
羽田課長は裸チョー、大場課長は…
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短編集「名前がいっぱい」(清水義範)
ドストエフスキーの「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」に挑戦して、同じ登場人物が複数の名前で呼ばれることに混乱し、難渋した経験を持つ人は多いと思う。これは、ロシアでは「ファーストネーム+父称+ファミリーネーム」が正式な人物名であることに起因するのだそうだ。
ミドルネームに当たる父称というのが我々日本人には馴染みがないので厄介で、父の名前を男と女で語尾変化させて使い分けるのだとか。父の名前がミハイルであれば、その息子の父称は「ミハイロヴィチ」、娘の父称は「ミハイロヴナ」といった具合だ。
それを知ったとき、ロシア人とはなんと面倒な人たちなのだろうと思っていたのだが、この短編集の表題作を読むと、我々日本人も、と言うか我々日本人はロシア人以上に色々な呼び方をしていることに改めて気付かされた。
かつては幼名と元服後の名前があったと言うし、元服後の名前もミドルネームに相当する「なのり」と、ファーストネームである実名があったのだそうだ。例えば、源義経の幼名は牛若または牛若丸である。それが元服後は九郎義経。九郎がなのりで、義経が実名だ。
そしてさらに、「実名敬避俗」という実名を敬って避ける習俗(なるべく本名で呼ばないようにする文化)があって、義経の場合であれば、役職名である判官(ほうがん)と呼ぶことも多い。あるいは、関係している土地の名前で呼ぶこともある。義経では確認できないが、源頼朝であれば「鎌倉殿」、徳川家康であれば「三河殿」等々。
もちろん、現代の日本では幼名やなのりはないが、子供の頃に呼ばれた「○○ちゃん」は、大人になってからも近しい人からは呼ばれ続けるし、職場では役職で呼ばれる文化が残っているだろう。
だいぶ以前、今は亡きTV番組「タモリ倶楽部」でソラミミスト安斎肇が、羽田(はだ)さんという人がとある会議で「羽田課長」と呼ばれているのが「裸チョー」に聞こえて、何だか間抜けだったという話を披露していた。あれを視ていて、当時未だ平社員だった私は
「やべっ! 俺が課長になったら、大場課長は大馬鹿チョーだわ」
と思った。しかし、勤めていた会社では私が課長職になった頃には課長という呼称はマネージャーに代わっていて、笑われずに済んだのだった。
……話が逸れた。要するに今回は、我々日本人がロシア文学を読むと名前で混乱するが、それ以上にロシア人が日本の歴史文学などを読んだら混乱するのであろうと言いたかったのである。