とくに、相手が人間である場合
・相手を本当に思いやる共感に至る手立て(同上 7頁)
だとされています。
ちなみに、能力、とはポジティブ・ケイパビリティをさし、
・「才能や才覚、物事の処理能力を想像し」(同上 9頁)
・「学校教育や職業教育が不断に追求し、目的」(同上 9頁)とする
・「問題が生じれば、的確かつ迅速に対処する能力が要請」(同上 9頁)される
ものです。いわゆる問題解決能力の育成です。
精神医療の現場では、自分のこころに言葉があてられない状況、いわゆる言葉の不到達性という問題が生じてきます。そこで治療者・支援者が人と人との出会いを通じて悩みを軽減していく場をつくり、その出会いを支え続けることで、生身の交流を生むという手法がとられます。そのような場を提供すること、それを通じて患者自身が発見的な理解を重ねていくのです。患者自身が、患者自身の言葉によって癒されていく、ととらえられています。
このような治療に寄り添う主治医が備えていなければならないのが、ネガティブ・ケイパビリティです。
ここでの主治医の処方は「日薬」と「目薬」(同上 89頁)です。
・「日薬」とは、何事もすぐには解決しない、何とかしているうちに何とかなるもの
・「目薬」とは、「あなたの苦しい姿は、主治医であるこの私がこの目でしかと見ています」
という処方です。
ネガティブ・ケイパビリティが発揮されると、精神医療の場は「身の上相談」になるそうです。
治療者は、今生じていることを、手を加えずもちこたえ、患者にはいつか希望の光が差してくるようにと願い、「めげないように」と声をかければいい、ということです。
なにか、似ているものを感じませんか?
そうなのです。生徒の「まるごと」を引き受けるということは、このネガティブ・ケイパビリティが求められるということなのです。
医学教育の現場でも、教育とは問題を早急に解決する能力の開発だと信じられ実行されてきた、つまり、ポジティブ・ケイパビリティが育成されてきたそうです。しかし、患者の状態というものはそう簡単に切りわけられるものではありません。
学校教育においても、また然り、ではないでしょうか。
生徒の状態はそう簡単には切りわけられません。
ましてや、塾という場における学びに至っては、指導者にネガティブ・ケイパビリティが無ければ、授業時間をもちこたえることすらできないかもしれません。
くわえて、見落とされている大切な観点があります。
問題解決のための教育、そして迅速さばかりが求められる教育においては、世の中にはそう簡単には解決できない問題が満ちている、という事実が伝えられていません。
これを機に、帚木の言葉をかりながら(同上 191頁)、思いきってイデアを語ってみましょう。
本来、学びというものは、「学べば学ぶほど、未知の世界が広がっていく」ものといえるでしょう。
学びの力とは、「答えの出ない問題を探し続ける挑戦」であり、それこそが「教育の神髄」なのではないでしょうか。教育とは本来、教えられる側にとっても、そして教える側にとっても、この意味において無限の可能性をもっているはずです。
もちろん、問題を解決するための能力をつける教育、つまりポジティブ・ケイパビリティの育成は重要です。しかしながら、生徒に対して、「今すぐに解決できなくてもかまわない。とにかく、今を何とか持ちこたえていく。今できる最善をする。それもひとつの大きなあなたの能力なのだ」 ということを伝えていくことも、同様に、大切になるはずです。
ネガティブ・ケイパビリティは共感を育む余地を生みます。解決の見えない中で何とか持ちこたえていた自分、かつての自分、あるいはこれからの自分を、他者に発見します。それは、世界を立体化させる手立てのひとつです。
私たちに生まれながらに備わっている楽観的希望をもつという能力を発揮して、「世の中にはすぐに答えがでないこともあるよ」「今できることをやってみよう」と声をかけ、とくに困難にあっては、「苦しいね、わかっているよ」と寄り添いつづけるうちに、生徒自らの心が、より柔らかく転がり始めるのです。
(つづく)