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悪意なき上から目線に気を付けよう

館主JajaのオススメBOOKS
小説「そして、バトンは渡された」(瀬尾まいこ)

イマドキ、新聞の書評欄など誰も読まないのかもしれないが、私は日経新聞のそれが結構好きで、毎週土曜日朝刊の「読書」面を楽しみにしている。

元来臍曲がりなので、他人に薦められた本など滅多に読む気になれないが(そんな私が毎週ここで「オススメBOOKS」を書いているのは申し訳ないのだが)、何故かそこで紹介されている本は、素直に読んでみたいと思うことが多いのである。

とりわけ好きなのが、「半歩遅れの読書術」というコラムだ。そこでは月ごとに色んなジャンルの文筆家が読後の本を毎週エッセイ風に紹介している。一般の書評欄と異なり、自分語りに終始して、ほとんど本の紹介になっていなかったりするのが面白い。要は、ここでの私のスタンスと同じなのである。

さて、過日の当該コラムで今月を担当している翻訳家の村井理子氏が、この「そして、バトン…」について書いていた。村井氏は、ある日突然かかってきた警察からの電話で、疎遠だった兄が急死したことを知り、遺体を引き取りに遠隔地へ赴き荼毘に付したという。

その兄は、離婚していて就学中の子供を一人で育てていた。その子が元妻(つまりその子の母親)に引き取られることになり、通っていた学校を去る際に先生や級友から手渡されたのが、この本らしい。

そのくだりを読んでいて、既にこの本を読了していた私は

「ときどき人間は(特に子供は)、残酷なことをするよなあ」と思った。もちろん、先生や級友に悪気はない。むしろ善意だ。だからこそ尚更たちが悪いと思うのである。

本の内容が、手渡された子にとって切実過ぎるのだ。これから新しい環境に身を置くその子には、希望の持てる物語とはいえ身につまされる話である。あまりにデリカシーがないではないか。どこか上から目線とさえ感じる。そこには「こんなふうにハッピーになるかもしれないから頑張ってね。僕たちには無縁な話だけどさ」と言っているかのような傲慢さが垣間見える。

私はこういうのを「悪意なき上から目線」と呼んでいる。

「言いがかりだよ。そんなこと言われたら何もできないじゃん」

と、フツーの人は思うかもしれない。しかし、私や私の子供たちはこの「悪意なき上から目線」に幾度となく悩まされたのである。妻を亡くした当初の頃のことだ…。もちろん、それが絶望した者のやっかみであることは承知している。だが、そう思えてしまうことも、つつがなく暮らせている人は知っておいて欲しい。

おっと、また本を紹介せずに自分語りをしてしまった。村井氏のコラムも、この本については「主人公が何人もの親の間をリレーされながら、成長していく様子を感動的に描いた大ヒット作」としか触れていないから、お許し願いたい。

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