塾という「場」 7 ー生徒の「まるごと」に寄りそうー 物語的な個人
(ii)物語的な個人
ここで、少し視点をかえて、希望、について取り上げてみたいと思います。
希望学の知見(玄田有史『希望のつくり方』岩波新書 2010)によると、
・そもそも、人間は、日々生きる困難のなかで、希望をどうしてももってしまう、もたざるをえない動物、である
・希望は変化と密接な関係があり
・未来に向かって現状を変化させていきたいと思うときにあらわれるもの
・育まれていくもの
・模索の過程そのもの
といった特徴があります。
希望は、物語性を帯びています。
私たちが失望を修正するとき、挫折が希望へと変わるときには、ストーリーの力が発揮されます。言葉を通じて、過去と未来が、現在と繋がるのです。
希望とは、「まだない存在」です。
しかし、いまだ実現しない未来への予感や憧れの対象として、確実に、存在しています。
「物語的な個人」とは、「過去の挫折経験を豊かな言葉で顧みることができ、無駄を無駄と思わない考え方や柔軟性を含んだ行動力を持った」個人(同上 145頁)である、と述べられています。
この希望学の知見を塾の学びの議論に援用してみましょう。
生徒の「まるごと」と向き合うなかで、今度は、挫折やいらだち、つまずき、そしてそれらをめぐる感情を「解いていく」という観点から眺めてみます。
言いかえると、それは、お互いが「わからない」ことに慣れる、逃げない、むしろ、「わからない」ことを面白いと思えるかどうか。
なぜなら、希望というものは、すぐには言葉になって表れてこないものだからです。とりわけこの時期の生徒たちはそうでしょう。一人ひとりの言葉として、立派に希望が紡がれることを期待するのは難しいかもしれません。
しかし、想像力、共感力をもって、生徒の苦しみやいらだちに、もちろん喜びも含め、寄り添うことはできます。
そこから、うまく言葉にならない問題を発見することもできるでしょう。
共に試行錯誤し、改善の方向に向けて歩みだすことも可能になるでしょう。
大切なのは、伴走者として、決めつけを避けながら、生徒一人ひとりの希望を拾い上げることです。
生徒が自分自身の希望の物語を紡ぐための、そして、その実現にむけた行動をしていくための、教育者自らが知恵となることです。
(つづく)