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人に教えることって難しい

こんにちは。おなかがすいたらとりあえず卵かけご飯をたべるじゃこです。

さて、、

子どもの学習サポートのボランティアで、高校生に数学を教えているのですが、

自分がちゃんと教えてるのか、生徒はちゃんと理解しているのか不安になります。

教えてもらった生徒は、

「ありがとうございます。分かりました」

というのですが、僕から見たら、ほんとに理解したのか不安になってしまいます。

本当はあまり分かってないけど、先生が頑張って教えたんなら「分かりました」くらいは言わないとなと思っていたら嫌だなと。


どうしたらきちんと生徒に教えることができるのでしょうか。

たぶん、教師をしている人、人に教える人は常々このような問題にぶち当たると思います。

どうしたらきちんと教えられるのか。

「人に何か教える」という行為は何に注意したらいいのか。

【結論】・・・相手がもつ情報量をどれだけ想像できるか

これにつきます。


「叩き手」と「聴き手」という実験があるらしいのですが、

25曲の誰でも知ってる超有名な曲をセレクトして、「叩き手」はその中から一曲選び、指でコツコツと机をたたいてリズムを刻む。「聴き手」はそのリズムから曲名を当てるというゲームです。

このゲームの正答率は2.5%だそうです。120回やって3回正解。

面白いのは、「叩き手」は正答率を”50%”だと予想したことです。

では、ここから何が言えるのでしょうか。

自分が持っている情報と相手が持っている情報は違うということを分かってはいるんだろうけど、本当に理解していないということです。

この実験(ゲーム)では、「叩き手」が曲名を知っているので、頭の中にメロディが流れていますが、「聴き手」にはメロディが流れておらず、コツコツと机をたたくモールス音のみ。

「叩き手」が正答率を50%と予想したことから、

「誰でも知っている曲だから、メロディに沿ってコツコツと叩くだけで分かるだろう」

と考えていた可能性があります。

それに対して、「聴き手」は

超有名な知っている曲とはいえ25曲の中からコツコツという音だけで曲名を当てないといけません。

ここで、

「叩き手」側の情報は、誰でも知ってる超有名な曲ということ、その曲のメロディを知っているということ。

「聴き手」側の情報は、誰でも知っている超有名な曲ということ、コツコツという音だけ。

一番の違いは、メロディを知っているか否か。

「叩き手」側が「聴き手」側の持つ情報を軽視し過ぎて、想像できていないといったことです。

これが「人に何か教える」という行為の難しさをものがたっています。

自分が持っている情報と相手の持っている情報の違いが分かっていないから、どうしても自分本位で考えてしまう。

相手のことをどれだけ知っているか、相手の情報量をどれだけ想像できるのか。

これが「人に何かを教える」ときの重要なポイントだと思います。

その際、自分が何を知っているのか、何を知らないのかといった事前情報を把握しておく必要があることをお忘れなく。

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〈参考サイト〉

〈関連note〉

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人に何か教えるって難しいですよね。

どうやったら分かりやすく教えられるのか考えていきたいと思います。

ではでは!


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